おばちゃん社労士奮戦記 -25ページ目

おばちゃん社労士奮戦記

夫婦で開業社労士をしています。
事業主、従業員の皆様が、もっと元気になって欲しいと思って日々努力しています。
一緒に仕事をする方々から、「ありがとう」と言っていただけるように、頑張りますので、よろしくお願いします。

 高校のクラス会、それも男子禁制での会がありました。

私の出身校は、兵庫県尼崎北高等学校で、当時は「難関校」でした。私の学力の変遷をたどれば、中学がピークだったので入学できたわけで・・・。



 その後は、女子にありがちな「微分積分」「物理の公式」に悩まされ、学力は下降線の一途で・・・・・。普通、成績が落ちれば親は「塾」「家庭教師」と考えるのが普通ですが、両親にその気が全くなく・・・。私は、親から「勉強しなさい!」と

言われたことは一度もありません。反面教師なのか、私は息子に百万回は、その言葉を浴びせたと記憶します。その効果が息子にあったかというと、今思うと

マイナスにしかなく・・・。息子は中学から「親」の力で、まずまずの受験校に入学したものの、6年間一切の勉強をせずによくもまあ、卒業できたものだと思います。家庭教師の先生との勉強時間が、唯一の家庭学習でした。授業中は、

ちゃんと聞いているだろうとの私の経験則は大外れで、彼は授業中は寝ていたそうです。私は、たとえさっぱわからない、「数Ⅲ」の授業でも起きてはいました。

 人間、自分を基準に人の行動を予測するのは、間違いです。



 後年父に「どうして、勉強しなさい!」って、言わなかったのかを尋ねたところ、

「所詮、女だから・・・・男の子だったら、言ったよ。」と、父も古典的な考えの持ち主だったということです。私としては、自力ではどうにもならない苦手科目に、学校とは違ったサポートが欲しかったのですが・・・・。どうせ無駄という両親の共通の考えで、私の声は届きませんでした。


 それでも、当時の高校生活は楽しく、自由な校風でした。

制服はありましたが、ほとんど着ていくことはなく、当時流行したミニスカートでお洒落を楽しんでいました。

 公立の難関校なので、女子は少なく一クラスあたり男子30人の女子は17人くらいだったと思います。


 高3のクラス会は、盛んです。

担任の先生をお招きしての男女合同のほかに、ミニ同窓会、女子会とこまめに

集まります。私は関東に住んでいるので、ほとんど欠席ですが、今回は、東京で女子会をということになったので、むりくり予定をあけてでかけました。

参加者の大半は関東在住ですが、関西からも石川県からも駆けつける懐かしい顔がありました。


 新丸ビルの中華料理店の円卓で、大人の会話です。

お互いを気遣って始終笑顔・・・・。よくよく考えると、皆、ベースは昔と少しも変わっていません。当時も、「いじめ」など聞いたこともありません。

独りで行動する生徒はいましたが、その子をいじめていたわけではなく、そっとしていたという印象でした。後になって、その生徒が社会的に成功したと聞くと

素直に嬉しく、納得もする・・・。


 主人が「いじめがないってことは、ないだろう。」「クラス会には、恵まれた人生の人しか、出席しないよ。」との弁・・・・。

 それもあたっています。


 今回の東京での女子会のメンバーは、新婚ホヤホヤさんからお孫さんがいらっしゃる方もいて、幸せの香り一杯の集まりでした。


 私もはたから見れば、そのようにうつると思います。

夫婦で開業社労士ですから・・・・。


 目出度さも中くらいが、一番というところが本当のところです。




子供の頃は、現役の車両だったと・・・。