リスです。
楽しい時間が終わったら、帰り道でなぜか非常に寂しくなる。帰りの電車に乗ると、数分前まであった友達の笑顔も、声も、存在そのものも、いきなり消える。代わりにいるのは、知らない乗客ばかりだ。さっきまで、近くの人たちにとって自分は確かに「大切な誰か」だったのに、いまはただの一人になってしまう。
楽しかったからこそ寂しくなるのだろうか。まるでカフェインの効果が切れるときみたいに、それとも二日酔いみたいに。社交の二日酔い?そんな言葉が浮かぶ。
そういう寂しい考えが浮かぶと、スマホの待ち受け画像を見る。学園祭の文字通り「後の祭り」だ。誰もいない。空っぽのテントはまだ片付けてない。あの夜の静けさも、夜空も、空気も、忘れられない。気づけば一年以上、待ち受けを変えていなかった。
祭りがあると、どうしても後の祭りも来る。
そう言い聞かせる。終わったあとに寂しくなるのは、たぶん普通のことなのだと。
でも、もし、あの写真を寂しさと結びつけるようになったからこそ寂しくなるのかもしれない。毎日何度も見るものだから、心にまで影響する。だから2週間前、変えてみようと思ってた。新しい待ち受け画像は、短冊がびっしり吊るされた七夕の笹だ。僕は書かなかったけど、みんなの短冊を見ると、「どれくらい叶ったのかな」と思う。
スマホを開くたびに、まだ少し驚く。新しい...
大事なのは「どの画像か」だけじゃないと思う。待ち受けを探して、入れ替えること。その動きそのものが大事なのかもしれない。何かを強く握りしめ続けると、そこに新しいものが入る余白がなくなる。思い出を捨てたいわけじゃない。でも、次の思い出のほうへ進んでいきたい。
何かが待ち受けていると思う。
次の楽しいこと、次の嬉しいこと、次の「またね」。






