スカッシュコーチGのブログ -17ページ目

スカッシュコーチGのブログ

スカッシュコーチの悲哀を綴ったサクセスストーリー
になるはずが、いつのまにやら禅の道に迷い込み・・・

正しくチューニングされた2本のギターは、一方の弦を1本選んで弾くと、もう一方の対応した弦が振動します。これは共鳴現象と呼ばれるもので、ある波動を出していると同じ波動が響きあうことになるということです。

共鳴現象は、私たちの気分にも起こるようで、陽気で明るい人のそばにいると、自分も元気になってきますし、暗く落ち込んでいる人の近くに行くと、元気を吸い取られていくように感じます。

さらに考えると、私たちの人生が「幸福」なのか、「不幸」なのかを決めているのも、この現象なのかも知れません。自分を不幸だと感じると、とても辛い気持ちになって落ち込んできます。嫌なことを考えると気分が滅いってきます。

$スカッシュコーチGのブログ

そして、自分が幸せな気分でいれば、もっと大きな幸せがやってきます。楽しいことを考えていれば、生きることも楽しくなってくるのです。

そう、極端に言えば、私たちの人生で出会う出来事すべてが、自分の心の中を投影しているということに気づくのです。

その考え方を受け容れるのに、抵抗がある人もいるでしょう。 だって、そうだとしたら、今の自分が幸福でないのも、望んだものを手に入れられないのも、すべて自分のせいで、環境や他の人の責任にできなくなってしまうのですからね。 そう、自分は、一生懸命にがんばっているのに、社会情勢や、足を引っ張る人がいるからダメなんだという言い訳ができなくなるのです。

だとしたら、より良くなるためには自分を変える必要があることになってしまうのです。 ある意味、これはとてもしんどいことですね。誰かの責任にして、私は不幸なんだとあきらめて何もしないことは、とても楽だったのですから。

$スカッシュコーチGのブログ

逆に、この考え方を受け容れるメリットは、自分の見方を変えさえすれば、望む人生が手に入るということです。

理不尽で不公平に思えることが襲いかかっても、自分が被害者になったと思わずに、大きな課題が与えられたと受けいれる。そして、失敗しても、辛い目にあっても、その出来事に引っかからずに、何か学ぶことはないかと捜してみる。

そんなふうに考え方を変えてみるだけで、きっとプラスの共鳴が起こってくることと思います。

朝起きたときに、「今日は、何が起こるんだろう?」と不安に思うのと、「今日は、どんな楽しいことが起こるのかな?」と期待するのでは、どちらが良いことが起こりそうな気がしますか?


TSUTAYAレンタルで何を見ようかと、レビューをチェックしていて、見つけたのがこの作品 「孤高のメス」です。

レビュー通りの映画でしたね。堤真一は好きな俳優のひとりですが、ここでも、また違う一面を見せてくれました。人の命にかかわる医師の仕事はどうあるべきか、患者の命を救うことが仕事だという主人公の法にさえ立ち向かう勇気が、あたたかくジワッと伝わってくる、そんな映画です。

$スカッシュコーチGのブログ

堤真一らしさといえば、オペ中(手術中)にかける「ド演歌」が、三丁目の夕日にもダブるところがあり、違う意味で笑えました。その都はるみの曲は、最後のクライマックスの生体肝移植のオペシーンに使われますが、最初は嫌がっていたスタッフが、主人公の人間として医師としての素晴らしさに触れていく過程で、「思う存分かけましょう!」とその手術が如何に困難なものであるかを知るがゆえに、主人公に思う存分に腕をふるってもらうためにも「アンコ椿は恋の花」が流れて、オペが始まるのです。ここ実は、笑うところではなく、ウルッとくるシーンなんですよ。(泣)

それにしても、このオペシーンは見事です!実にリアルなシーンなんですが、怖いとか、気持ち悪いとかの感覚ではなく、その状況が神聖なものにさえ見えてくるほどなのです。最後の肝移植も、本物!?かと思わせるほど、実に生々しいものなのですが、きれいなんですねえ。

$スカッシュコーチGのブログ

夏川結衣、これも好みの女優さんなんですけど・・・壬生義士伝の時の彼女を見て、ファンになったのですが、この映画では、半ば看護師の仕事をあきらめかけていた時に、主人公がやってきて、そのメスさばきの繊細でとぎれのない音楽のように進むその技と、仕事に対する彼の情熱が、周囲の人たちに大きな影響を与えていくんです。その過程で、変わり、成長していくシーンに、彼女のすがすがしいほどの演技が光ってました。それが出来る女優さんなんですね。

そして、肝移植では、脳死状態の息子の肝臓が、他の人の役に立ち、そして息子の一部が、そこに生き続けることを願って、移植を決意した余貴美子。 おくりびとの時の彼女も素晴らしいですが、ほんとにこういう葛藤する心の演技をやらせると、うまい女優さんですね。

この映画は、見る側が一気に引き込まれていき、オペシーンでは、まるで、そこに立ち会っているかのような感覚になったり、こういったスーパードクターの手技のスゴさに感動させられるという、後味のいい良作でした。 私の母も、心臓の大手術をした後なので、この映画は他人事ではない感覚で見入ってしまいました。 人間ドラマとしても、おすすめの一本です。



トレーニングしてる時に、何か、リズムが欲しい~?なと、かねてから思っていたのですが・・・

無性に、ジャネットのリズムネーション!が聞きたくなり、ituneの彼女のアルバムから、トレーニングメニューに合いそうな曲を、ピックアップをしてみたところ・・・

最初は、ランニング用にスローからアップテンポのミニアルバム構成にしたのですが、スカッシュのトレーニング中にテストで聞いてみたら、これがまた!ジャストフィットしたんですね♪

$スカッシュコーチGのブログ

その中でも、ジャネットの「リズムネーション」の曲が、ドンピシャ!にフィットしましたね♪

曲中に流れるベース音と、ボールがコートの壁に当たる音が、妙にシンクロしてたりして、コートの中で、R&Bしてました(笑)

おまけに、足の踏み込みのステップも、ロックンロール♪してたりしてですね・・・(汗)

スカッシュに音楽、意外といいかも♪・・・名付けて「スカッシュビクス」・・・もあり?かと思った次第であります♪

エビさんもお試しあれ~!? NEKOさんにアレンジしてもらうのもいいかも・・・恐縮です(合掌)

成人の日にちなんで!?

私が沖縄俗謡「十九の春」に出会ったのは、初めて沖縄に行った時のことでした。 初めての沖縄で、当時ヒットしていたのが、この曲で、EP盤をお土産に買って帰ったのです。もちろん田畑義夫が歌いだすずっと以前の話です。(笑)

そして、最近この歌にまつわる哀しい物語を知りました。

♪わたしがあなたに惚れたのは、ちょうど十九の春でした・・・♪ で始まるこの歌は、100年の長きにわたり、数奇な運命をへて歌い継がれ、現在のメロディーになったというのです。

$スカッシュコーチGのブログ

さらに、驚いたのは、私が初めて沖縄に行ったのは、昭和49年。それも、沖縄が主目的ではなく、与論島に行くための経由地だったのです。そして、その与論島こそが、この十九の春のメロディーの生誕の地であり、そこには、与論島人の深く哀しい物語があったと、驚きながら、その話に聞き入ったのです。

物語の始まりは、明治31年、与論島を襲った大型台風により壊滅状態となった島から、九州の三池炭鉱に島民が集団移住したことから始まります。炭鉱労働者として働く人々には、満足な家などはなく、路上生活を強いられ、また島人(しまんちゅう)ということだけで、迫害を受けました。そんな過酷な生活の合間に慰めとなったのが、歌って辛さを忘れることでした。

その時に歌い継がれた歌が、その後、故郷与論に持ち帰られ、そこで、島唄となり、やがて、十九の春のメロディーが完成したというのです。そこから、そのメロディーに様々な哀しみの歌詞がのせられ、沖縄や離島に渡っていったのです。

$スカッシュコーチGのブログ

機織りの出稼ぎに出た少女や、親の借金のカタに漁師の見習いに出された少年たちにより、望郷の想いがこのメロディーにのせて歌い継がれ、各地に渡っていったというのです。

この唄が与論島人の哀歌として、また、沖縄島人の哀しみが刻まれたメロディーが元になっていたことを知り、与論島に20代の頃、10年通い続けた私が、まったく知らなかった島の哀しい物語を初めて知った、という昨年大晦日の出来事でした。

♪木の葉みたいなわが与論、何の楽しみないところ、好きなお方がいればこそ、いやな与論も好きとなる・・・この与論小唄に、そんな過去が隠されていたとは・・・しみじみとしたお話でした。。。


その人が幸せかどうかを決めるのは、与えられた環境ではなくて、人生をどう捉えているか、ということになるのです。

「人生は苦しいもので、幸せを手に入れるのは難しい」

そう思っていると、うまくいかなかったことを証明することばかりが見えてきます。本当は、うまくいったことも、そうでないことも同じくらいあったのに、「うまくいったこと」は目に入りません。

$スカッシュコーチGのブログ

その代わりに「うまくいかなかったこと」「自分は不幸だということを思い知らされること」ばかりに心が引き寄せられ、「やっぱりなかなか幸福なんて手に入らないんだ」という信じ込みが強くなっていくのです。

「人生は楽しい。私は幸せだ」

そんなふうに人生を捉えていると、たとえ生まれ育った環境が恵まれていなくても、いつも自分がどれだけ運がいいかということに感謝できます。

また、たとえ不幸な出来事に遭遇しても、それは多くのことを学ぶことができる貴重な経験だと捉えることもできるのです。

$スカッシュコーチGのブログ

そう、自分が幸せかどうか、価値のある人生を送っているのかどうかは、「自分の心が決めている」のですね。

暖かく私たちを見守り、光り輝いている太陽。ときには、雲に隠れたり、嵐が起こって見えなくなることがあるでしょう。雲や嵐を見れば、今がとても不幸で辛いように思えます。

でも、雲の上では、太陽はいつでも輝き続けているのです。それを思い出せば、私たちは、どんなときでも幸せだということに気づくことができるでしょう。

もっと心を楽にして・・・あなたはもっと幸せになってもいいのですよ。


交感神経は、「昼の神経」と呼ばれ、昼間に活躍する神経です。交感神経が働くと、瞳孔は拡大し、心臓の脈拍は速くなり、血管は収縮して、血圧を上げ、体はエネルギッシュな状態になります。

自律神経は、体を動かしたり、寒さや暑さなどの物理的な刺激にのみ反応するわけではありません。精神的な刺激に対しても働きます。例えば、強い恐怖を感じた、興奮した、激しい怒りを感じた、緊張した、悩みや不安を抱えているなども、それらに反応して交感神経が働きます。

それに対し、副交感神経は「夜の神経」と呼ばれ、体を緊張から解きほぐし、休息させるように働く神経です。副交感神経が働くと、瞳孔は収縮し、脈拍はゆっくりとなり、血圧は下がり、身も心も夜の眠りにふさわしい状態になります。

$スカッシュコーチGのブログ

これら自律神経の働きは、その時々の状況に応じて体をうまく適応させることですが、それは交感神経と副交感神経の二つの神経が必要に応じて、ちょうどスイッチを切り替えるようにお互いがうまく切り替わりながら、各器官の働きを調節しているのです。そのおかげで、体や心の健康が保たれているのです。

例えば、人が森の中でクマに出会ったとしましょう。このとき、人が示す反応は、まず、クマを恐怖の対象として見ます。すると、瞳孔は大きく見開かれ、また全身は鳥肌がたっているでしょう。手には汗が噴き出します。精神的緊張による、手や額からの発汗は交感神経が支配しています。全身の筋肉、血管も収縮し、血圧も高くなります。心臓は早鐘のように、ドキドキ脈打ちます。つまり、人が外敵に対して、身構えなければならい時には交感神経が反応して、体が防衛体制を起動するのです。

また、この反応は眼に見える外敵に対してのみ起こるものではありません。人前で発表しなければならない時や、恐い上司の前に出た時、嫌いな人に出くわした時、同じように、交感神経が優位となり、緊張した状態となります。これに対して副交感神経優位では、逆に精神的にリラックスした状態になります。瞳孔は小さくなり、胃液や唾液の分泌が高まり、血管は拡張し、手や足が温かくなります。脈も落ち着き、気分も楽になっていきます。

交感神経は、「闘争と逃走」をつかさどり、副交感神経は「休息と睡眠」をつかさどるもの、とも言えます。特に、「闘争と逃走」は、面白い語呂合わせのようですが、まさに言いえて妙といえるでしょう。

$スカッシュコーチGのブログ

危険を察知した人の体は、その外敵に向かっていく「闘争本能」で制御されることもあれば、外敵から逃れる「逃走」のために、全速で逃げられるように身構えることもあるのです。
この「闘争」と「逃走」は、正に紙一重の違いといえるでしょう。 「闘争」は、外的な行動の現われであり、「逃走」は内的な行動の現われとも言えます。 これは本来の人間が持つ本能なのです。

ですが、体の防衛反応とはいえ、どちらを選ぶかは、心や気持ちが決めるものと思われているかも知れませんが、本当は、このように、神経から発しているものなのですね。

そう思うと、恐れや不安、怒りは、頭で考えるのではなく、体が反応しているのだと割り切ってしまえば、案外、楽になれるかもしれませんね。 いかがでしょう?あなたの場合は?



ろうそくは、火を灯された瞬間に、最も大きく輝きます。そして、何時間も明るく燃え続けます。でも、いつかは必ず消えてしまう運命です。大きさによって寿命は違いますが、結局は、燃え尽きてしまう時がくるのを避けることはできません。

そして、ろうそくが燃え尽きる時には、もう一度炎が大きく瞬くとも言われています。

人間も、新しい環境や初めてのことにチャレンジする時には、強い情熱が胸に燃えて、大きく輝きます。ところが、いつしかその情熱の炎はおぼろになっていき、だんだんと輝きが失われていくのです。

燃え尽きてしまう頃には、何かに裏切られたような焦りや、迷い、苛立ちを感じることもあるでしょう。

$スカッシュコーチGのブログ

求めていたはずのものが結局は手に入らず、人生で、自分だけが置き去りにされているように思えて、何かに必死に抵抗したくなるのです。まるで、消えかけたろうそくのように・・・

そんな時には、こんな思いが胸に湧いてきます。「私は、本当は何がしたかったんだろう」「こんな仕事は、私に向いていない」「毎日、同じことを繰り返していて、将来はどうなるのだ?」 それこそが、消えようとしているろうそくの最後の瞬きなのでしょう。

でも、心配することはありません。ろうそくの炎は、いくらでも燃やし続けることができるのです。たとえ、1本のろうそくでは燃え尽きても、新しいろうそくを用意すれば、炎を移せます。

新しいろうそくは、また大きく輝いて、燃え続けていくのです。 そう、ろうそくは、私たちの炎を燃やし続けるための道具で、決して私たち自身がろうそくではないのです。

ろうそくとは、私たちの「考え方」や「価値観」、「信じているもの」「物の見方」なのだと考えることもできます。

今、燃えているろうそくは、今、私たちが、いろいろなことを学んだり、気づいたりするために必要だから燃えているのです。

もし、燃え尽きたら、もはや私たちは、その段階で充分に学べたということなのです。それが、次のろうそくに火を移す時でもあります。そんな風に、炎を、次々に新しいろうそくに移しながら、私たちは、成長していくのです。

たとえ、私たちがそんなことに気づかなくても、もちろん宇宙は、ろうそくが燃え尽きてしまう前に、何とか、新しいろうそくに火を移すように、私たちをサポートしてくれます。

$スカッシュコーチGのブログ

ただ、時に私たちの目を覚ませるために、とても大きな苦痛が与えられることもあります。

そうでもしないと、私たちは、燃え尽きていく、慣れ親しんだろうそくを自分自身だと思い込んでしまい、そこにしがみついた手を離そうとしないのですから。

そうです。どうせなら、もっと楽に楽しく、前に進んでいきたいのです。「苦しみ」も「迷い」も「孤独感」も「絶望」も・・・

本当は、決してあなたに与えられた苦難ではないのです。むしろ、喜ぶべきことなのです。

だって、今までのろうそくが燃え尽きかけていて、もっと成長するために、新しいろうそくに火を移すときだ、と教えてくれているのですから・・・



本年締めくくりの「回想」を一筆したためます。



普段、息子に頼ってくることのない母親からの電話。
「こんど、大きな病院で心臓の精密検査を勧められたので、一緒にきてほしい」
心臓?もともと私と同じ不整脈をもつ母親だが何が起きたのか?

しかも大きな病院とは「慶応義塾大学病院」。さらに担当医はスーパードクター。
検査の結果は「心臓弁膜症」 一度に3種類の手術をするという大手術となった。

$スカッシュコーチGのブログ



母の心臓手術。
当初8月の予定だった手術が、容態の悪化が懸念され、7月に前倒しされた。
スケジュールが満杯のスーパードクターの日程に無理やり割りこませてもらい、手術。

身内におこった「ICUシンドローム」の実情を目の当たりに体験。極度の精神不安と緊張の連続。
私までが無意識に身体が硬直していたことに気付き、心と体がアンバランスに陥ることを体験した。



座禅修行。
今夏は、母親の大手術と、自分の2度目の出向と、公私共に、波乱の日々の連続だった。
ふと、心と体を癒し整えようと、泊まりがけで、座禅道場に参禅した。

京都、臨済宗妙心寺派「大本山妙心寺」。早朝座禅は、雲龍の天井画の法堂で、滝のような汗を流しながらの座禅。
横浜は鶴見の曹洞宗「大本山総持寺」。千畳敷の畳の大講堂で行われた、朝のお勤め(朝課)の荘厳さに身が引き締まった。

$スカッシュコーチGのブログ

そして、今年たどり着いた境地は、「今この一刻(いっとき)を生きる」
先々の想いに惑わされることなく、「いまこのいっときをいきる・・・」

春は花 夏ほととぎす 秋は月
冬雪冴えて 涼しかりけり         合掌

人生は、いつも自分の思い通りになるものではないし、時には理不尽に思える不幸な出来事に出会うこともあります。そんな時、ついつい私たちは、その問題の原因になった物や人に怒りを感じます。

犯人探しをすれば、いくらでも悪い犯人はみつかるでしょう。でも、それで問題が解決するわけではありません、自分の問題だと受けとめることができないと、何とかして解決しようという気力も沸いてきません。

あるいは、自分の運命を嘆いて、「もうどうしようもないんだ」と落ち込んだり、「自分にはその困難を解決する力はないんだ」と、諦めてしまうこともあります。そうすれば、自分の力で何もする必要がないので、ある意味、とても楽なことにもなるのです。

$スカッシュコーチGのブログ

ですが・・・その選択は、自分を小さく限定してしまうかも知れません。 次に同じような問題に遭遇したときにも、やはりすぐに諦めてしまうのです。 自分自身の大切な目標や夢を叶えることができる力を信頼できなくなってしまうのです。

逆に、どんなに大きな困難が降りかかろうとも、それを自分に与えられた試練と受けとめ、なんとか自分の力で乗り切ろうとすることもできます。

自分ができる精一杯のことをやれば、なんとか道はひらけてくるものなんです。 そして、その経験から学ぶことは、とても大きな意味があるんですね。

$スカッシュコーチGのブログ

何より、前に向かって進んでいく自分自身を信頼することができるのです。 大切なのは、自分が出会う出来事ではなくて、自分がその問題にどう立ち向かっていくかなんです。

出来事を見るのではなくて、自分にできることは何か、どうすれば自分の望む状態を創りだすことができるかを見るようにしましょう。

辛いとき、苦しいときほど、大切なことをたくさん学ぶことができます。そうです、自分の夢を実現させるために大切なことをです・・・・・・



私たちが、自分を不幸だと思ったり、人生に不満を感じているときは、たいていが「無い」ものを見ている時です。

お金が足り「無い」から、幸せになれない。他の人のような才能も力も「無い」から、ダメ。何がしたいのかわから「無い」。

「無い」ものがあるから、それを手に入れるために、がんばったり知恵を絞ったりして、成長していくことができるのだと考えることもできるでしょうが・・・

$スカッシュコーチGのブログ

でも、「無い」ものばかりを見ている限り、たとえそれを手に入れたとしても、すぐにまた別の「無い」ものが見えてくるのです。

持てば持つほどもっと欲しくなるものですし、がんばって手に入れたものは、がんばって持っていないと、失ってしまうように思えます。

どんなに才能に恵まれていても、経済的に豊かでも、「無い」ものに意識が向いている限り、お姫さまやお殿様のように、心から幸せを感じることはできないでしょう。

逆に、自分に「有る」ものを考えてみたらどうでしょうか。

得意なこと、人より少しでも優れているところが「有る」。立ったり、歩いたり、考えたり、喋ったり、できる力が「有る」。食べたり、ときには欲しいものを手に入れるだけの豊かさが「有る」。

$スカッシュコーチGのブログ

もっといろいろ自分に「有る」ものを探してみたら、どんな気持ちがしてきますか?私たちは、自分が思うよりもずっと豊かなのです。「有る」ものに意識を向けると、それが見えてくるでしょう。

まず、今、ここに生きていて、自分という存在が「有る」のです。自分のやりたいことを、やりたいと思う心が「有る」、そこに向かって進んでいこうという気持ちも「有る」のです。

そのために必要な力も「有る」、無限の可能性も「有る」のです。 そう、だから幸せだって、ずっと「ここ」にあったのですよ。