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スカッシュコーチGのブログ

スカッシュコーチの悲哀を綴ったサクセスストーリー
になるはずが、いつのまにやら禅の道に迷い込み・・・


企業活動の目的とは、なんでしょうか?
アメリカの著名な経営学者ドラッガーは、面白いことを述べています。

「あらゆる企業活動に共通した目的がある。それは顧客を作り出すことだ」というのです。「顧客を作る」とは、「喜ばれる商品やサービスを提供することで、待ち望んでいてくれる人」を増やすことだと、わたしは考えます。

企業活動の目的というと、真っ先に「お金をもうけること」「利益をだすこと」を思い浮かべる人もいるでしょう。つまり、ある意味「自分のため」に利己的なものだと捉えるのが、一般的です。

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しかし、ドラッガーは、「人のために」喜ばれる商品やサービスを提供することこそが目的であり、そういう企業こそ発展していくと、いいたかったのではなでしょうか。利益にばかりこだわる人に、いい仕事はできないものです。

ドラッガーの考え方は、禅に通じるところがあります。
「天下の人のために陰涼とならん」という禅語がそうです。

「陰涼」とは、夏の激しい日差しを遮る木陰のことで、それを人々のために作ろうというのです。つまりこの言葉は、「人のためになる人間になりたいと思います」という、決意を込めた言葉なのです。

自分のためでなく、人のために生きることが禅僧の正しい生き方だと教えています。企業も人も同じ、長い目で見れば、人のために生きる人こそ、幸せになるのです。



自分の欲よりも人のために生きてみる


「いい事」が一杯起こる!禅の言葉より


娘からのメール

「さっき病院いってきた。5週と4日目だって。」

??? 孫かあ!!

((((;゚Д゚)))))))

\(//∇//)\

♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪

祝い酒じゃあ!!



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「直指人心(じきしにんしん)」とは、「直ちに人の心を指し示せ」ということで、人とは自分の心のことをいいます。 つまり、あれこれ外に求めるのではなく、「自分の心を見つめよ」ということをいっているのです。 人は自分の心であっても、なかなか本当の気持ちを知ることはできないものです。 本心だと思っている心の動きには、好き嫌いの感情、損得勘定、見栄や外聞を気にする思い、自分本位の思い込み、などが入り交じっています。 こうしたフィルター、あるいは心を濁らせる雑念などを一切取り除き、ありのままの自分の心を見つめよという、禅では、ありのまま(本来のすがた)に徹底的にこだわるのです。

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「見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」は、自分自身にある仏性を自覚できれば、仏になることができる、という意味です。 私たちは、仏像の前では自然に手を合わせています。 仏とは、自分とかけ離れた、遥か高みにある存在であり、だからこそ心から崇め、尊ぶことができると思っているのです。 ですが、禅では、それぞれの人の中にこそ、仏心がある、と説いているのです。

この四言四句を簡潔にまとめて、現代語に訳せば、「経典や言葉ではなく」 「それ以外によって伝えられる真理がある」 「自分自身が仏であることを自覚することが悟りになる」ということになります。


「禅の教えがやさしくわかる本」より

「教外別伝(きょうげべつでん)」とは、経典にこだわらないことをいいます。 「教」とは経典に説かれたことやその解説をさし、「教外別伝」とは、これらとは別に伝えられてきたものという意味になります。 経典など文字に書かれた教えや、口頭で説くことのできる教えは「教内の法」といいます。 禅宗でも経は読みますが、経典は釈尊の弟子や後世の名僧が、釈尊の教えをまとめたり、自分の解釈を書いたものです。 しかし、すぐれた名僧の書いたものを読んで、どれだけ知識を蓄えても、それだけでは釈尊がたどりついた境地には行き着かないのです。

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それよりも、かつて釈尊が悟りを得たように、自分の体と心で釈尊の教えを受け止めよう、それこそが「教外別伝」ということなのです。 「教外別伝」はまた、釈尊の教えの核心は、文字や言葉では伝わらない、ということも意味しています。 禅宗では経典や教学よりも、言葉以外のもの、たとえば、相手の表情やたたずまい、あるいは書や画などからも感じとることが大事だという教えも含まれています。 それだからこそ、禅の名僧の多くが、禅の教えや生き方を示唆する禅画を多く残しているのです。

つづく

「不立文字(ふりゅうもんじ)」とは、文字にとらわれない、文字では伝えることができないということを意味しています。 いったい何を伝えることができないというのでしょうか。伝えたいのは「釈尊」の教えの真髄。では、何によって伝えるのか。こちらの答えは、達磨が書いたとされる「血脈論」に 「以心伝心、不立文字」 とあることからもわかるように、心から心へ伝えるということです。

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伝える側の心も、伝えられる側の心も波立たず、おだやかに澄み渡っていなければ、以心伝心というわけにはいかないのです。 「不立文字」は、禅では文字にとらわれず、つまり、本や経典から得た知識などで、頭でっかちになるよりも、自分の感性を研ぎ澄ますよう、精神修行に励むようにしよう、というわけなのです。

つづく

禅宗以外の宗派の多くは、教えの拠りどころとなる経典がありますが。 禅宗とほかの仏教宗派の大きな違いは、教えの拠りどころを経典に求めるのではなく、経典を説いた釈尊の心、即ち仏心を求めるべきだと教えるところにあります。仏心とは、わかりやすくいえば「悟りの心」をいいます。

中国禅の開祖とされる達磨(だるま)は、釈尊がそうしたように、自らも坐禅による修行をきわめ、ついに仏心が自分の内に存在していたことに気づくのです。 達磨が悟りをひらいたときの修行法にならい、禅宗では、経典を唱和したり、学んだりすること以上に、坐禅によって、ひたすら自分を見つめろ、と教えているのです。

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この禅の修行方法を象徴する言葉に 「不立文字(ふりゅうもんじ)」 「教外別伝(きょうげべつでん)」 「直指人心(じきしにんしん)」 「見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」 という四つの言葉があります。

つづく

来月1ヶ月で、3kg減量に挑む!

まあ、娘の結婚式前にやろうかと思っておったが… (^^;;

新婦が、ドレス着るために頑張るのはわかるが、父親が頑張ったところで、なんやねん!ってなことになるしぃ ~ f^_^;)

とかなんとか言いながら、サボりくせがつき、3kg増 (>_<)

来月から、西宮と石橋の二つのSCを掛け持って、一気に腹を凹ます!?

これ、年頭ならぬ、年末の誓い~(^∇^)



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仏教に次のような説話があります。
ある夏の暑い日に、農民が畑で働いていました。頭の上に太陽がジリジリと照りつけてきて、暑さで倒れてしまいそうです。

ふと空を見上げると、遠くに白い雲がひとつ浮かんでいます。
「あの雲がわたしの頭上まで流れてきて、太陽の光を遮ってくれたら、さぞ涼しいだろう」

そう思った農民は、「雲よ、早くここまで来てくれ」と心の中で念じます。
しかし、雲の動きは遅く、なかなか近づいてきません。農民はイライラしてきて念じるのをやめ、再び農作業に一生懸命打ち込んでいると、いつの間にか雲は頭上へとやってきていたのです。

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「白雲自から去来す」という禅語は、「人間にとってあらゆる幸運とは、そのようなもの」と、教えているのです。

「早くやってきてくれないものか」と、首を長くして待っているようなときは、幸運はなかなかやってきません。イライラやストレスが溜まっていくだけです。

待っているときは、なかなか来ない。でも、目の前にある仕事に全力投球していれば、いつの間にか、幸運が近づいているものなのです。


幸運は、何かに夢中になっていれば、いつの間にか、訪れるもの

「いい事」が一杯起こる!禅の言葉より

今年最大のビックイベント!娘の結婚式!も無事完了。p(^_^)q

父として初のバージンロードは、ガッチガチ。(T_T)

恒例、両親への手紙に、涙こらえ…

体育会系の二人らしい、体育会系の披露宴。武道系の父もまんざらではなく、おもろかったなあ、と。(^^;;

最近は無いのね。「長い間お世話になりました…」とかいう台詞は…f^_^;)

まあなにはともあれ、めでたしめでたし(^-^)/じゃった ♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪


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ある禅の師匠が弟子たちと、夜道を歩いていたときのこと。
突然強い風が吹き、手に持っていた明りが消えてしまいました。師匠は、弟子たちに尋ねました。

「今、明りが消えて、一寸先が闇の状態です。真っ暗で、どこをどう歩いていけばいいかわかりません。あなたがたは、これから何をしていくべきですか」

この問いの「明りが消える」とは、「よき指導者を失う」ことを暗示しています。これに対し、仏果という弟子は、「看脚下」と答えたといわれます。

「今までうまくいっていたことも、実は、指導者の教えのおかげだったことを、忘れてはいけない。それを自分の実力だと勘違いして無謀なことをすれば、大きな失敗を招く。だから、自分の足元をよく見ていきたい」と答えたのです。

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「足元をよく見る」とは、「自分の実力を、ちゃんとわきまえて行動する」という意味です。後にこの仏果は、非常に高名な禅僧となりますが、若いころから立派な考えを持っていたのです。

子供のころは親や先生が、新入社員のときはよき上司や先輩たちが、あなたがどうすべきか親切に導き、間違った道に進もうとすれば、正し、諭してくれました。教えの通りに行動すれば、まず間違いはなかったはずです。

しかし、歳を重ねて経験を積めば、いずれ自立して、何事も自分で判断すべきときがきます。そんなとき、今までの師の恩恵にあずかっていたことを忘れず、「看脚下」の心構えを大切にすれば、おごることや道を間違うことなく、着実に進んでいけるでしょう。


自分の本当の実力を見極めて、慎重に行動する


「いい事」が一杯起こる!禅の言葉より