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スカッシュコーチGのブログ

スカッシュコーチの悲哀を綴ったサクセスストーリー
になるはずが、いつのまにやら禅の道に迷い込み・・・

たとえば、何かをやった結果が、あまり気に入らなかったとします。 そんな場合、 「どうして、そんなことをしたんだ?」 と聞かれると、きっと、まずこんな答えが浮かんでくるでしょう。

「だって、~したくなかったから」 「~にならないようにと思って」 これも、ひょっとしたら「人にどう思われるか」を考えていたからではないでしょうか。

逆にいうと、「人にどう思われるか」を基準に行動したから、気に入らない結果に終わったのかも知れませんね。

もし、何かをやって、そのことが自分でも満足できたときには、理由を聞かれたらこう答えるでしょう。 「だって、~したかったから」 「~になれるように思って」
 
「人にどう思われるか」ではなく、「自分」のためにがんばったからこそ、やったことを楽しめるのですね。 本当は、私たちにはわかっているのです。

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どうすれば、楽しくて満足できるのか。 どんなときに、気が進まなかったり、イヤな気分になるのか。 もちろん、人のことを考えたり、人を受け容れたり、人からのアドバイスを聞くことも大切です。

でも、何かを決めるのは自分なのです。 自分のことを、いちばんよく知っているのは自分です。 基準は、いつでも自分の中にあるのです。
 
生きることを、もっと楽しむためには、自分が心から望むこと、楽しいと感じることを基準にしてみればいいのです。と考えたとたん、この世界は、窮屈で不自由なのではなくて、大きくて自由なものに思えてきませんか。

さあ、思いっきり、この世界を楽しみましょう。 え? 今までしたことがないから、ちょっと怖いって? そうですね。 冒険は、そんな自分の枠から、思い切って踏み出す一歩ことから始まります。 そして、その一歩が、自分の世界を広げ、さらに大きく成長するということなのです。

まず、自分を信じるという、心のチャレンジから始めてみましょうか。



探しているものが見つからないときには、イライラしたり、悩んでも仕方がない。 探しているものから、ちょっと距離をおいてみたり、あきらめたり先延ばしにしてみると、ひょこっと、探しているものが見つかることがあります。

もし、見つからないとしても、それにこだわる気持ちを手放してみれば、他にもいろいろな可能性が見えてくる。 これは、私たちの人生だって同じことなのではないでしょうか。

何かに悩んで苦しむこともあります。 その状況をどうにかしようと、一生懸命にがんばりますが、なかなかうまくいきません。 そうなると、ますます悩みが深くなり、落ち込んでいってしまいますね。 でも、先ほど見たように、そんなときこそ物事に距離をおいたり、何とか解決しようという気持ちを手放したり、放っておく方がよいのです。 何とかしようとあせっても、いくらがんばっても、ダメなときはどうしようもないものなのです。

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今は、きっと時間が必要な時なのでしょう。 あるいは、時期ではないのかも知れません。 そんなふうに、悩んだり苦しんだりする気持ちから自由になってみると、忘れた頃に事態が好転したり、思いがけない解決法が思いついたりすることがあるものなのです。

だって、悩んだり苦しんだりしたのは、自分が何かにこだわる気持ちがあったからですよね。 「こうならなければならない」 「こうあるべきだ」 「こんなことは、あってはいけない」 そんな気持ちを手放したときが、私たちが、ひとつ大きくなった時なのです。

悩んだり苦しんだりするときは、心がもっと楽になろうとストレッチしているとき。 ゆっくりと、自然に、自由に、のびのびとストレッチさせてあげましょう。 あなたは、悩むためではなくて、もっともっと生きることを楽しむために、この世界に生まれてきたのですから。



あるお坊さんが、大勢の人の前で、お話をすることになりました。 「どんな人だって、それぞれ存在する意味がある。ひとりひとりが大切で、かけがえのない価値を持っている」 そんなことをわかってもらいたいと、何日も前から、話の内容を考えました。

何を話せばいいのか? どんな順番で伝えれば、わかってもらえるのか?お坊さんは、苦心して何度も何度もお話を練り直し、やっと納得のいくものに仕上げることができました。

そして、人々の前に立ち、意気込んで話しはじめようとしました。 するとその時、1羽の小鳥が舞い降りてきて、お坊さんの肩にとまったのです。 小鳥は、お坊さんの肩の上で鳴きはじめました。 美しい澄んだ鳴き声で、楽しそうにさえずるのです。

お坊さんも、大勢の人たちも、ただ、そのすばらしい鳴き声に聞き惚れました。 しばらく鳴き続けたあと、小鳥は、静かに飛び立っていきます。 その姿を見送っていたお坊さんは、やがて人々に向かって、微笑みながらこう言いました 「今日のお話は、これで終わります」。

ひとつだけ知っておいて欲しいことがあります。 あなたが、かけがえのない大切な存在なのは、いい家庭に生まれたからでも、 有名な学校を出たからでも、社会的地位の高い仕事をしているからでもありません。 価値あることをしたから価値があるのではないし、重要な立場にいるから重要なのでもないのです。

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たったひとつ、あなたがあなたでいるからこそ価値があるのです。 だから、無理をしてまで、一生懸命に何か有意義なことをしようとしたり、 世の中の役に立とうと思ったりする必要はありません。

生きる意味を追い求めることも、人のために尽くすこともしなくていいのです。 苦しい思いをして、大きな目標を達成しようとしたり、いつもがんばっていることだっていりません。

人と自分を比べて、自分を小さくしてしまうこともやめましょう。 あなたの前には、いつも、いくつかの道があります。 そのいずれもが、最後には、あなたの行くべき所へ通じています。 ただ、近い道と、遠い道があるだけです。

あなたは知っているはずです。 どの道が、いちばん早くて楽に、行くべき場所へたどり着けるのか。 そして、どの道が、遠くて険しい道なのかを。

ところが、自分自身を生きていないと、本当の道が見えなくなってしまうのです。 人が行く道が正しい道だと思ったり、険しい道こそ進んでいく価値があると考えたりしてしまいます。

自分には小さな道がふさわしいと、勝手に思いこんでしまうこともあるでしょう。 もう、遠い道を選ぶのは終わりにしましょう。 本当の近道だと知るために、あえて、そんな遠回りの道を選んだこともあったかも知れません。

でも、今は、もう充分わかっているでしょう。 いつまでも苦しむことはないのです。 ただ、自分の大切さを受け容れて、噛みしめてください。 あなたが行きたい道を、いちばん楽しめる道を、自分の足で歩いていきましょう。 それが、この世で、いちばん価値があることなのですから。




トラブル、問題、不幸な出来事、あるいは身体の不調やイヤな気分。 これらは、本当は、私たちに何かを教えてくれる「メッセージ」なのです。 それらは、私たちにとって、気に入らないことや納得できないことばかりかも知れません。 ときには、恐怖や不安を感じるものもあるでしょう。

でも、その「メッセージ」を思い切って受け容れてみれば、より良く成長することができます。 否定したり見ないようにしていては、何の解決にもならないばかりか、もっと大きな問題がやってくることにもなります。「メッセージ」を携えたメッセンジャーを、いくら追い返したり痛めつけたりして勝ったつもりでも、あなたに気づいてもらえるために、何度も別な形でやってくることになるでしょう。

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いくら不安になるように思えることが書いてあっても、今までの自分では理解できないような気がしても、何も恐れることはありません。 「メッセージ」は、私たちを打ちのめすためではなく、成長するきっかけを与えてくれるために送られてきたのですから。

逃げずに受け容れてみれば、そこには、どうすればもっと良くなれるのか、本当の自分でいられるのか、自分の進む道はどこなのかが書かれているのです。勇気をもって受け入れれば、今の苦しみも、すべてあなたをサポートして、大きくなるためのメッセージだということに気づくことでしょう。

ときに、私たちは、自分のあるがままの姿を見ることがあります。それは、自分がとてもいい気分になったり、楽しかったりするときに気づくのです。 「今日は、人に優しくしてあげられた。うれしい」 「一生懸命にピアノを弾いていて、楽しくて時間のたつのも忘れてしまった」 そう、そんな、心がほっこりするときが、そうなのです。

あるいは、人に教えられたりします。 「料理がとっても美味しいですね」 「あなたは、人にものを教えるのがとても上手ね」 感じて楽しい、聞いていてうれしいことは、本来の自分の姿を映し出しているのですから、それはちゃんと受けとりましょう。

でも、多くの人は、すぐにこんなことを考えてしまいます。 「人に優しくできたけど、もう少し気のきいたことばをかけてあげれば、よかった」 「料理が、ほんの少し焦げてしまった。もっと気をつけないと」 すると、あるがままの自分に、いらないものやホコリを付けてしまうことになります。

せっかく本当の自分が見えたのに、すぐにそれを隠してしまうのです。 そんなことをしていては、いつまでたっても、本当の自分の姿で輝くことはできません。 どうして、いらないものやホコリが、付いてしまうのでしょう? それは、いったいどこからくるのか? どこからでもない、きっと、私たち自身の心が創りだしているものなのです。

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たとえば、私たちは、知らず知らずのうちに、評価したり比較したりしています。 「ピアノを弾いて楽しかった。けれど、プロになれる才能があるわけじゃなし、時間の無駄だったかも」 「教えるのが上手だといわれても、先輩のあの人の方が、ずっと上手く教えている。私は、口ベタだから、キチンとできない」

これは良い悪い。 ここが足りない、これはいらない。 あの人に比べて私は。。そんな評価や比較をするたびに、いらないものを身にまとい、ホコリを積もらせることになるのですね。

もっと自分らしくいたかったら、評価や比較はいりません。「ああうれしかった」 「うまくいった」 そう思ったら、それだけでOK。 その後は、必要ないのです。

人から褒めてもらったら、ただ、そのプレゼントを受け取りましょう。 付け加えることもないし、謙遜したりすることも必要ないのです。

もともと、私たちは、何も評価したり、比較したりすることはないはずです。 いらないものを捨て、付いてしまったホコリを払って、ただ自分自身でいること、それより大切なことなんてどこにもないのですからね。

子供が、遊びに出かけるときに、母親は「転ばないように気をつけなさい」「ケガをしないようにね」などと声をかけますね。

これは、いいことなのですが、ある意味において、「転ぶ」ことや「ケガ」をすることを子供に意識させてしまい、かえってその現実を引き寄せてしまうことがあります。

さらに、実際に転んでケガをするだけならいいのですが、度が過ぎると、「転んではいけない」「ケガをしてはいけない」という思い込みが強くなってしまうこともあります。

その思い込みを持ったまま成長した子供は、頭で意識はしていなくても、失敗したり、挫折したりすることを、どこかで恐れてしまうようになるのです。

その結果、「大きなことにはチャレンジせず、無難な生活を送る」「ちょっとした失敗で、すぐ挫折して、自分に絶望してしまう」人々が多くなっていきます。

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ちょっと大げさな気もしますが、これは真実ではないでしょうか。

だから、ある方のお母さんは、子供が遊びに出るとき、「転んだら、ちゃんと起き上がるのよ」などと声をかけるそうです。

そうですね。

転んだって、ケガをしたって、失敗したって、それは何も問題ないことなのです。むしろ、そのまま倒れたまま、いつまでも立ち上がることができないことのほうが問題なのです。

「転んだら、ちゃんと起き上がるのよ!」

今日は、このメッセージを胸に、気楽に生きてみてみますか!?

持って生まれた運命や才能は、固定されたものではなくて、自分の力によって変えていくことができるのです。

もちろん、生まれた環境や持ち前の才能を最大限に活かし、大きな成功を手に入れたり、幸福に生きている人もいるでしょう。

でも、そんな環境や才能とは関係なく、もっと心が燃える関心事があったり、魂が疼く大きな夢を持つ人もいます。道は険しくても、どうしても、自分が望む目標を達成したいとがんばっている人も。

足を引っ張る悪条件も、できない理由も、考えてみればたくさんあるでしょう。

そもそも、その夢を叶える力が自分に備わっていないと思えるような時だってあるでしょう。

それでも、自分自身を信じて、自分の道を歩いていけば、たとえ生まれ持った運命でさえ、変えていくことができるのかも知れません。

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と考えてみると、ちょっと勇気が湧いてくるような気がしませんか。

否定することからは、何も良いことは生まれない。それどころか、ネガティブな流れを創りだしてしまう。

自分が抱えている問題を振り返ってみれば、たいていは、何かに抵抗していたり、否定するところから始まっていることに気づくのでは。

大切なのは、まず受け容れてみること。

辛いこと、苦しいこと、そして、うれしいこと、幸せを感じること。自分に与えられたものを受け容れて感謝するところから、道は開けてくる。

このメッセージを受け容れて、自分が望むところに向かって、自分の足で、自分の道を歩き始める。




執着をなくすとは、そのものに対して、完全に思いを捨ててしまうということです。

自分の持ち物、たとえそれが自分の体の一部であったとしても、あげてしまったのなら、それがどうされようとも気にしてはいけません。

でも、そこで怒りを感じてしまえば、あげてしまった後でも、それに執着を残しているということになってしまうのです。

こだわりや執着をなくすことが、楽に生きるためには大切だと言われたりします。

それはいいのですが、そう聞くと今度は、「こだわってはいけない」「執着してはいけない」と強く思ってしまって、少しでも自分がこだわったり執着していることに気づくと、これではダメだと自分を責める人がでてきます。

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つまり、「こだわってはいけない」「執着してはいけない」ということに「こだわったり、執着したりしてしまう」のです。

楽に生きるために、こだわりを捨てようとしているのに、新たなこだわりを創りだしてしまっているのなら、何の意味もありません。

こだわってしまってもいいのです。執着してしまうことも、仕方がないでしょう。

ただ、こだわっていたり、執着している自分に気づくことができればいいのです。今、苦しさを感じているのなら、それがどこからきているのかがわかればいいのです。

手品のタネがわかっていれば、ただ翻弄されているだけでなく、どうすればいいのかがわかってくるでしょう。

こだわりをなくすことが目的ではなく、楽になることが、いちばんの目的なのです。


「どうして私だけが、こんなにつらい思いをしなければならないんだ」 悩みを抱えてしまうと、私たちは、どうしてもそんなことを考えてしまいます。

悩みの原因は、人それぞれなのですが、ひとつのことに心がひっかかると、そればかりしか考えられなくなってしまいます。この問題さえなければ・・・あの人さえいなければ・・・そして、「いつも自分だけが」と自分を嘆くことになってしまうのです。

ひょっとしたら、そんなとき私たちは、ひとつの方向へ向けた望遠鏡の中に、見ているものがうまく収まらないから、苦しんでいるのではないかと考えてみましょう。

たとえば、車に乗っていて渋滞に巻き込まれたとしたら、「急いでいるのに!」「なんで渋滞なんかするんだ!」などと思ってしまいます。これは、「車は、予定した時間に目的地につかなければならない」という方向に望遠鏡が向いていて、そこに現実がうまく合わないからイライラしてしまうのですね。

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そんなときには、あれこれ悩んで焦点を合わせようとしても、ますます苦しくなるだけです。それよりも、ちょっと深呼吸して、その望遠鏡から眼を離してみてはどうでしょうか。

そして、心に余裕を持って、少しだけ望遠鏡をズラしてみるのです。すると、「これは考え事をするには、いい時間だ」 「ちょっと身体をリラックスさせるのにちょうどいいな」と、また違った考えも生まれてきます。

今までどうしようもないと思っていた問題も、苦手で顔を見るのもイヤだと避けていた人も、ちゃんと焦点を合わせて、受け容れてみれば、意外といい解決法が見えてくるかも知れませんよ。

あなたが乗り越えられない問題は、あなたの前には現れないものなのです。 辛いこと、苦しいことに出会ったら、悩んでいるより、とにかく深呼吸して、そこから目を離してみましょう。すると、視野がひらけて、今まで見えなかったことも見えてきたりするものなのです。

私たちが見ようと思うほど、受け容れようと思うほど、世界は拡がって多くのものが見えてくるものなのです。



「本当はやりたいことがあるけれど、会社を辞めることはできない」「どうしても好きになれない嫌な人がいる」

そんな「問題」が目の前に差し出されているとします。いくら頑張っても、どんなに一所懸命努力しても解決できないと悩んでいます。

だったら、今までの自分のやり方では解決できない、ということなのかも知れません。

「会社を辞めることはできない」そう思って苦しんでいるのは、どうしてでしょう。

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『社会は厳しい。定職がないと生活のための収入を確保できない』『仕事でも何でも、途中で投げ出すのは、いけないことだ』『やりたいことをやって生きていけるほど、世間は甘くない』

ひょっとしたら、そんな思い込みがあるから、その問題の解き方がわからなかった・・・ということなのではないでしょうか。

もっと心を自由にして、広い視野から問題を眺めてみれば、新しい答えも見つかることもあるでしょう。

「嫌な人を、好きにはなれない」・・・どうして好きにならなければいけないんでしょうか?

『どんな人とも仲良くやっていかなければならない』『敵をつくると、生きるのが苦しくなる』『誰からも好かれたい・・・』

そんな思いに縛られていては、この問題には、対処できません。

きっと悩み苦しんでいるときは、人生の学校で、ひとつ上の学年に進級するときなのでしょう。これまでは、今の自分で、充分、目の前の問題に答えることができていました。

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でも今は、新しい思い、今までよりも大きな意識を持つことが必要なのかも知れません。

その問題は、それを教えてくれるキッカケなのです。そして、解決できない問題が、あなたに与えられることはないのです。

学生時代の「算数」や「数学」は苦手だった人も多いとは思いますが、人生の問題には、楽しみながら立ち向かいましょう。もし今ここで、その問題を見ないように抑え込んでも、進級するための追試を、何度も受けることになってしまいますよ。

もちろん、導き出した答えが、いつも正しいかどうかはわかりませんが、その過程で学ぶことこそが大切なのです。

その問題を乗り越えたときには、あなたは、今よりもっともっと成長して、さらに大きなことにチャレンジしていくことができるようになっているはずなんですから。