リスの世界

リスの世界

️リスの世界へようこそ️️!感想と日常の想いを書いています。

リスです。

 

楽しい時間が終わったら、帰り道でなぜか非常に寂しくなる。帰りの電車に乗ると、数分前まであった友達の笑顔も、声も、存在そのものも、いきなり消える。代わりにいるのは、知らない乗客ばかりだ。さっきまで、近くの人たちにとって自分は確かに「大切な誰か」だったのに、いまはただの一人になってしまう。

楽しかったからこそ寂しくなるのだろうか。まるでカフェインの効果が切れるときみたいに、それとも二日酔いみたいに。社交の二日酔い?そんな言葉が浮かぶ。

そういう寂しい考えが浮かぶと、スマホの待ち受け画像を見る。学園祭の文字通り「後の祭り」だ。誰もいない。空っぽのテントはまだ片付けてない。あの夜の静けさも、夜空も、空気も、忘れられない。気づけば一年以上、待ち受けを変えていなかった。


祭りがあると、どうしても後の祭りも来る。
そう言い聞かせる。終わったあとに寂しくなるのは、たぶん普通のことなのだと。

でも、もし、あの写真を寂しさと結びつけるようになったからこそ寂しくなるのかもしれない。毎日何度も見るものだから、心にまで影響する。だから2週間前、変えてみようと思ってた。新しい待ち受け画像は、短冊がびっしり吊るされた七夕の笹だ。僕は書かなかったけど、みんなの短冊を見ると、「どれくらい叶ったのかな」と思う。

スマホを開くたびに、まだ少し驚く。新しい...

大事なのは「どの画像か」だけじゃないと思う。待ち受けを探して、入れ替えること。その動きそのものが大事なのかもしれない。何かを強く握りしめ続けると、そこに新しいものが入る余白がなくなる。思い出を捨てたいわけじゃない。でも、次の思い出のほうへ進んでいきたい。

何かが待ち受けていると思う。
次の楽しいこと、次の嬉しいこと、次の「またね」。

 

リスです。「天元突破グレンラガン」はもう最後まで見終わっているんだけど、これは第8話まで見た時点で書いた感想だ。ネタバレなし(テーマ的な話はする)

「お前を信じる俺を信じろ」ってセリフは前からよく聞いたから、このアニメを見たくなった。第1話にあのセリフが出た。あと、似た形でもう一つのバージョンも出た。「自分を信じる自分を信じろ」。どっちが正しいんだろう。

「俺」はずっと「お前」のそばにいられるとは限らない。でも「自分」はきっと最後まで「自分」のそばにいる。じゃあ、できれば後者のほうがいいんだろうか。そんなに簡単じゃないと思う。


人は、特に幼いころ、信頼している人の反応を借りる。もし幼い子どもが滑って転がっちゃったら、近くの親や信頼している大人の顔をうかがう。親の反応に合わせて、子どもも反応する。親が焦ったら子どもも慌てて泣いてしまうし、親がニコッと笑ったら、少し痛くても安心できる。幼いころから、信頼してる人の表情や反応を見て、それをなぞるように反応していく。


親は内心で心配しても、子どもに安心を伝えられる。
同じように、自分に自信や勇気がなくても、それを他人に伝えられると思う。
僕はただのリスだけど、なんとか勇気を渡したい。そうできたら、何よりだ。

「お前を信じる俺を信じろ」と「自分を信じる自分を信じろ」

たぶんこの二つのセリフは、どっちが正しいかを決めるものじゃない。
最初は誰かの「信じる」を借りて、いつか自分で自分を信じられるようになる。
成長の一つは、その変化そのものだと思う。

 

リスです。今日はバレンタインデーだから、ちょっと恋バナをしたいと思う。

初恋は中1の頃。それから今まで、好きになった人が6人いる。けど、彼女ができたことはない。理由はいろいろあるけど、その一つは好きになった瞬間に、その気持ちをすぐ捨ててきたからだ。

中学生の頃、ちょっとからかわれた。「リスくんはリスちゃんが好きなんだ~」って。本当は違ったのに、なぜかそれが妙に刺さった。それ以来、「好きになることは良くないこと」みたいに思い込んじゃった。

それに、好きになるのって、怖いよね。
ダメだったら、気まずくなる?
ダメだったら、どれだけ心が痛む?
ダメだったら、親友を失う?
あれ、最悪だよ。そう思うたびに、「じゃあ最初から好きにならないほうがいい」ってことにしてきた。

でも最近、やっと気づいた。僕はずっと「気持ちを消す」癖があることに。きっかけは「沖ツラ」っていうラブコメからのセリフだった。

第1話で主人公がこんなことを言う。
「好きな子もできてしまった」。
その瞬間、一時停止して、巻き戻して、もう一回聞いた。

「好きな子ができた」って、なんて優しい言い方なんだろう。
「できる」っていいイメージだよね。
合格できる。うまくできる。リスを見ることができる。

なるほど。
誰かを好きになれたなら、呪いじゃなくて、恵みだと思った。

だって、身近に「こんなに優しい」「こんなに面白い」と思える人がいたら、それだけでもうラッキーだ。

だからこれから、他人への想いを大切にしたい。もう、気持ちを捨てたくない。
まだ告白する勇気なんてない。でも第一歩は、自分の気持ちを「悪いもの」として扱わないことだと思う。好きになることを許せたら、いつか勇気も湧いてくるかもしれない。

ミュージカル「Wicked」の「For Good」っていう曲のタイトルには、二重の意味がある。
「これからずっと」と、「良い方向に」。

恋人できるかどうかはわからない。
でも、好きになった時点で、もう何かが変わっている。
きっと、I have been changed for good.

僕の世界を少し変えてくれた人たち、ありがとう。

 

リスです。

昨日は雪が降っていた。窓の外を見なくても、雪が積もったことがわかる。目を閉じて耳を澄ますと、雪の日にしかない独特な静けさがある。鳥の気配が薄くて、車の音は遠く、いつもよりゆっくりだ。ふわふわの雪が音を吸い込んでいく。こういう静かな時間に、ふと「少女終末旅行」というマンガを思い出す。

チトとユーリが、崩壊した世界を二人で旅していく物語だ。ほとんど何も残っていないからこそ、世界は静かで、小さなものが大きく感じられる。雨の音、お風呂のぬくもり、新しい食べ物の味。僕らなら見過ごしてしまうような日常のことは、彼女たちにとっては大切な宝物になる。なぜか都市の上へ上へと進んでいくのに、作品の焦点はいつも「今、確かに、この瞬間」にある。素晴らしい物語というより、詩を読むような感触がある。

物語に比べると、詩の魅力はちょっとつかみにくい。けど、次の言葉を読んでから、ちょっとわかってきた。パーシー・ビッシュ・シェリーはこう言ったという。

詩は、世界の隠された美を明らかにして、慣れたものをまるで慣れていないかのように見せる。




「少女終末旅行」はそれをやってくる作品だと思う。新しいことに出会うと、チトとユーリが子どもみたいに素直に考えたり、問いかけたりする。それを通して、僕らも改めて考えさせられる。なぜ写真を撮るのか。なぜ日記をつけるのか。なぜ音楽を作るのか。

一番忘れがちなのは、一番慣れたものかもしれない。僕が育った場所では、雪は普通に降る。だから雪は、いつの間にか「ただの雪」になっていた。けど昨日は違った。みんなの送ってくれた雪の写真、笑顔、歩道のそばの雪だるま。みんなが雪をちゃんと楽しんでいた。きっと、雪はみんなの宝物なんだと思った。見ているうちに、僕にとっても雪が宝物になった。


「少女終末旅行」の各章もやっぱり短い詩みたいだ。一つの章で、一つの宝物に出会う。雨音、お風呂、音楽、写真、少しの食べ物。けどそれは「旅の休憩」じゃなくて、「旅の一部」だ。旅の核は、そういう瞬間にある。章を重ねるほど、世界の見え方が少しずつ変わっていく。最初は「もの」を見ているようで、いつの間にか「人生」を見ていることに気づく。さっきの言葉で言えば、世界の隠された美だけじゃなくて、人生の隠された美まで、明らかにしてくるみたいに。

宝物は遠くにあるんじゃない。見慣れた日常に、もう一度目を向けたときに生まれる。雪の静けさも、雪だるまも、写真も、そうだった。

雪はもうやんだ。僕の、そしてみんなの作った雪だるまが溶けていく。静けさも、そろそろ溶けていく。世界はまた、いつもどおりに戻る。次に雪が降ったら、「ただの雪」もまた宝物になる気がする。

リスです。

任天堂のシリーズの中で、一番平凡なのはマリオだろう。少なくとも、昔の僕はそう思っていた。でも最近、マリオシリーズのファンになった。理由はシンプルで、ワンダーがいっぱいだからだ。

何もかもが当たり前じゃない。キノコを食べると体が変わるし、動物たちはBGMに合わせて踊るし、土から土管が出てくるし、土管から人食い花が出てくる。そういう変なことが、なぜか自然に見えてしまう。

僕にとって、断トツのマリオ作品は「スーパーマリオギャラクシー」と「スーパーマリオ オデッセイ」だ。この二つは、陰と陽のように対照的だと思う。


ギャラクシーのはワンダーは「宇宙的」だ。いろんな銀河、惑星、衛星を渡り歩く。BGM、重力の感覚、ステージの切り替わり方まで、スケールそのものに驚かされる。宇宙の謎に触れながらも、どこか優しい雰囲気を残していく。



それに対して、オデッセイは「僕らの世界の別の姿」を旅する感覚がある。幻想的だけど、現実とのつながりがはっきりしている。そして、ただ各地を巡るだけじゃない。キャッピーを通して、世界に参加できる。身近な世界の多様性を祝福しているように感じる。

この二つの作品は、旅のワンダーにも種類があることを教えてくれた。
ひとつは、遠さやスケールに驚く旅。
もうひとつは、近さや質感に驚く旅。
方向は違っても、どちらにも確かにワンダーがある。

ぼくらの世界は意外と、見方しだいで面白くなるかもしれない。
最後に、ちょっと面白いサイトを紹介したい: wikimap.wiki。ウィキペディアの記事を地図上に表示してくれる。家の近くにも、意外な「面白さ」があるはずだ。