北方領土問題 | ジュエリーコンシェルジュ&CADデザイナーNoripyonのブログ

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こんにちは。


昨日は、私ごとにも関わらず、皆様より温かいご祝福のお言葉をいただきまして、とても嬉しく感じております。


また、普段よりブログをご愛読いただきまして、心より感謝しております。


更に、私の意見に賛成です、頑張りましょうとのコメントも多数いただき、心強く感じています。


日本を憂う気持ちは、皆さんと共有していることに日本がこれから変わるとの希望を感じるしだいです。



民主国家日本の主人公は、私たち普通の庶民、日本国民であり、最終責任者も、内閣総理大臣や天皇陛下ではなく、私たち自身です。


日本国家の最終責任者である日本人が、この日本国を正していく。


その志が、今 日本国民に求められていると私自身感じています。



さて、今日は北方領土問題について考えてみましょう。



櫻井よしこさん は2010年11月13日のブログの中で、「ロシア政府は今年初めて、「カチンの森」事件をスターリンの犯罪だと認めた。ポーランド侵攻から始まった第二次世界大戦で、旧ソ連はポーランド軍の将校ら2万人以上を銃殺し、カチンの森に埋めた。彼らは決して、この虐殺を認めようとしなかったが、ポーランド政府は真相究明と謝罪を求め続け、国際社会を味方につけた。その事実の前に、ロシアは利害得失を考え、自国の犯罪を認めざるをえなかった。


スターリンの犯罪という点では、北方領土の不法占拠も、6万人以上の日本人のシベリア抑留も、さらに女性たちが犠牲になった数え切れない蛮行も、同じである。にもかかわらずロシアの対応は天と地ほども異なる。理由は一つ、菅、仙谷両氏らを筆頭とする日本外交の無策ゆえだ。日本が自国の立場を強く主張し続けることが大事である。」と言っています。


ポーランドは外交手腕によりロシアを認めさせたのです。


何故日本が今、日本が侮られるのかについては「大統領の北方領土訪問は国内事情よりもなによりも、ロシア政府が北方領土(北方四島)を自国領としてより強烈に確認するのは国家意識なき民主党政府の今が絶好のチャンスだと考えたからだ。」


それにつきると思います。


中国が強気に出ても、逃げ腰の外交しかできない民主党日本政府なら、ロシアのメドベージェフ・ロシア大統領が日本領土が手に入ると思うのは当たり前です。


ロシアのメドベージェフ大統領が、13日夜に菅直人首相と会談した際、自らの国後島訪問について「北方領土に行くのが悪いことなのか」と発言していたことが15日、分かった。福山哲郎官房副長官が同日朝のNHK番組で明らかにしました。


これほどまでに、菅首相はナメられています。本当に悲しいし悔しいのですが、日本がナメられているのです。


「歴代のロシアと日本の交渉が、全て台無しになった。日本人に対し信頼を失う事をあなたはされました。あなたは、ロシアの先輩指導者の方々に了解を得て、国後島入りしたのですか?」何故、そうAPECの会談で言わなかったのか?


危機管理ができていない戦略なき外交の今の政府について、櫻井よしこさんはこう述べています。


「菅直人首相は、メドベージェフ・ロシア大統領の国後島訪問を「NHKの報道で知った」そうだ。なんとも危機管理の出来ていない首相ではないか。

一時帰国した河野雅治駐ロシア大使は今回のロシア大統領の国後訪問を、「国内向けに指導力を誇示する狙い」と空疎な説明をし、首相は、引き続き分析せよと無意味な指示を与えた。


大統領は中国を訪問した直後の9月29日に、「北方領土はロシアの非常に重要な地域」「必ず近く訪問する」と表明した。だが、仙谷由人官房長官は同日、こう述べた。

「具体的な訪問計画に言及したものではない」「冷静に受け止めるべきだ」

危機感がないのである。大統領の国後島入り直後の11月1日午前、仙谷氏は、今度はこう述べた。

「どういうつもりなのか、これから調査をしなければならない。大統領、政府が何を言うのか、きちんと把握してしかるべき対応措置を考えていかねばならない」


9月末の計画発表以来、仙谷氏はひと月あまりも何をしていたのか。政府内には、事実上政権を運営する仙谷氏を筆頭に、首相も含めて大統領の国後訪問に懐疑的な見方があった。理由の一つがアジア太平洋経済協力会議(APEC)での日露首脳会談を行いたいと希望し、行えるとの感触を得ていたことだ。日露、日中首脳会談をこなして、一つの国際会議の成功のかたちをつくることが、領土問題で日本の立場を主張するより大事だと取れる対応である。この国益なき菅、仙谷外交は、外務官僚によっても奨励されたと思われる。


河野大使は10月28日、モスクワで「具体的な訪問の計画があるとは承知していない」と、述べている。領土という重大な国家主権問題について、情報収集も分析もまったくできていなかったのだ。結果として、政府は「冷静に」もしくは「理性的な」対処という美しい言い訳の下で無策を通した。


河野大使は今回、冒頭で触れたように、「ロシア大統領の行動は国内向け」だと述べたが、同じ類いの説明はこれまでも繰り返し、外務省から聞こえてきた。尖閣の領海侵犯事件での中国の対日強硬策を、外務省は中国の国内事情が背後にあると説明する。強硬な軍部の主張やネット上の強硬な国内世論を鎮めるためだとの訳知り顔の説明である。それに自民党も民主党も便乗して、「だから、日本は理性的に対処すべきだ」と結論づけ、結局、傍観するという日本外交の原型が出来上がった。


今回もどの新聞にもこの類いの情報が溢れた。2011年末のロシア議会選挙と12年春の大統領選挙を控えて、「強い大統領を印象づけることが必要だった」という類いの説明である。選挙が理由なら1年以上も前のパフォーマンスはムダだ。忘れられてしまう。大統領の北方領土訪問は国内事情よりもなによりも、ロシア政府が北方領土を自国領としてより強烈に確認するのは国家意識なき民主党政府の今が絶好のチャンスだと考えたからだ。」


河野雅治駐ロシア大使による苦しまぎれの言い訳「国内向けに指導力を誇示する狙い」、マスコミ等の2011年末のロシア議会選挙と12年春の大統領選挙を控えて、「強い大統領を印象づけることが必要だった」を信じてはならない。


あくまで国内世論を抑えるための口実なのです。


ロシアのメドベージェフ・ロシア大統領の狙いは、明らかに民主党日本政府なら日本固有の領土である北方四島が手に入ると考えたにほかならない。


北方領土問題は、北海道根室半島の沖合にある島々で現在ロシア連邦が実効支配している、択捉島(えとろふとう)、国後島(くなしりとう)、色丹島(しこたんとう)、歯舞群島(はぼまいぐんとう)に対して、日本が返還を求めている領土問題。これらの島は、北方地域、北方四島と呼ばれています。



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掲載地: A.歯舞諸島(歯舞群島)、B.色丹島、C.国後島、D.択捉島
1.色丹村、2.泊村、3.留夜別村、4.留別村、5.紗那村、6.蘂取村


北方四島は、北海道からかなり近い。

知床半島から国後島までわずか26キロである。これは神戸から淡路島に行くより近いのです。

神戸から淡路島まで水上直線距離でも50キロ以上はあります。


北方領土の歴史を簡単にご説明致します。


〈18世紀〉
ロシアは、18世紀のはじめ頃から「千島」に進出を開始し、しばしば、探検隊を送り調査しただけでなく、ラッコの捕獲などを行ったこともありましたが、択捉島のすぐ北の得撫島を越えて、南下してきたことは、一度もありませんでした。
 これは、江戸幕府が、択捉島及びそれより南の島々に番所を置いて、外国人の侵入を防ぎ、これらの島々を治めていたことによります。


〈19世紀〉
1811年(文化8年)千島近海測量の途中、国後島に立ち寄ったロシアのゴローニン船長らが南部藩に捕らえられ、松前に護送されました。一方、翌年、高田屋嘉兵衛も国後島付近で、ロシア船に捕らえられ、これを契機に、1813年(文化10年)日ロ両国の間で、国境を決める交渉が始まりました。
交渉は難行しましたが1855年(安政元年)に、「日魯通好条約」が結ばれ、日ロ両国の国境は択捉島と得撫島の間に決まりました。これにより、択捉島から南は日本の領土とし、 得撫島から北のクリル諸島(千島列島)はロシア領土として確認されました。また、樺太は今までどおり国境を決めず両国の混住の地と定められました。


〈20世紀〉
大正の終わりには、北方領土にも町村制が施行され、各島に村役場が置かれました。歯舞群島は歯舞村に属し、得撫島以北の島々は町村制が施行されず、根室支庁の直轄となっていました。
 各村に営林区署、水産物検査所、さけ・ます孵化場、郵便局、警察署、小学校などがあり、人口は昭和5年時点で、国後島で約8,300人、択捉島で約6,300人が住んでおり、大半が漁業を行っていました。
1939年(昭和14年)北海道庁は、択捉島紗那村に千島調査所を設置し、所員74名で、北方の島々の全域の調査に着手し、開発のための基礎資料の収集に当りました。
 一方、国防上の要衡をなしていたことから、次第に軍事基地としても整備されることとなり、軍事的緊張の中で開発が進められました。


ここで国境の取り決めを振り返ってみましょう。


●日魯通好条約
1855年(安政元年)、伊豆下田において「日魯通好条約」が調印されました。 この条約で初めて日ロ両国の国境は択捉島と得撫島の間に決められ、 択捉島から南は日本の領土とし、 得撫島から北のクリル諸島(千島列島)はロシア領土として確認されたのです。 また、樺太は今までどおり国境を決めず、両国民の混住の地と定められました。



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●樺太千島交換条約
1875年(明治8年)、日本は、樺太千島交換条約を結び、樺太を放棄する代償としてロシアから千島列島を譲り受けました。 この条約では、日本に譲渡される千島列島の島名を一つ一つあげていますが、 列挙されている島は得撫島以北の18の島々であって、択捉島以南の北方四島は含まれていません。



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●ポーツマス条約
1905年(明治38年)、日露戦争の結果、ポーツマス条約が締結され北緯50度以南の南樺太が日本の領土となりました。



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●サン・フランシスコ平和条約
1951年(昭和26年)、日本はサン・フランシスコ平和条約に調印しました。 この結果、日本は千島列島と北緯50度以南の南樺太の権利、権原及び請求権を放棄しました。 しかし、放棄した千島列島に固有の領土である北方四島は含まれていません。



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詳しくは、北海道公式ホームページをご覧下さい。



南樺太は、その後1952年発効したサンフランシスコ講和条約で、日本が放棄する領土として明記された。
ところがソ連(ロシア)は、このサンフランシスコ講和条約を拒絶し、調印していない。そのため旧ソ連・現ロシアが南樺太を合法的に領有するための条約も協定も何も存在していないから、ロシアの不法占領が続いているのです。


では、いつどのようにソ連(ロシア)に不法占領されたのでしょうか。

樺太は、日露戦争で日本が勝利したあとのポーツマス条約で、北半分がロシア、南半分が日本と定まった。
ところが第二次世界大戦で日本の敗北が決定的になった1945年8月9日、ソ連が日ソ中立条約を勝手に、一方的に破棄して樺太北部へ侵攻を始めた。


ソ連が日本の北方四島に侵攻してきたのは、第二次大戦が終わった、すなわち日本が1945年8月15日に降伏してから、もう二週間近くも経った8月28日からでした。


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〈日ソ中立条約〉
1941年(昭和16年)に日本とソ連(ソビエト連邦)の間で締結された中立条約。相互不可侵および、一方が第三国の軍事行動の対象になった場合の他方の中立などを定めた全4条の条約本文、及び、満州国とモンゴル人民共和国それぞれの領土の保全と相互不可侵を謳った声明書から成る。有効期間は5年であり、その満了1年前までに両国のいずれかが廃棄を通告しない場合は、さらに次の5年間、自動的に延長されるものとされた(第3条)。
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布告はモスクワ時間1945年8月8日午後5時(日本時間:午後11時)、ソ連外務大臣ヴャチェスラフ・モロトフより日本の佐藤尚武駐ソ連大使に知らされた。事態を知った佐藤は、東京の政府へ連絡しようとしたが領事館の電話は回線が切られており奇襲を伝える手段は残されていなかった。
なお、ソ連の宣戦布告に対する日本側の措置であるが、本来対ソ宣戦を決定すべき最高戦争指導会議がポツダム宣言受諾問題で紛糾していたため、対ソ宣戦問題を討議する余裕が無く、結局日本側からの対ソ宣戦は行われなかった。よって、日本側の対ソ戦闘は、国家としての意思決定された戦闘ではなく、ソ連軍の攻撃に直面する現場での防衛行動という色合いが強い。
ソ連軍の攻撃は9日午前零時を以って開始されている。
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中国大陸の満州でも悲惨な現状だったのです。

8月8日に、ソ連は日本へ宣戦布告。
その数十分後に軍隊を動かし、8月9日未明には満州に侵攻したのです。
ソ連軍は、たくさんの戦車と機関車に乗って満州にやって来ました。
その機関車の先頭には、裸にされた日本人女性が縛り付けられていた。


卑劣なソ連兵の振る舞いは、日本本土に引き上げていた日本人を苦しめたのです。

ソ連軍は満州で日本の女を見つけると、白昼でもレイプした。日本女性は男に変装し髪を切り逃走をしようとしたが、列車でも止まるたびにソ連兵が日本女性を捜しに現れ、男女見分けがつかない場合、胸をつかみ、女とわかるとひきずり降ろし、数名の兵士が輪姦した。


満州ではソ連軍だけでなく、満州人(支那人)も日本人に襲いかかって来た。半藤一利著「ソ連が満州に侵攻した夏」(文芸春秋)にあります。 日本敗戦後、中国国民党軍は、強制的に満州の日本人女性を中国共産党軍との戦いにおける従軍慰安婦にしたのです。



[敗戦による北鮮引き揚げ]


日本の連合軍への降伏により、日本軍は38度線を境に、南鮮はアメリカ軍、北鮮はソ連軍へ降伏するように指令された。南鮮の日本人は終戦の年の暮れまでにほとんどすべて引き揚げたが、北鮮では約31から32万の日本人がそのまま残っていた。


もともと北鮮に住んでいた27から28万と、満州から戦火をさけて逃げてきた4万人である。北鮮にはいってきたソ連軍は、満州におけると同様、略奪、放火、殺人、暴行、強姦をほしいままにし、在留日本人は一瞬にして奈落の底に投じられることになった。

白昼、妻は夫の前で犯され、泣き叫ぶセーラー服の女学生はソ連軍のトラックで集団的にら致された。反抗したもの、暴行を阻止しようとしたものは容赦なく射殺された。

外地からの引揚者は博多港から上陸する例が多く、九州大学の医師が中心となり、希望する女性を医師団が診察し、妊娠していたら麻酔薬なしで中絶手術を行っていました。 中絶の為の仮設の病院が大宰府にあり、国家レベルで実行されたのです。



[樺太でのソ連兵による悪態]


樺太では夜間になるとソ連兵が家に押し込み、銃でおどしながら、夫、兄弟の目の前で強姦が多発した。



[北千島の戦い]


戦車第11連隊は、日本の降伏にともなって戦車から砲も無線機も外していた。降伏条件に軍の武装解除が含まれていたことに忠実公正に従ったのである。
ところがソ連軍が不法に攻めてきた。
不法侵入者の銃口に、島民と国土を支配されるわけにいかない。
だから砲と無線機をもう一度つけ直して、島民と国土を護るために戦車64両が、横一列に砲を並べる戦術で進んでいった。


そして竹田浜に近い四嶺山(171メートル)を占領しつつあったソ連軍を、海岸まで押し返した。
この「北千島の戦い」は、ほとんど日本国民に知られていない。
しかし占守島で戦死し怪我を負った日本兵は、ソ連側の資料でも1018人にとどまったのに対して、ソ連軍の死傷は1567人にのぼった。


満州、朝鮮半島、樺太、千島列島の日本兵と民間人は、ソ連に強制連行され捕虜となった50万人が極寒の強制収容所に送られ強制労働させられたのです。


シベリア抑留では、その過酷で劣悪な環境と強制労働が原因で、厚生労働省把握分では抑留者全体の1割にあたる約6万人の死亡者を出した。


このソ連の行いは、武装解除した日本兵の家庭への復帰を保証したポツダム宣言に背いた違法行為でした。
1993年に来日したロシアのエリツィン大統領は、「非人間的な行為に対して謝罪の意を表する」と謝意を表明しています。


ソ連(ロシア)が、このサンフランシスコ講和条約を拒絶し、調印していない以上、日本の領土は樺太の半分と千島列島を含むポーツマス条約当時の領土になります。



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私は今年の9月19日に母と祖父の弟と靖国神社を参拝しました。


親族が英霊として祭られているからです。私にとっては、祖父の弟と祖母の弟が祭られています。


一緒に靖国神社に行った祖父の弟からは兄が、英霊として祭られているのです。


祖父の弟(84歳)は、青年兵として広島から出兵し、18歳の時に満州で終戦を迎えました。


そして、靖国神社の遊就館を見学しながら祖父の弟に私は質問しました。


「満州から引き揚げる時に、指揮官は青年兵を先に日本に帰してくれたのでしょ?」


祖父の弟は、「そうじゃ。もうじき戦争は終わる。お前たちは絶対に支那人に悪いことをするなよ。食べ物を奪ったり、乱暴なことはするな。そう言われとった。そして、終戦直後に本当に日本に向う船に乗せてくれたんじゃ。」


日本兵の規律正しさを物語るエピソードである。


そして、祖父の弟の目には涙が浮かんでいました。


私には、命懸けで満州から帰還した時の悪夢のような情景が、祖父の弟のまぶたに浮かんだように見えた。


それは、戦後の日本人の想像を絶する光景だったに違いありません。


近代史を学べば学ぶほど、戦後封印された歴史的事実が、真実が見えてくるのです。

私は近代史を紐解いていく中で痛感したのは、侵略されれば先ず女性が犠牲になるということです。


弱ければ辱めを受ける。


ソ連(ロシア)の非合法な占領と悪態に強い息道理を感じました。



この先の未来に、日本国民が辱められることが絶対にないように、今の憲法を改正して国軍を強化する必要がある。


我々の世代の責任として、数年の内に実現する必要があります。


残念ながら現実問題として、今の世界では軍事バランスが、均等な軍事力が平和を保つ唯一の方法だからです。


経済的に破綻しても国は残ります。しかし、侵略された国はその民族は歴史上から抹殺されてしまうのです。


今の日本に優先順位として何が重要問題かがお分かりだと思います。


侵略のための国軍では絶対にありません。

ただ、侵略に耐え得る、いや侵略を十分に阻止できる日本の国軍は、直ぐにでも必要なのです。


それが、日本の平和のためであり、アジアの平和のためでもあります。そして、中国、北朝鮮、ロシアに対する抑止力なのです。


外交は、軍事力の後ろ盾があって始めて、強い立場を主張できます。


領土問題解決するには、日本が軍事的に強くなるしかないのです。


私は何より、自分たちの世代や子供たちや孫たちの世代で、中国やロシアに敗戦直後のように辱めを受けないために、屈辱を受けないために、今 法改正と国軍化を進めなければなりません。


既に、中国とロシアの侵略は始まっているのです。





(参考資料:櫻井よしこブログ / 王道の日本 覇道の中国 火道の米国 青山繁晴 PHP研究所 / Yahoo!知恵袋 / ウィキペディア フリー百科事典 / 北海道公式ホームページ)


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