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スカッシュコーチGのブログ

スカッシュコーチの悲哀を綴ったサクセスストーリー
になるはずが、いつのまにやら禅の道に迷い込み・・・

愛用していた、ウイルソンのハイパーハンマー120ラケットがついに割れた!?

練習終わって、ガットのズレを直していたら、フレームガードがなんか歪んでる?

なして?としげしげ見てみると、なんとフレームが完全骨折状態(ゲッ)

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ものの見事に、ザックリと割れていたのである(ひえーっ!)

長年使っていて、絶対に壊れないと思っていた強靭なカーボンファイバー製なのに・・・

いわゆる疲労骨折?みたいなものなのかもしれない。何度も何度もサイドウォールに叩きつけられて・・・

これは、修理は効かない。。。となれば、新しいのを買わねば・・・

即決、同じラケットを東京に注文した。同じ型でフレームの塗装だけが、4回も変わったその最新モデルを発注した。

そして、翌日届いたのが、これ!!

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やっぱり、私の愛機?である。この軽さと飛び、なんといっても、手にビビリや衝撃を感じさせない、私のお気に入りなのである。



ひさびさに泣きましたよ。(T ^ T)

RAILWAYS 50まじかにして、エリートから田舎の電車の運転手になった話。

何故か、中井貴一の映画には、泣かされるんです。

皆さんも、いい涙が流れますよ。きっと。。。

私も、好きなこと、にチャレンジしてみます。

目指すは「雲水」 そこから始めますかな。
リンゴの実で、いちばん大切なのはどの部分だと思いますか?リンゴになったつもりで考えてみてください。「大きさ」「形」あるいは「色つや」と答える人もいるでしょうが、見かけよりもっと大事なところがあります。「果肉」だと思った人は、食べてもらうことを重要視しているようですね。

たしかに果物の実は、鳥などに食べてもらって、タネを新たな地へ運んでもらうという役割もあるでしょう。そのためには、なるべく美味しく成長することも必要かも知れません。甘くしたり、食べやすいように果肉を柔らかくしたり。でも、食べてもらうことばかりを意識していて、肝心のタネのことを考えていないとしたら、本末転倒ですね。

食べやすさを優先するあまり、タネを小さくしたり、数を減らしたりしていては、何のために実を付けているのかわかりません。

リンゴの実で、もっとも大切なところは「芯」の部分なのです。リンゴの中心で、自分の未来の可能性をすべて秘めている「タネ」が含まれているからです。

私たちは無意識のうちに、まわりの人たちの視線を気にしています。なぜなら、両親や学校の先生から「他人からどう思われるかを考えて行動しなさい」と言われ続けてきたからです。

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自分自身の考えを優先させたり、やりたいことばかりをやったときには、必ず叱られてしまったからです。そして、いつの間にか、人からどう思われるか、ということを中心に考えるようになっているのです。他人から期待されている行動をとったり、まわりの人から認められる態度で生きることが最優先になります。

その結果、自分が本当にしたいこと、考えたいことを、見失ってしまい、自分のためというよりは、他人のために生きるようになります。もちろん、まわりの人たちを喜ばせたり、多くの人の幸福のために行動することは大切でしょう。だからといって、自分のタネをないがしろにしてしまうというのは、どうでしょう。

ときには、「果肉」ではなく「芯」に意識を向けてみてください。「芯」つまり、私たちの中心部分には「自分の本当の気持ち」「夢」「考え」「個性」などが詰まっています。本当は、何をしたいのか、何をしたくないのか、何が欲しくて何がいらないのか、を決めるのは、誰でもない、自分自身なのです。

なりたい自分をつくるのは、いつも、この「芯」の部分です。成功、夢、幸福、すべてを導き、実現するタネは、そこにあるのです。

自分の「芯」を感じ、他人ではなく、自分の「芯」が喜ぶことを優先させてみましょう。そこには、あなたらしさが一杯なのです。そして、すばらしい可能性が詰まっているのですから・・・


心のどこかで、「失敗はダメなことだ。恥ずかしいことだ」「どうせやるのなら、ちゃんとやらなければ」という思いこみを持っている人は、きっと大きな失敗を経験することはないでしょう。なぜなら、自分にはできそうもないと思えることは避けて、絶対にできると自信を持つことしかしようとしないのですから。

失敗しないということは、一見、良いことのようにも見えますが、自分の枠を越えたことにチャレンジしないのでは、本当の成功を体験することはできません。出来てあたりまえのことを、何度うまく出来たとしても、そこから学ぶことは何もないのです。

もっと恐ろしいことは、難しいことにチャレンジしようとしない自分を正当化するために、心の中でこんな独り言を言うようになってしまうことです。「特別な人だけができることで、私にはとても無理だ」「自分は、ツイてないから何をやってもダメなんだ」「もっと力をつけてからでないとできるはずがない」「お金があったら、時間の余裕ができたら・・・できると思うんだけど」そして、いつしか自分を小さな枠の中に閉じこめてしまうのです。

本当にやりたいことが見つかったとしても、自分の枠の外は、未知の領域なのですし、未知の領域は、自分を信じていない人にとっては、恐ろしいものなのです。そうなると、たとえ勇気を振り絞って、何かにチャレンジしたとしても、ちょっとうまくいかないことがあると、やっぱり自分はできないんだ、とすぐに諦めてしまいます。

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仮に、大きなことをやり遂げたとしても、その過程はとても苦しいものだったように感じられて、せっかくの成功を心から受け容れることができないのです。「今回はまぐれでできたけど、次はどうなるかわからないぞ」と、やっぱり自分を信じることができないのです。

この世に、成功があるのは、失敗があるからです。それも、多くの失敗があるから、やっと手に入れた成功を楽しめるのかも知れません。また、自分を信じる人にとって、未知の領域は、ワクワクするチャンスに満ち溢れているのです。

失敗は、自分の弱いところを教えてくれ、知らないことを学ぶ機会です。そう考えてみると、失敗だって、捨てたもんじゃありません。わざわざ失敗をすることはありませんが、できれば失敗に出会うたびに、それは自分が成長するきっかけなのだ、と受け容れてみてはいかがですか?

どんな苦しみがあったとしても、恐れることはありません。それだって、自分を信じて立ち向かう人にとっては、成長のチャンスだし、幸福のための大切な経験になるのですから・・・




なにげに。。。ブログ記事500回になりました。。みなさまのおかげです。 合掌
先日、こんどは、神奈川県鶴見の大本山総持寺に、1泊2日の座禅修行に行ってきました。

前回の妙心寺は臨済宗でしたが、今回は曹洞宗の大本山です。 宗派の違いで、顕著なのは、座禅の時の体の向きです。曹洞宗は面壁といって、壁に向かって座ります。 これは達磨大師がやはり洞窟の壁に向かって座ったことからなんでしょうかね。

妙心寺との一番の違いは「きつくなかった」ということですね(笑) 総持寺でお会いした老師に聞いた話ですが、臨済宗は厳しいんだそうです。 曹洞宗はひたすら座ることで、悟りをひらくのに対して、臨済宗は、公案という問答が重視されます。その老師いわく「絶対に答えのない問題をだす」のだそうです(驚)

また、一般の人向けということもあってか、薬石(晩ごはん)や朝ごはんを食べるところは、ちゃんとした椅子とテーブルで食べることができるのです。妙心寺は板の間にゴザをしいて正座でいただきました(痛々)

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さらに、寝る場所も旅館のような普通の部屋で、普通に布団をしいて寝られました。 妙心寺は、座禅堂の単(座禅する畳)の上で、かけ布団1枚で寝るのです。

そうそう、座禅したお堂は、なんと映画「禅」で使われた場所で、私が座った単のすぐそばで、主演の中村勘太郎が座ったのです。映画では中国のお堂という設定でしたけどね(笑)

朝課(朝のおつとめ)の場所がこれまた、でかい! なんと畳千畳という大きなお堂の中で、60~70名くらいの禅僧が、お経を唱えるのですが、お経のあいだあいだに経典を持った修行僧が、高僧の間を縫うように動きまわる様が、何かのショーのようにも見えるほど、華麗でした。

ちょうど、当日は達磨大師が亡くなった法要の日で、地方からも多くの参拝者がきていました。それも観光バスで乗りつけるほどで、秋田や青森からはるばる来ていましたね。

写経を初めてやりました。京都三千院で、5~6行の写経は経験してますが、今回は般若心経全文でした。 この時に気づいたのですが、漢字が書けないんですね~。 パソコンや携帯でばかり漢字変換しているせいか、下敷きにしている経文の漢字の読みはわかるのだが、スラスラ書けないんです(泣) 変なところで漢字離れを実感した次第です(笑)

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最後は、総持寺の見学です。途中、石原裕次郎(裕ちゃんの墓と看板がありました)のお墓参りもしましたよ。総持寺は、ほとんどの堂が渡り廊下や、地下通路でつながっていて、迷路状態でしたね。また、それぞれのお堂は高さが違うので、通路も上がったり下がったりと、けっこうな坂道運動にもなりましたね(汗)

総じて、妙心寺の参禅会と比べると、天国と地獄のような違いを感じました。 もし、行かれる方がありましたら、みなさんには、総持寺の参禅会をお薦めします。 妙心寺は、個人で行く分にはいいですが、会社の研修とかだったら、ブーイングがでますよ、きっと。

何はともあれ、これで、毎月行く黄檗宗のお寺を含め、臨済宗、曹洞宗の三大宗派で座禅したことになりました。 それぞれに違いがあり、それがまた、その宗派の特徴を表わしていて、よい勉強になりました。 さて、次は、妙心寺にリベンジ?しにでも、いこうかな・・・・・と。。。





本当の自分を見せなければ、傷つくことはない。そんなふうに思う人もいます。用心して態度や言葉を選び、相手に合わせるように注意しなければ、自分が危険にさらされるような気がするのです。そんな人たちほど、他の人から愛されたい、深く関わりたいという願いが強いのです。

ところが、あまりにも堅く自分の身を守っていては、ひどく傷つくことはないでしょうが、他の人たちと深い関係を結ぶことが難しくなります。私たちの世界では、自分が与えたものを、手に入れることができるようになっているのです。

まわりの人たちに恐怖を感じていれば、手にはいるのは、どこかよそよそしくていつも気を遣っていなければならない関係になるでしょう。自分が外に対して何も出さなければ、外も何も差し出すことはないのです。

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愛を望むのなら、愛することが必要ですね。とはいっても、これがなかなか難しいのですね。心を開いても大丈夫という確証があれば、絶対に安全だという保証があれば、相手が自分を愛してくれるのならば、愛を与えるのはたやすいでしょう。

でも、保証を必要とするのは、どこかに疑いが残っているからです。だとしたら、手に入れるのは疑いに彩られた愛になってしまうかも知れません。本当の愛は、保証も証拠も、何も必要とはしません。なぜなら、愛は愛のままで、ただ存在しているからです。

傷つくのではないか、何かを失うのではないか。そんな恐怖を持ちながら、同じ手に愛を掴んでいることはできないものです。

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ギリシャ神話では、世界ができたときに、4つのものが生まれたとしています。カオス(混沌)、ガイア(大地)、タルタロス(地下の国)、そして、エロス(愛)です。

朝になると必ず太陽が昇る、春になると花が咲く、どんなに傷ついても、誰かにそっと触れてもらうだけで、元気が戻ってくるような気がする。そんなことを思い出すだけで、愛が、この世界のはじまりからあったのだということがわかるでしょう。

愛することは、ただ心地よいものです。それが私たちの本来の姿なのですから。

食べ物の好き嫌いが激しく、偏食ばかり・・・しかも暴飲暴食で、身体を動かすこともない。毎日夜更かしばかりで、疲れは酒で紛らわす、かと思えば、倒れるまで仕事を続けたり、休日にも、ろくに身体を休めることもなく、何かしていないと落ち着かない。

こんな人は、身体の抵抗力が弱ってしまって、すぐに病気になったり、いつもどこかに不調を感じることになるかも知れません。それに、いったん病気にかかると治るまでに、かなりの時間がかかるようになるのです。

それに比べて、栄養バランスの取れた食事を、毎回、適量摂っている人はどうでしょう。さらに、毎日適度な運動をしたり、がんばるときには思いっきりがんばるが、けっして無理せずに休養や睡眠を十分にとるように心がけている。

快適に生きていくためには、栄養や運動、休養など、とるものを適度にしっかりとることが大切なのです。これは、心にもまったく同じことが言えるのです。いつも快適でいるためには、心にも、栄養や運動、休養を、しっかりととることが必要になのです。

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心の栄養とは・・・それは、いろいろな経験です。

うれしいこと、悲しいこと、楽しいこと、悔しいこと、情けないこと・・・さまざまな出来事に出会い、その経験を通して、いろいろな感情を味わったり、学ぶべきことを学んだりすることです。偏食ばかりしないで、バランス良く経験することが大事ですね。

ときには自分の枠を超えてチャレンジしてみたり、新しい刺激を求めてみたり、または、失敗したり、自分の嫌なところに気づいたり、傷ついたり、どんなことでも私たちの成長に役立つ栄養になるのです。

心の運動とは、感情を外に表現してみるということです。運動不足では、身体は硬くなってしまいます。感動不足なら、心が硬くなって、自分が本当は何がしたいのか、何を感じているのかがわからなくなってしまうのです。

新しい刺激を求めたり、思いっきり感動したり、とことん泣いたり、バカみたいによろこんだり・・・人を愛したり、小さな幸せをみつけた喜びを噛みしめたり、そんなことが、心を鍛えて元気にしていくのです。

そして、疲れたときには身体と同じように心にも休養をとることが大事です。取り返しのつかない失敗をしたり、誰かに裏切られて傷ついたり、悔いが残ることをしてしまったり、心だって疲れてしまって元気がでないときがあります。

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そんなとき、身体なら、お風呂に入ったり、横になったりすれば疲れはとれます。心の場合は、身体をリラックスさせることに加えて、自分で自分を励ましてあげるというのも良いのです。

うまくやったときや最高の自分の姿を思い出したり、自分を褒めたり、許したり、認めたり、いつもがんばっている自分を抱きしめてあげてください。それが心の自己治癒力を高めていくのです。ちゃんと心の栄養をとり、運動や休養を欠かさなければ、いつも元気でいられるでしょう。

心の免疫力も上がっているので、落ち込んだり、深く落胆することも少なくなるでしょうし、あったとしても、自分の治癒力ですぐに元気を取り戻すことができるのです。心も身体も元気で、思いっきり自分の好きなことを楽しむ。そんな時間の積み重ねが、最高の人生を創るのですよ。


この世には、100パーセント不幸だといえるような出来事など存在しないのです。たとえば、「大金の入った財布を落としてしまった」とします。これは不幸ですね。といっても、自分の全財産を失ったわけではないでしょう。仮に全財産を無くしたとしても、まだ健康な身体や愛する家族が残っていますね。

でも、「財布を落とした」という出来事に引っかかり、視野が狭くなってしまうと、「もうダメだ」「これからどうやって生活していけばいいんだ」などと、「不幸」しか見えなくなってしまいます。

視野を広く持って、もっと広く出来事を眺めてみることができたとしたらどうでしょうか。確かに、「大金を落とす」ということは、何十パーセントかの不幸な出来事でしょうが、逆に言えば残りの何十パーセントは幸せだとすることもできるのです。

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これを機会に、外出を控えて家にいる時間を増やしてみれば、普段と違うことができたり、家族と一緒の時間が増えるかも知れません。人によっては食事を質素にしてみた結果、健康によかったということもあるでしょう。

「財布を落とす」という出来事は、もちろんあまりよい出来事ではないでしょうが、ただ嘆いてばかりいるのではなく、それをきっかけに何十パーセントかの幸せを生かしてみれば、結果的には幸せが増すことにつながるのです。

自分が今、幸福なのか不幸であるのかを決めているのは、出会う出来事ではなく、その時の「心の持ちよう」なのです。

同じように、「仕事で失敗した」「失恋した」「人間関係で悩んでいる」という場合もそうです。どんなに不幸に見える出来事でも、一段高いところから眺めてみれば、必ず何パーセントかの幸せが含まれているはずです。

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失敗や不幸な出来事は、あくまで出来事に過ぎず、ここから「不幸のタネを見つけるか」「幸福のタネを育てるか」は、自分次第だということなのです。

もちろん、好調なとき、うれしい出来事に出会ったときには、幸福のタネはすぐに見つかるでしょう。失敗は、いつも私たちに、幸福のタネを見つけることの大切さ、生きることのすばらしさを思い出させてくれる刺激になっているのです。

見る目があれば、感じる心があれば、どんな出来事の中にも幸せのタネが詰まっているということに気づくでしょう。苦しい出来事によって、人は磨かれ強く成長します。そして、失敗の中から見つけた幸せのタネには、大きく美しい花が咲くということを覚えておいてください。


「自分が、何をしたいのかわからなくなった」「私は、本当は何を望んでいるのだろうか」「何のために生きているのか」

ときに私たちは、そんな思いに心が痛むことがあります。

自分がどんな人間かわからない、人生に何の目的も感じられない、何をしたらいいのかわからない・・・

他の人は、みんな自分の道を見つけて、しっかりと歩いているように見えるのに、自分がどこへ向かっているのかを見失って、やりきれなくなってしまいます。

「失敗」「あせり」「自分の嫌なところが目につく」 そんなきっかけで、自分のことを見失ってしまったと感じたのかも知れませんね。

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でも本当は、その時こそ、今までの自分が引いた限界を超えて、もっと成長できるチャンスだと考えることができます。

もっと自分の深いところを感じてみてください。自分がどうしようもないと思えるときにでも、やっぱりどこかに向かって進んでいるのを感じとれるのではないでしょうか。

道を歩けば、何かに躓いてしまうこともあるでしょう。行きたいところがあるのに、なかなかそこにたどり着けない自分にイライラしたりすることもあるでしょう。

本当に目指すべきところが見えてきた。自分が、心から楽しめることが見つかった。人生の目的に向かって、進んでいくために、新たな自分に生まれ変わる必要がある。

心がそう感じて、新しい自分になる準備をはじめると、そんな変化にちょっとだけ戸惑ってしまいます。

今までの自分でもいいのにと、未練を感じます。それは、ただそれだけのことなのです。それはそれで受け容れてあげましょう。何かを失ったと心が痛むときには、もう心の準備はできているのです。

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自分が誰で、何がしたいのかがわからなくなったときには、こんなふうに自分に問いかけてみましょう。

「自分が、他の人と違っているのはどんなところだろう」「この世界に役立つために、自分ができるのはいったい何だろう」「何をやっているときが、一番楽しいのだろう」

今の自分に浮かんできた答えが、本当の自分なのでしょう。自分の個性や強さがわかれば、自分が誰で、どこへ行きたいのかが、はっきりと見えてくるはずです。

まず、自分の人生を楽しむということが、私たちがこの世界にできる、最大の貢献なのですから・・・

世の中には、アドバイスや助言、評価、指針、指示や批評などが溢れています。

「こうした方がいいと思うよ」「もっとがんばらなきゃ」「その仕事のやり方じゃ、うまくいかないだろう」「まだあんな奴とつきあってるの?」「あなたは、黄色い服が似合うね」「まさか、会社を辞めようと本気で思っているわけじゃないだろうね」・・・

たいていの人は、もう慣れきってしまっていて、それがアドバイスなのか批判なのか、区別して聞くこともなく受け止めているのではないでしょうか。

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もちろん、これらのほとんどが身近な人たちからの心からのメッセージで、私たちが、より良くなることを願っての大切な意見なのですよね。そのアドバイスや指示を活かしていけば、きっとうまくいくことが多いでしょう。でも、時には、そんな意見が鼻について、気が滅入ってくることもあるのではないでしょうか。

自分の思いは他の人の考えとは違いますし、願いや満足を感じることも、また人それぞれなのです。家族や友人、上司、仲間、それぞれの助言やアドバイスは、自分にとって役に立つことも多いでしょうが、すべて受け容れようとすると、どこかで混乱してくるはずです。

いくら良いことに見えても、他の人の考えや望みをすべて満足させようとすれば、がんばればがんばるほど辛くなってしまうことにもなりかねません。なぜなら、他の人の希望も、やはり自分自身の希望とは違うからです。

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他の人の意見を尊重するのはよいのですが、そのために自分の希望を殺すことになっているとすれば、ちょっと軌道修正が必要ですね。

他の人のアドバイスなどが気になるのは、迷いがあったり、自分のことがわからなくなったときのようです。たとえば、ある分野で何かわからないことがあれば、その道の専門家に相談するのがいちばん確実ですよね。

だとしたら、自分について迷ったときにも専門家に相談するのがよいでしょう。自分自身の専門家とは、自分しかいませんね。私たちは、この世界に一人しかいないユニークな存在なのです。ちょっと耳を傾けてみれば、自分の心のなかの声が、夢や希望を語りかけてくるはずです。誰のものでもない、自分の本当の望みを、それこそが最高のアドバイスなのです。