大戸田寮での思い出

 

 もう55年以上も前のことである。当時、私は大学の新入生であったが、同じ大学での学生時代に政治運動にのめり込んでいた長兄の影響もあって、私も入学後三か月もしないうちに、政治色の強い文科系サークルの一員として確固たる自信も無いままに活動をしていた。当時は文化大革命の真っただ中で、そのサークルの半数の部員は毛沢東語録を片手に新入生の勧誘を行っていた。兄からの命令に近い勧めがあり、うわべは政治的だが、その実あまり理屈っぽくなく、市中に出て未就学児童の学習支援などの奉仕活動をしないでも済むような楽なサークルを探していた。もともと私は理系のコースに入学していたので、文系のことであまり頭を使いたくなかったのである。

 或る日、私ら一、二年生が通わされている大Kキャンパスのグラウンドの近くの銀杏の木の下で、数人が熱心に議論していたので、首を突っ込んでみたらそこがC研究会であった。「毛沢東の理論なるものは結局ネオファシズムなのではないか。」、「いや違う、レーニンの教えに忠実な民主的な思想だ。」というような言い合いが延々と繰り返されていた。その時、眼鏡をかけた優し気な二年生と思しき文科系コースの学生さんが、私に声をかけてきた。「いま議論している問題は将来の僕らの生きざまに大きく絡んでくる大事な問題なんですよ。君も一緒に考えてみませんか。」と言ってにっと笑った。その横から、今でいえば福山正治のような美形の背の高い二年生が、「そうだ。革命にこそ真の文学性が根付いているんだ。毛沢東の理屈はそこを見抜いている。」と話を継いできた。そんなうやむやとした雰囲気に惹かれるように、私はその研究会に入部してしまった。ただ、数冊の小難しい唯物論の哲学書を文庫本で読み、毛沢東の書いた整風文献の文庫本を読んでおけば、理論武装は完璧だ。文系の活動に流されずに理系の科目の勉強に打ち込めるし、これで兄貴の理解も得られると言った塩梅であった。

 そのサークル内でまあまあ無難に理論武装とやらの話術を磨いているうちに夏が来て、わがサークルも大学の保養施設で一週間の合宿をすることになった。そこで泊まり先に決まったのが伊豆の戸田港に在る大戸田寮であった。いまは保健体育寮(スポーティア)などと洒落た名前で呼ばれている。当時は、沼津港から船便で戸田港まで運んでもらったが、東京からだと4時間以上はかかったように記憶している。沼津までの東海道線は途中熱海の辺りで、群青色の太平洋がいっぱいに広がった海岸が見えてくる。特急電車は、崖に架かった松も青々として清々しい海岸線のすぐ横を通りす過ぎてゆくのだが、「この景色を自分だけのものにしてしまいたい。」と言う気持ちにさせる不思議に魅惑の有る景色であった。

 戸田寮は入り口を砂州がガードしている戸田湾の奥まった所にあったので、海は凪いでいて青く澄み渡っておりきれいであった。到着した日の午後は自由時間と言うことで、各自思い思いに過ごしたのだが、私は港で手に入れた竹棒に五寸釘をひもで縛り付け、その五寸釘の根元に輪ゴムを何本も束ねたものを括り付けてヤスを作り、海水眼鏡を装着して、戸田寮の前の海岸に出かけたのであった。そこは砂地であったが、結構急深で波打際から十メートルも進むと肩までの深さになった。それから、やおら水中に顔を漬けて自分の目の前に物珍し気に寄って来るカワハギに狙いをつけてヤスの五寸釘を発射するのであった。他の魚と違ってカワハギは逃げないので、何匹かは易々と私のヤスの餌食になった。私はだんだんカワハギが可哀そうになり、他の小魚を狙ってみたが、そんな手製の粗末なヤスで突けるはずもなかった。私は漁を諦め戸田寮のわがサークルの泊り室に戻った。

 数人が昼寝をしており、別の数人が感心なことに何か哲学的なことを議論していた。私は、開け放たれた窓から戸田の紺碧の海越しに見える富士山を眺めていた。この風景は日本でも有数のものだと言う思いが私の胸の奥の何かを震わすのである。この一週間の合宿は大での学生運動が激化する二年前のことで、いろいろなセクト間での争いごとはまだ稀な時期であったが、それでもそろそろゲバ棒の兆しが見え始めている頃であった。その合宿にはいろいろな考え方の学生が数十人集っていたのだが、議論が白熱しても剣呑な雰囲気にはならなかった。

 私が二年生に進学してからは、私は理系の方の勉強に精を出さざるを得なくなり、その他のいろいろな理由も絡んできて、C研究会の部員の仲間とは何となく疎遠になってしまった。そして、私が専門の学部に進学した秋からは大での学生運動が激しくなったのであるが、そんな最中でも、多くの学部がまとまって居を構えているHキャンパスでわがC研究会の仲間と顔を合わせることはほとんど無かった。そんな訳で、彼らの消息も知らずに今に至っている。その後、皆がどのような人生を歩んだのかは知る由もないが、あの夏の戸田寮での語らいと議論、戸田湾での海水浴、そして富士山の山頂と裾野の織りなす雄大な景観の三つが、それぞれのサークル部員たちの人生の分岐点となったのであろう。懐かしくて遠い思い出である。