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「あなたは神を信じますか?」都市部で暮らす日本人ならば、おそらく誰もが一度や二度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
あの自転車を押しながら語りかけて来る、二人組の微笑みを絶やさない清潔感のある外人・・・。
もちろん私も一度や二度どころではなく、わざわざ数えたことはありませんが十数回はあったように思います。
ある時のこと、私はいつもなら「今は忙しいので・・・」と言ってその場を立ち去るところを、何故かその日はちょっと相手をしてみました。
「あなたは神を信じますか?」
そのお決まりのフレーズに私は、思わずこう答えました。
「まぁ、私も人間だから、そんな時代も確かにあったけど・・・」
「ええっ⁉何故今は信じないんですか?」
さぁ、この後に私が切り出したフレーズはと言えばどんなものだと思いますか?
「その前に・・・あなたは神を信じる人ですか?それとも神を知る人ですか?」
私のこのクエスチョンに、その外人の宣教師たちはきょとんとするばかりで、次の言葉を失ったことは言うまでもありません。
あなたは塩をなめたら、しょっぱいと信じるでしょうか?
火に水をかけたら消えることを信じるでしょうか?
こんなことを信じる人は、文字どおり何処にもいません。
何故なら、人間は既に知ったものやことを、改めて信じるということは不可能だからです。
信じるを 越えた時から 知る人に・・・
この句には、私が普段あまり神を信じるとか仏を信じるとか言わない理由が集約されています。
因果律に代表される、この宇宙の大生命の法則・・・なんだか神を信じるというような混じりけのない信仰に比べて、冷たいような印象を受けるかも知れません。
但し・・・過去の私も含めてですが、この一途な信仰こそが、過激な行動の原因にさえなることを忘れてはなりません。
確かにアストラル的な(想念が視覚化される世界)意味では、神も仏も様々な天使も精霊も目に映ることを、私も決して否定はしない人間です。
ところが今では・・・昔に比べたらほとんど見なくなってきています。
そのことで何か不自由だとも、不都合だとも思えません。
今でも時々見えたりするのは、紫の発光色のオーラくらいでしょうか?
そんな私に、あなたは神を信じますか?という人たちは、やはりまだ神を信じるという段階の人だろうと思います。
但し・・・私は彼らの中から、いずれは信じるを越えて知る人が出てくるとも思っています。
知る人でもなく、信じる人でもない段階の知らない人・・・そんな人たちに、私の哲学が理解される日は今すぐではないかも知れません。
それでも・・・それでも発信し続ける私の業の深さに?自分でも呆れたりはしますが、飽きたりはしないから不思議です!
何を知る時でもそうですが、二度と信じる必要がないようにしっかりと知ることをお薦めします。
それでは、今日はこの辺で!
信じるを
越えた時から
知る人に。
~アモンの哲句より~