専門的に過ぎるエッセイ

 さて、「難しすぎるエッセイ」の話ですが、もう5年近くになりますが、I書店と言う有名な出版社から、月刊のエッセイの小冊子が送られて来ていました。半分のページには10篇ほどのエッセイが載っており、残りのページはその出版社の新刊本の宣伝です。かなり専門的な読み応えのある内容の新書や単行本で有名な出版社が刊行しているエッセイ小冊子と言うこともあり、その小冊子に掲載されているエッセイの多くは1年間ぐらいのシリーズ物で内容も充実したものになっています。小説も書き、話もうまく、映画も作る有名なシング・ソング・ライターの人も、この小冊子にエッセイを書いていましたが、そのエッセイは一話一話完結式で、加えて一つのエッセイの中でもテーマが3つほど混在しており、他の筆者たちのエッセイに比べると少し毛色が違う感じがしましたが、下手に気取って書いてはいないので、エッセイとしては読みやすいものでした。 

 このエッセイの小冊子に載っているその他のエッセイは、非常に専門的な内容のものが多く、専門外の人には、どうにも読解しにくいエッセイになっています。どうもこれはエッセイと言うよりは学術論文ではないかと思われるものさえありました。このエッセイの小冊子では、書き手の知識や思索をそこまで標榜しなくてもいいんじゃないかと感じるエッセイが主流になっているのです。中には、読みやすい文体と文章構成で、筆者の思考や感情が素直に直に伝わってくる優れたエッセイもあるにはあったのですが、その他のエッセイは、どうも難解さと専門性こそわが命とばかり、厳しく言えば自己中心的な文章と内容のものが目につきました。 

 ところで、欧米の作家や評論家や哲学の著作を翻訳した書籍が出版されていますが、それらの翻訳文の多くは、欧米のインテリの書いた英語、ドイツ語、フランス語に特徴的な文章の難解さ(こうした言語の持つ構文の特性に根差す難解さ)が故に、それを日本語に翻訳する場合、意訳が難しく、ついつい直訳になってしまうのが原因だと思うのですが、非常に読解のしにくいことは皆さんもよく経験されていることと思います。今回お話ししているエッセイの小冊子に載っている小難し気なエッセイ作品を読むたびに、上記の読解しにくい翻訳文との間の共通性を強く感じてしまうのは僕だけではなさそうに思います。

 僕は理科系の学問が専門なのですが、特に理系の学術論文は、英文論文にせよ邦文論文にせよ、なるべく平易な文章と構文を使うことが求められます。そうしないと、論文の著者の得た実験成績とその成績が論理的に意味するもの実験成績に関しての論理的な考察)を正確に読者に伝えられないからです。文系の学問の学術論文でも、基本的には論文の著者の思考とその過程を正確に読者に伝えることが要求される筈ですので、必要以上に難解な構文や語彙の使用は避けるべきだと思うのですが、どんなものなのでしょうか。まあ何れにせよ、エッセイは科学的な著作物ではないので、筆者の独自の思考過程や考えや感性をベースにして、小難し気に書くのも悪くはないのかも知れませんが、自意識過剰な感じがしなくもありません。