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スカッシュコーチGのブログ

スカッシュコーチの悲哀を綴ったサクセスストーリー
になるはずが、いつのまにやら禅の道に迷い込み・・・



「自分と違うところ」を認め合う

平等というと、全員が等しく同じでなければいけないと思う人がいるかもしれませんが、それはちょっと違う。

小学校の運動会で、徒競走の順位をつけず、子供達に手をつないでゴールさせて平等を標榜していることもあるようですが、これは意味を取り違えています。

自分の持っている力や才能を、それぞれが存分に発揮する。それが平等です。

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だから、「なぜ、あいつは日の当たるポジションで俺は日陰なのか。こんな扱いは不平等だ」などと嘆くのはお門違い。10人いれば10人とも力も能力も違うし、立場だって違います。

自分が今いるところで、自分の分をしっかり見据え、存分の力を出し、持っている才能を活かせれば、それでいいのです。「あいつ」も自分の場所で同じように力を発揮しているのだから、お互い平等ではありませんか。

人は人を貫き、吾は吾を貫く。 その平等を壊しているのは、もしかして、吾を貫かないでいる、あなたでは・・・


「禅 心の大そうじ」より




何気なくいった言葉が相手を傷つけてしまった、という経験はありませんか。とくに若い世代では、言葉が軽んじられているように思います。

禅では「愛語」 一言でいったら「真心の言葉」を使うべきだとしています。自分の欲得の心を離れ、ただ相手を思う。母が子供に向けるような言葉を、誰に対しても語れ、というのです。

ところが最近は、自分のことばかり、利益ばかりが頭にあるからか、自分がいった言葉を相手がどう感じるかにまで、思いが到たらないのです。

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出発点は相手を認めることです。そして、自分がいいたいことではなく、相手が受け入れてくれる言葉を探すことです。すると、相手を本当に思う言葉が見つかります。

深く落ち込んでいる相手には、「頑張れ!」ではなく、「話したいことがあれば、何でも聞くよ」という言葉がふさわしいかも知れません。それが愛語です。

言葉には、傷つけることがある一方で、相手を癒したり、救ったり、励ましたりする力がある。その力を最大限に活かすのが愛語なのだと、覚えておいてください。



「禅 心の大そうじ」より


人は、まわりの人に「生かされている」

人間は一人では生きていけません。周囲に支えられ、周囲を支えながら生きています。

周囲の人とかかわりながら生きる中で、私たちが一番大切にしたいものは、「和」。 相手と競うのではなく和み、気遣いあうことではないでしょうか。

しかし、「和」が大切なことだと頭でわかっていても、実際には「我欲」を抱いてしまうことも少なくありません。 仕事でも、自分が成果をあげるために仲間には情報を渡さない。仲間を出し抜こうとする。このような態度が、相手との和みを置き去りにし、人間関係をギクシャクさせてしまうのです。

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「自分は生かされている」 そこに気づくと、和みの大切さがわかってきます。一歩譲って相手を立てる、自分の行動が相手に何をもたらすかを考える。そんな生き方が自然と身についてくるのです。

「梅花和雪香(ばいかゆきにわしてかんばし)」という言葉があります。梅の花に降り積もった雪が織りなす美しい景色は、梅と雪がともに本分をまっとうしながら、なおかつ、和んでいるからこそ生まれます。生かされているもの同士が見事に生かしあう世界がそこにあります。


「禅 心の大そうじ」より





「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬる時節には、死ぬがよく候。これ、災難をのがるる妙法にて候。」良寛

災難に逢うときには災難に逢い、死ぬときには死ね、と説くのは、仏教で重視する「今を最大限に生きる」ことを説くものである。

「過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられた。未来はいまだ来たらず」というのと同じことである。

災難に逢い、死に直面している「今」を生きることの中には、過去がよみ込まれ、未来への対処がおり込まれているのであって、災難を避け、乗り越える努力を精一杯してきたことが前提にある。

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病気になったら医者にかかり、養生し、生きるための手だてを充分に尽くさなければならない。そのうえで、「今」の現実の問題として、死や災難が私のうえに襲ってきている。これは良い悪いの問題ではない。否応なしの現実のことがらである。

そのときに「ああしておけばよかった」と過去を振り返って愚痴を言ってもしかたがない、「こうなってくれないか」といたずらに未来を夢みても無益であろう。この現実、この「今」を自分が生き抜かなければならないのであり、その覚悟をせよ、と言っているのである。

苦しい状況におかれた「私」がどのような心構えで進んでいったらいいのか、という生き方論なのである。

そのためには、自分のおかれた現状を「あるがままに」見、その事実を一度は受け取り、ひらき直り、その上で更なる努力を続けよ。そこからかえって前向きな積極的な生き方が展開していく、というのである。

仏教名言辞典より





雲のように、水のように、逆らわない

禅では、修行僧のことを「雲水」といいます。 これは「行雲流水」が略されたものです。 修行僧は、雲が行く如く、水が流れる如く、居場所を定めず、師を求めて旅を続けることから、この呼び名が生まれました。

今は、ここが曹洞宗の修行道場。 あそこが臨済宗といった具合に、受入れ先が決まっていますが、かつては曹洞も臨済も関係なく、「この人だ」という師と巡り合うまで、旅は続きました。曹洞の寺で修行していても、「お前にはあちらの寺のほうが相応しい」と臨済の寺を紹介される、ということもあったそうです。

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行く雲も、流れる水も、自然に逆らうことなく、すべて任せきって漂い、移ろっていく。修行僧の心持ちも、そんなものだったでしょう。 修行の中に自分を任せきっていたら、必ず心の師に出会えると信じていたのだと思います。

私たちも、「自分はこのままでいいのだろうか」などと、今かかわっていること、やり続けていることを疑っても仕方がありません。 自分を信じて、そして任せきったら、おのずから結果はもたらされるのです。

「禅 心の大そうじ」より






人生の目標が定まらない。若い人などは特に、そう感じることもあるでしょう。でも、焦ることはない。いろいろとやってみたらいいのです。

道元禅師は、こんな歌を残しています。 「水鳥の行くも帰るも跡絶えて、されども路は忘れざりけり」

水面を行く水鳥は、あちこちへと泳いでいき、その跡はさざ波にかき消されてわからない。しかし、勝手気ままに泳いでいるようでいて、ちゃんと外敵への警戒も怠ることなく、自分の本分を忘れずに泳ぎ続けている、という意味です。

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人生に紆余曲折はつきものです、時には道を変えたり、寄り道をしたって、ちっともかまわないのです。

また、いい年なのだから、そろそろこうしなければ、とか、こんなことがしたいけれど、もうこんな年になってしまったし・・・ということもありません。

そんなことにとらわれずに、その時々にやりたいことを一生懸命にやっていけばいい。その中にきっと、自分の本分(本当の姿)があらわれているのです。

「禅 心の大そうじ」より



「損得を忘れる」から見えるものがある

人は、いつも迷いの中にいます。

何か行動を起こそうとするときも、「やるべきか、やらざるべきか」と迷う。もっとも現実的な迷いは、それをやったら「得か、損か」ということかもしれません。

禅語の「両忘」は、善悪や迷悟など、対立する概念を忘れ去った自由平等な境地を意味する言葉です。善いとか悪いとか、勝手なレッテルを貼らずに、あるがままを受けとる、といったところでしょうか。

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中国の南北朝時代の宝誌禅師が、こんな言葉を残しています。

「両忘すれば常に心は静寂の境地となり、自然に真理と一体となることができる。ああだ、こうだ、という計らいを忘れてしまえば、心はシーンと静まりかえって、騒ぐところは一つもない。そんな心地のよい境地でいれば、自ずから真理の中で生かされていることがわかる、といった意味でしょう。

自分の目の前にあるもの、たとえば、仕事でもそれ自体には得も損もないのです。思い切ってそれを忘れ、もっと楽に、自由に取り組んでみましょう。

「禅 心の大そうじ」より



欲望とうまくつき合う生き方

禅の教えからわかる、気持ちが軽やかに、心地よく生きられる秘訣があります。

「知足」 すなわち、足るを知る というのがそれです。

ものに対してはもちろん、人間関係でも仕事でも、「もっと欲しい」と思うことがある。 しかし、欲望には際限がありません。 ものが一つ増えても、人脈の輪が一つ広がっても、仕事で一つ成果を上げても、満足することはできないのです。

なにも、上昇志向が悪いというのではありません。

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その前にまず、今を「ありがたい。もう十分だ」という気持ちで受け止めればいい、ということなのです。 その心持ちでいたら、むやみに周囲に惑わされることもなく、いつも心が豊かで充実した生活が送れるはずです。

その中で、自然に手に入るものは、ものでも人の輪でも地位でも、拒否する必要はありません。入ってきたその時々でも「もう十分」と受け止め続ければよいのです。

人間である以上、欲望を持つのは仕方のないこと。だから、ほどほどを知って、少しの欲望と調和して生きる。 それが、一つの禅的な生き方なのです。


「禅 心の大そうじ」より





あえて言葉に「余白」をつくる

私たちは自分の思いを、言葉を尽くして語ろうとします。しかし、語り終えてみると、「何か違う」ということがあります。

実は、それでいいのです。一番大事なことは、言葉にならないものなのです。 

禅の庭を思い浮かべてみてください。 白砂と石組みを配したシンプルな枯山水は、見る人にさまざまな印象や、心の安らぎを与えます。

その印象を形作っているのは目に見える白砂や石だけではありません。 何もない空間、いわば「余白」が印象づくりに大きくかかわって、見る人の想像力をかきたて、心に深い余韻を残すのです。

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むしろ、一番強く訴えかけるのは「余白」だといっていいのかも知れません。

沈黙はまさしく「言葉の余白」です。 その余白で何を伝えられるか。 あるいは、相手の言葉の余白から何を感じとれるか。 人間の器、力量はそこにかかっている、といっても過言ではないでしょう。

言葉少なでも、確たる存在感を示す人がいます。 話し下手でも誠意が伝わってくる人がいます。 心を込めて話した短い言葉は、相手の心にしっかりと届いているのです。


「禅 心の大そうじ」より




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やっとこさっとこ、搭乗できました。B787-8 ♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪ 国際線仕様

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他の機種に無いものを捜しました f^_^;)

いきなりですが、ウオッシュレット付きのトイレの蓋が、水を流すと、こんなアームが出てきて、閉めてくれます。f^_^;)

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このコントローラのキーボードで、他の座席の人とメール交換ができます。((((;゚Д゚)))))))

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なんと、USBポートまであり、iPodをつないだり、iPhoneの充電もできましたあ~ ♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪

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電子式?サンシェードは、こんな感じで、お子ちゃまが、いたずらしまっくってました。(^^;;

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以上、取り急ぎ?B787初搭乗記でしたあ。_φ(・_・

流石に、日本人ならではのANAの、気配りが随所にありましたあ。(^∇^)








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