リスです。
数ヶ月前、BeRealっていうアプリを使い始めた。1日1回、みんな同時に通知が来て、そこから2分以内に写真を撮って投稿しないといけない。後からでも投稿できるけど、遅れると、その日の撮れる回数が減る。
これがけっこう楽しい。日々を大事にする感覚がある。隔週で家族とテレビ電話するとき、BeRealを開いて「今日はこんなところで撮れちゃったよ」って見せる。通知はランダムに来るから、普段なら撮らない場所の写真を残る。
でも、つらいところもある。BeRealを見ると、疎外感みたいな気持ちが湧くことがある。「なんで僕だけ楽しんでないんだろう」って。そんな悩みを友達に話したら、「お前のBeReal見てても、俺も同じ気持ちになるときあるぞ」って返ってきた。なるほど、と思った。僕はちょっとSNSの初心者なので、今さら気づいた。SNSって、誰にとっても楽しいだけのものじゃないんだな。
こないだ、よく勉強している場所に「ご自由にお持ちください」と書かれた箱が置いてあって、中に2026年の手帳が入っていた。先月ちょうど万年筆のインクもプレゼントでもらったし(ありがとう!)、いいタイミングだったから、「自分のための日記」を始めることにした。
手帳はスペースが小さい。だから、書くことをちゃんと決めないといけない。普段は、出会った人の名前と行った場所だけ書いている。紙の日記を続けてるのは、これが初めてになる。
前から、たまに長い日記も書いていた。頭が思いでいっぱいのとき、パソコンで英語で、750ワードくらい書く。思考がループして止まらないときは、吐き出さないと眠れない。きれいに書かなくていい、とにかく出す。そうすると、頭が少し静かになる。自分に質問して、自分で答える。

考えてみると、BeRealも日記みたいなものだ。日々を覚えるための習慣で、小さなタイムカプセルみたいな存在。紙の日記は言葉で残す。BeRealは写真で残す。
でも、違いは媒介だけじゃない。BeRealはどうしても「他人」に向く。疎外感が出る日もあるけど、やめたいわけじゃない。つながりを感じる日も、ちゃんとあるから。
つながりは、他人とのものだけじゃない。
日記をつけることで、自分とのつながりも大事にできる気がする。




