与えられた情報,データ,指標,思想が意味のあるものか,信頼に足るものかどうか,自ら判断して責任を持つことが大前提だと思います.何事も.

大多数がやっているからとか,前例ではこうだから,ではなくて,自らが「考え」て判断して選ぶものである.

自分が目指す姿に近いものを,自分で選べばいいだけです


言葉は悪いですが,世の中には結果的に弱者を顧客にしたビジネスが沢山あります.それを全て詐欺と呼びますか?

違います.

顧客側が考えぬいて選んだものは,納得なんです(悪質なものは除く).

判断は人の価値観によります.万民に整合するものである確率は高くはない.みんな同じだったら,ちょっと気持ち悪いです.
これが現実だと思います.

ある記事を読んで,そう思いました.

技術開発しても,社会のメリットと寛容性,産業の成長の両方が満たされないと,なかなか前に進みません.

マクロで技術の進化やトレンドを理解して,社会にどうインパクトを与え,ビジネスチャンスはどこにあるかを考えないと,技術者は性能を上げる,安く作るを強いられ自分の首が絞まります.

楽しい筈はありません.

かといって新たなビジネスチャンスを求めて,生半可な知識で闇雲に青い海を探しても,青く見えた海に辿り着くのが当たり前.

福沢諭吉は,明治維新の混乱期に「分からない時代こそ学問をやりなさい」と弟子に言ったそうです.

どこまでを学問と捉えるかは別として,自分の分野以外のことも深く勉強する.

先が見えない今,この先数十年活躍しなければならない人が考えなければならないとき.

会社人生ウィニングランに入った(大多数の)人には,もう「考える」ことは出来ない.
そろそろカテゴリー違いが甚だしくなってきましたが,このまま行きます.

これまでの記事からは,何となく『博士』が凄いんだという風に聞こえるかも知れません.一部の方には叱られるかもしれませんが,そもそも『博士』はそんな大したものではないと思います.

ただ,想像を超える苦労を乗り越えてきたのは事実です.そして得られたのは精神力でしょうか.

それをどう活かすか.僕は税金によって博士課程時代の生活を支えて貰いました.しっかり日本のために何かを還元すべき.

それは実は技術でも叡智でもなく,人材とか環境とかなのかもしれない.