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GWは、ブログをお休みになるブロガーさんもちらほらいらっしゃいますね~
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GWに南の島にバケーションに行きたかったな~
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その内、行くぞ~
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もし、無人島に本を一冊持っていくなら何を持って行きますか
僕は、佐藤一斎の『言志四録』ですね~
僕の人生のバイブルですから
昔、西郷隆盛が島に遠流された時に、牢の中で『言志四録』を読んだそうです。
座右の書として持ち歩いていた。
そして、西郷隆盛は『南洲翁遺訓』を残していますが、『言志四録』の影響を多大に受けています。
その後の西郷隆盛の人生を大きく変えた書であることは、間違えないでしょう。
それが、佐藤一斎の『言志四録』です。
皆さんは、無人島に本を一冊持っていくなら何を持っていきますか
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『人間学に学ぶ』
言志録 二 学問の師 佐藤一斎 著
「人が学問するにあたって師とすべきものに、天・人・経の三つがある。
その中で最上なのは、天を師とすることであり、その次は立派な人を師として学ぶことであり、その次は聖人の書を師としてこれを学ぶことである。」
参考資料: 座右版 言志四録
佐藤一斎 著 久須本文雄 全訳注 講談社
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天を師とするは、「神」ということでしょう。
中国古代では最高の神は天であると信じていました。
昔の日本人は、「お天道様」とか「天」「八百万の神」とか自然を神としていた。
ですから、僕も祖父や祖母から、幼少のころ悪いことをしたら「お天道様が見ているよ」とよく言われました。
「誰も見ていないと思っても、お天道様が見ているから・・・。」そんな戒めの言葉として言われました。
今、思えばとても大切な教育だったと思います。
現代の日本には、法に抵触しなければ何をしても良いという風潮です。
つまりは、人に迷惑をかけても法に抵触をしなければ良いという考えに至ります。
法のみを社会秩序の基準とすれば、人が見ていなければ、「陰に隠れて悪いこともできる」と浅はかな考えになったりもします。
「天」を師とするとするとは、
「どんな時も天は、自分を見ている。正しい行いをしているか?」
「天やご先祖様に恥じない、行動をしているか?」
そう、常に意識することではないかと僕は考えてます。
「人」を師とするは、
人間的に自分が素晴らしいと思う人を師匠にすることですね。
僕は、上甲 晃塾長を師匠としています。
「経」を師とするは、
昔の聖人の書である四書『大学』『中庸』『論語』『孟子』・五経『詩経』『書経』『易経』『春秋』『礼記』を読んで学びなさいと言うことです。
二宮尊徳や中江藤樹は、少年時代にこれら全てを読破し熟知している。
僕から云わせれば、天才ですね。
佐藤一斎も吉田松陰もそうですが、昔の日本の聖人や賢人達は四書五経を学び、自分の血や肉にしています。
どれだけ凄いかと言いますと、僕は『論語』だけでも学ぶのに熟知するのに10年はかかりそうです。
それぐらい大変で、『論語』はまだ簡単な方で、『易経』などは一生かかるかもしれません。
現代の教育でも、この『四書五経』や『言志四録』などの学問も学ぶべきだと思います。
なぜなら、「人としてどうあるべきか、どう生きるべきか?」を教えてくれるからです。
日本の良き精神文化は、これらの聖人の学問を寺子屋で学んでいた結果であるからです。
現代の日本人が後世の日本人に、バトンを渡すために、
この良き精神文化を継承するために、
『四書五経』や『言志四録』などの学問も学校教育で学ぶべきだと考えています。
もちろん、大人も学ぶ必要があると思います。
僕も、学んでおりますが・・・先は長いです・・・。