「本性の開花」続編 | 慧アモンの和可知愛フォーラム

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 さて、続編ですが・・・その前に先ずは、あの「七つの子」のオリジナル歌詞について誤解のないように付け加えておかなければならないことがあります。

替え歌の、カラスの勝手でしょ!の方は私の独自の見方をすれば、それなりの真実を含んでいるのでは?という極めて少数派の視点に過ぎません。

オリジナルの歌詞は、あの野口雨情氏によるヒューマにズムに溢れたポエムという、全く別ジャンルのものです。

私自身も作詞をする人間として、あの七つの子の歌詞は子供たちの情操を育むうえで、これ以上はないほどの傑作だと思っている人間です。

カラスの鳴き声に感情移入することは、詩の世界では何の問題もありません。

ところが・・・私のように替え歌のカラスの勝手でしょ!もまた、哲学的な視点から見ると、本性に何故は通用しないという真実を含んでいるという、そんな二面性と言えば分かりやすいでしょうか・・・。


ところで私の本性の開花ですが・・・ちょうど今頃の桜の蕾くらいかも知れないと、自分でも思う今日この頃です。

但し・・・私は自分自身の種の個性を知らない人間ではありません。

本性の花が何度か咲いて、そして何度か散った人間であれば誰でもそうだろうと思います。

あると仮定しての前世の話ですが、私自身は何度かのリアルなほどの追体験もしています。

そのどれもが・・・ルネッサンスに命を捧げて短命に終わっています。

これほど長生き出来たのは初めてかも知れません(笑)

そして更に性懲りもなく・・・私はこれからもまた一花咲かせようと、死ぬまでは絶対に人生を諦めたり投げ出したりはしない、そんな業の深い人間です。

何故?

この答えこそが、本性というものだろうと思います。

カラスがカァ~と鳴くように、犬がワンと鳴くように・・・理由も何故も通用しない世界です。

花や動物と違って、人間だけが本性を忘れたり思い出したりする不思議な生き物だと思うのは私だけでしょうか?

但し・・・私はだから人間は不幸な生き物だと思っている訳でありません。

それどころか、だからこそ人間に生まれて良かったとさえ思います。

さぁ、そんな人それぞれの本性の開花に必要なものに言及するのは、どうやらまた次の続編という流れになってしまいました。


それでは、また近いうちに!