Il faut cultiver notre jardin.
リスです。
神社に行ったら、普段何を祈りますか?
日本では、願い事をする機会がけっこう多い。神社に行けば祈ったり、おみくじを引いたりする。七夕には短冊に願い事を書いて笹に掛ける。最近、伊右衛門っていうお茶をよく買うんだけど、ラベルの裏にもおみくじが書いてある。だるま、お守り、初詣、絵馬、流れ星もある。
願い事は、意外と力があるのかもしれない。願い続けてると、その願いに合わせて、自分の意思や行動も少しずつ変わっていく。今までした願いの中で、特によく覚えてるものが2つある。
1つ目は、去年の5月頃、箱根神社で願ったこと。「勇気がほしい」。第二言語で話すには、語彙だけじゃなくて、対人スキルも新たに身に付けないといけない。人と交流するには、もちろん言語能力が必要だ。でも、どれだけ力があっても、勇気がなかったら、そもそも会話が始まらない。この願いは、叶ったと思う。
2つ目は、今年の初め頃。福岡タワーに登ったら、なぜかそこにも願い事を書いて掛ける場所があった。僕が書いたのは、「たくさん友達ができますように」。春休みで、ちょっと寂しかったし、寮に新しい寮生がそろそろ来る。新しいバンドにも入った。修士課程もそろそろ始まる。色んな人に会いたい。
そして、この願いも叶った。同じ寮に住んでる短期留学生同士は、仲良くなるのが速い。いられる期間が短いし、コミュニティーも小さい。毎日のように顔を合わせて、遊んで、話して、気づいたらすごく大切な人になってる。
でも、その友達が帰国する日が来る。帰る日のカレンダーもあった。まるで、みんなの頭の上に時計が浮かんでるみたいだった。帰国する日まで、ずっとカウントダウンしてる。ただご飯を食べに行くだけなのに、それさえ重く感じる。何度も「最後の晩餐」が繰り返された。僕も留学生だけど、短期留学じゃないから、日本に残る。寮に最初に来て、最後に出る。だから、何度も見送る側になった。
まるでランプの魔人に願いを叶えてもらったみたいだった。欲しかったのは、ちゃんと手に入った。でも、その願いがどんな形で叶うのかまでは考えてなかった。それから、神社に行っても、何を願えばいいのかわからなくなった。
寮のさようならパーティで、短期留学をしたことある人が「留学ってこういうことだよね」って言ってた。まあ、これは留学の定番なんだろう。仕方ないと思ってた。バンドのみんなはまだいる。ここなら大丈夫だろうと思ってた。
でも、ある日バンドの人と話してたら、「来年、たぶん引退します」って言われた。その瞬間に、また時計が現れた。ああ、ここにもあるんだ。
引っ越さなくても、帰国しなくても、こういう日々はいつか終わる。今のメンバーで演奏することも、練習のあとにくだらない話をすることも、ずっと続くわけじゃない。やはり、儚い。
出会った人たちのおかげで、僕はたくさん成長した。相手は、自分が僕にどんな影響を与えたのか知らないかもしれない。でも、「出会えてよかった」って言い切るのは難しい。知れば知るほど、別れは痛くなる。それでも、もっと知りたい。もっと話したい。そう願ったら、また同じように別れが来る。どうすればいいんだろう。
こういう日々は、散る桜のように、綺麗で、儚い。「桜は儚いからこそ綺麗だ」って言われてる。でも、考えてみれば、桜だけじゃなくて、花には全部、散る時がある。あさがお、あじさい、ひまわり、菊。永遠に咲き続ける花なんてない。
色んな花が咲く「庭」のことを考えてる。花そのものだけを見るんじゃなくて、その花が咲いてる場所のこと。もちろん、花は僕のために咲いてるわけじゃない。それぞれに自分の季節があって、自分の行き先がある。たまたま同じ庭で過ごせる時がある。石もある。虫もいる。何年もそこに立ってる頑丈な木もある。ほんの一度だけ立ち寄る渡り鳥もいる。
だから、この庭で過ごす時間を、もう少しちゃんと見てたい。これはだいぶ難しい。聞き取れないことまだ多い。母語で話すときでも、言いたいことをうまく言えなくて、台無しにするときもある。そもそも、言いたいことを言わないまま終わることも多い。あとになってから、「もっと話せばよかった」「もっと知りたかった」と思う。やらないほうがよかったことを、やってしまうこともある。
でも、庭の中で育ってるのは、花だけじゃない。このリスも育ってる。時計はまだ見えてる。時計が進むのが怖い。でも、時間が進まないと、僕も育たない。まだ、美しい庭の作り方なんてわからない。でも、耕したい。
昨日、神社に行った。今までは、何を願えばいいのかわからなかった。でも、今回は決まってた。ちょっと欲張りだけど、もう迷わない。
「美しい庭ができますように」






