「明け渡しに必要なものとは?」続編 | 慧アモンの和可知愛フォーラム

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哲学、アート、次世代の価値観

 さて、続編ですが・・・先ずはサレンダー(明け渡し)がもたらす、絶大な効果や収穫に言及しなければ、話のピントがボケてしまいます。

いざという時にジタバタしない人。

如何なる結果からでも希望を見いだす人。

すべて自己責任と思える人。

生きる目標が定まっている人。

他人の評価や、他人の価値観に惑わされない人。

一喜一憂しない人。

独りで何をしなくても寛いでいられる人・・・


さぁ、まだまだ数え切れないとは思いますが、全部取り上げたら夜が明けてしまいます!

そんなことをしたら・・・何のためにこの話を始めたのか、私だって忘れないという保証は何処にもありません(笑)

自我の殻が破れたら、最低でも今挙げたような結果がついて来ます。

ところで、私の相互読者の中には既にそのような境地に達している方が相当いることをご存知でしょうか?

まだまだアクセスの数は大したことはない私のブログの、唯一の誇れる点と言っても過言ではありません。

但し・・・世の中の大半の人は、自我の殻の中で、私に言わせたら意識の眠りの中で人生を終えてしまいます。

まぁ、そのことに気づきもしない人はいいとして、気づいているのに打開策が見いだせない人もいるように思います。

結論から言えば、相当の覚悟が要ることは間違いありません。

何故なら、究極の明け渡しとは・・・己を捨てることに他ならないからです。

己を守ろうとする長い間の習慣や、固定観念は想像以上に手強い相手?だと思うところがスタート点と言えます。

そして大切なことは、既にその体験のある人をよく観察することです。

何かが・・・その気配、その身のこなし、その発言、その哲学・・・すべてが根本的に違います。

但し・・・それを見せびらかすことはしないという、自信に満ちた遠慮深さもあるために余計に気づかれにくいという点も否定は出来ません。

私が今現在の環境で普通のオジサンを演じているのには、それなりの理由が当然あってのことですが、簡単に言えば真剣に求めない人が中途半端にかじる道ではないということに尽きます。

知識や何かを増やして、自分を守ろうとする人、己の欲望を満たそうとする人、要領やテクニックで生きようとする人・・・こんな人が私に寄って来たところで、残念ながら私にはどうすることも出来ません。

私は、己を捨てる覚悟のある人としか分かち合うことことの出来ない人間です。

花の慶次のあのトレードマークのように私も「大ふへん者」つまり、大変不便な生き物のひとりです。

さぁ、そんな明け渡しの覚悟の話はこれくらいにして、何にどんな対象に明け渡すのかと言えば、実はそんな対象など最終的には無くなってしまうと言えば驚くでしょうか?

もちろん私も最初は何か・・・神や天使のような存在だったことを覚えています。

そして今では・・・理性の言葉で、哲学としてこのようなメッセージを発信しています。

さぁ、私の想像以上に長くなってしまいました・・・果たしてどんな着地点が待っているのか?

そんなこともすべて、天に明け渡す・・・ということで、今日はそろそろこの辺で!