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スカッシュコーチGのブログ

スカッシュコーチの悲哀を綴ったサクセスストーリー
になるはずが、いつのまにやら禅の道に迷い込み・・・

穴に落ちてしまいました。どんなふうにして落ちたのかは、よく覚えていません。突然、足元が崩れたようにも思えます。気がつくと、ほの暗く、冷たい穴の底にいたのです。身体のあちこちが痛みます。落ちたときに、どこかを怪我してしまったのかも知れません。今は、ただ、穴の底に横たわっているのです。

しばらく、自分がどうして穴に落ちたのか、何があったのか、どんな原因で落ちることになったのかを、思いだそうとしてみました。でも、気づきました。いくらそんなことに思いを巡らせていても、何の意味もない。今は、どうすれば、この穴から出ることができるのかを、見つけることが肝心だ。

ずいぶん、時間を無駄にしてしまったような気がします。横になったままで見上げると、穴の出口はとても遠くにあるように見えます。とても、あそこまで登っていくことなど、できそうもありません。

穴に落ちたときに負った怪我が、大きいとしたら、大声を出して助けを求めた方がいいのでしょうか。それとも、しばらくじっと休んで、体力が回復するのを待って、少しでも穴から、脱出する努力をするべきでしょうか。横たわった状態では、壁の様子がよく見えず、登っていけるかどうかはわかりません。

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そうしているうちに、ふと、底に近いところに、横穴があるのが見えました。あそこなら、何とか這いながら入っていけそうです。でも、横穴のなかは、尖った岩がたくさん突き出ているようです。それに、もっと深いところへ通じていそうで、さらに悪い状況に落ち込んでしまいそうにも思えます。

だけど、穴から出るためには、その横穴に入るしかないような気がします。そこに入ると取り返しがきかないとわかっていながら、この状況から逃れるために、思わず引き込まれていきそうになるのです。

どうしようか迷っているうちに、少し痛みが和らいできたので、少しずつ身体を起こしてみようとしました。とても辛かったのですが、どうにか座る姿勢を取ることができました。すると、今まで見えなかったことも、僅かずつ、見えはじめてきたのです。

穴は、思ったよりも高くないこと、そして、壁の少し上方には、手がかり足がかりになりそうな岩が、連なっていることなどです。

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がんばれば、何とか登っていけそうだ!少し、希望が湧いてきました。もちろん、身体が言うことを聞かないので、思うように起きあがることは、なかなかできません。途中で、辛くなって、何度も、もうあきらめてしまおうという気持ちが湧いてきます。

それでも、ただ、この苦しい穴から出るために、ゆっくりと自分のできるペースで、立ち上がろうとし続けました。時間はかかりましたが、ついに立つことができたのです。あとは、岩に足をかけて、壁をよじ登って行くだけです。

まだ、先はありますが、ここまで来れば、もう大丈夫でしょう。それに、穴の外からは、かすかに人の声も聞こえてきます。気づかなかったけれど、意外に近くに誰かがいるようで、いざとなったら、叫んで助けを呼ぶこともできそうです。

穴から出たら、今後、同じ過ちを繰り返さないために、どうして穴に落ちたのかを振り返ってみたいと思っています。そして、この経験から、自分が学んだことを、もう一度、噛みしめて、もう一回り大きくなりたいものだと考えています。

悩んだり、傷ついたり、落ち込んだりするのは、穴に落ちたようなものなのかも知れません。立ち直って、さらに大きくなるというのは、こんなことではないでしょうか。生きているんだもの、ときには、穴に落ちることもあるでしょう。だけど、外へ出るための道は、必ずあるのですよね。



はるか遠くの山々で生まれた小川が、長い旅の末、広大な砂漠にたどり着きました。小川は、それまでさまざまな土地を流れて、数多くの障害を乗り越えてきたのでした。

森や草原、固く乾いた地面。倒木に行く手を阻まれたこともありました、大きな岩にぶつかったこともありました。そのたびに小川は、ただ流れ続けることによって、そして、ときには、雨を受けて激流となることによって、すべてを克服したのです。小川は、前に流れ続けることによって、いつかは目標とする場所へ行くことができると信じていました。

それは、まだ見たことはないけれど、たくさんの仲間が集まっているところで、「海」とか「湖」とか呼ばれるところなのです。

「この先に、私が目指している場所がある」 砂漠の前で、小川は、そう確信しました。そして、今までと同じように、この障害も乗り越えてみせようと、砂漠に流れ込んでいったのです。

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ところが、すぐに砂漠の中に吸い込まれてしまいました。何度、流れ込んでも、同じことでした。僅かに降る雨を伴って、大きな流れになってもみましたが、やはり、少しばかり進むと、水がすべて消えてしまうのです。 小川は途方に暮れました。もう、どこへも行くこともできないのです。

そのとき、砂漠の砂の中から、こんな声が聞こえてきました。「風は、砂を越えて、どこまでも渡っていける」それを聞いて、小川は、こう叫びました。「風は空を舞うからこそ、砂漠を渡れるのだ。私は、空を飛ぶことなどできない。ただ、このまま砂に飲み込まれていく運命なのだ」

すると、砂の中の声は、こう囁きます。「そうだ。これまでのやり方で突き進んでいっても、砂漠を越えることはできない。本当に、行きたい場所へたどり着くには、風と共に進むことだ」

「いったい、どうすればそんなことができるというのだ」 小川が言うと、声が答えます。 「自分を変えて、風の中に飛び込むのだ」

小川にとって、それは受け容れがたいことでした。今までずっと、自分のやり方で前に進んできました。もちろん、何かに飛び込んだこともなかったし、自分を変えようと思ったこともなかったのです。自分という存在を大事にしたかったし、もし、自分を変えたとしたら、もう一度、今の自分に戻ることができるのか。

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「風は、水を持ち上げて、砂漠を越え、また地上に降ろすことができる。水は、雨として落ち、再び地面を流れることができる。どちらにせよ、お前は、今の姿であり続けることはできない。今のままでいることを選んだとしたら、やがて、すべて砂漠にのみ込まれてしまうだろう。お前は、自分の本質を知らないから、今の小川という姿に固執しているだけのことなのだ。

自分の本質に気づけば、変化をしたとしても、やがては、ふたたび小川に戻ることができるだろう」 それを聞いて小川は、自ら変化することを選びました。覚悟を決めて蒸発し、風の中にとけ込んでいったのです。

風は、やさしくその蒸気を受け止め、抱きかかえたまま、砂漠の果てまで飛んでいき、そして、静かに雨を降らせたのでした。 小川の、新しい旅を祝福するために・・・今が自分に変化を起こすとき。そして、自分の本質に近づくことができるとき。 きっと、そんなことを教えてくれているのでしょう。


去年のこと。 桜を見に行きました。 満開の頃を、かなり過ぎていたので、花はかなり散ってしまっていました。 それでも、今年も桜の花は、私の目を楽しませてくれます。 風に舞い散る薄桃いろの花びらにも風情が感じられて、心が和みます。

ところが、近くで桜を見ていた人が、こんなことを言ったのです。 「もう桜も終わりだね。数日前に、来たときには、満開で本当にすばらしい眺めだったよ」

その一言で、私が見ていた光景が、少し変わってしまいました。 『満開の桜を見逃してしまった』 『もう少し早く見に来ていれば、もっと美しい桜を見ることができたのに』 そんな思いが湧いてきて、もうそのままの桜を楽しむことができなくなっていたのです。

ふと気づきました。 さっきと同じ桜が目の前にあるはずなのに、今見えているのは、満開で美しいときを見逃してしまった桜になっている。

満開の桜は、もちろん美しいでしょう。 見ておけばよかったでしょう。

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だけど、今、目の前にある桜だって美しい。 比べる気持ちがなければ、最高に楽しめるはずです。

ひょっとしたら、他にも同じようなことをして、ネガティブに感じていることもあるのではないでしょうか。 きっと、あるがままに見てみれば、この世界のすべてのものは最高にすばらしいのでしょう。

今日は、こだわることも、比べることも手放して、ただ、探してみましょうよ。

目の前のこと、知っている人、そして、あなた自身のステキなところを。 それを感じることが、幸せの種をまくことになるのですから。

春は確実に近づいてきています。 まもなく桜・・・

苦痛な状況や、やりたくない仕事。 傷つけ合う関係や、心にトゲ刺す思い出。 できれば、すぐにでも逃げ出したいのですが、多くの人は、そんな苦痛を握りしめて、離そうとはしないのです。

本当は、他にもっとやりたい仕事があるはずなのに、その人と一緒にいるより、もっと大事にしたいことがあるはずなのに、そこに留まっている。

自分を責めてしまうのがわかっているのに、過去の辛い記憶を反すうしてしまう。 なぜか、そんなことをしています。 そして、そんなときは、たいていが自分を信頼できない時なのです。

自身を失っていたり、自分の価値を認められなかったり、自分のイヤなところばかりを見ていたり・・・

そんな苦痛の中にいると、なぜか見えるものが見えなくなり、ずっと同じ場所を選ぶことしかできなくなってしまうのです。

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そんな悪循環から抜け出す、いちばん効果的な方法は、「自分が、本当に望んでいるものを見ること」 です。

居心地のよくない場所からは早々に立ち去り、優先したいことがあるのなら、それをハッキリと告げる、本当にやりたいことを始める。
苦痛から離れるためには、苦痛を見るのではなく、自分の心が前向きになることを選べばいいのです。

私たちには、いつも選択する権利が与えられているのです。
① イヤな場所に留まり、ストレス一杯に生きること
② 心がウキウキするようなことを、始めること

決めるのは、他の誰でもありません。 自分の生き方は、私たち自身だけが、自由に選ぶことができるのです。



最近、会社の業績が良くないらしい。社内でいろいろな噂がたっていて、リストラされるのではないかと恐れている。 リストラされて、すぐに仕事がみつからなかったらどうしよう。 同じくらいの収入を得ることはできないかも知れない、苦手なことをやることもあるだろう。 新しい職場での人間関係も、どうなるのだろう・・・

愛する人とケンカしてしまった。 嫌われてしまうような気がして、とても心配だ。 あれ以来、電話もかかってこない。今さら謝っても、許してくれないかも知れないし、もし別れることにでもなったら、いったい、どうしたらいいんだろう・・・心配したり、恐れたりすればするほど、元気がなくなって、心も身体も疲れてきます。そんな感情は、どんどん私たちのエネルギーを奪っていってしまうのです。

なぜそうなるかというと、何が「事実」で、どれが「想像」なのかが、はっきりしていないことが問題だからです。 もし、「事実」がはっきりと明確になれば、それに対して行動を起こせるでしょう。

最初にあげた例では、どこまでが「事実」で、何が「想像」なのでしょうか。失業しないかどうか恐れている代わりに、他の仕事や自分の能力について、さまざまな可能性を検討することもできるでしょう。 また、愛する人の気持ちが心配ならば、思い切って聞いてみてもいいでしょう。

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どちらにせよ、「事実」を明確にすれば、「今」、自分にとって何をすることがベストなのかが見えてきます。 過去を悔いたり、未来を恐れて、「想像」ばかりしてエネルギーを浪費していては、「今」を豊かに生きるための大切なエネルギーを使うことができません。

前も見えない濃い霧が立ちこめているとき、たとえ、その霧が数百メートルの範囲で広がっていたとしても、その水分量は、コップ1杯分ほどにしかならないのです。あなたの心配も、同じことではないでしょうか。 ほんの少しの水のような不安を、「想像」でどんどん膨らませて、大きな霧にしてしまってはいませんか。

「事実」を見るのは、少し怖いかも知れません。 でも、濃い霧は、前に進まない「言い訳」になっているのかも知れませんね。

でもね、今日は、不安の霧を払って「事実」を見つめてみましょう。 あなたのエネルギーは、「今を楽しむ」ためにあるのですから。 本当のあなたらしさを手に入れるためにあるのですからね。


人の脳は、ある意味、高性能コンピューターみたいなもので、いったん投げかけられた質問には、何とかして答えを出そうとします。意識では、答えを期待していなかったり、どんなに意味がない質問でも、一生懸命に答えを探そうとするのです。

そして、「どうして~になったんだ」とか「なぜ~をしてしまったんだ」という質問は、私たちから元気を奪っていきます。これは、犯人探しをするときの質問です。いきつくところは、誰かを悪者にして自分が犠牲者だという結論になるか、悪いのは自分で、どうしようもなくダメな人間だと思い込むしかなくなってしまうのです。

本当は、誰も悪くはないはずなのに、脳のコンピューターは、「犯人を見つけろ」と命令されたから、自分の中にある状況証拠で、悪い奴を探し出しただけのことです。

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今、生きるのが辛いとか、自分に自信を持てないと思っている人は、たいてい、無意識のうちに、自分自身にこんな質問をしているのではないでしょうか。それは、次のような思い込みを持っているから、ということが多いようです。

「自分は完璧でなくてはならない」「失敗などしてはいけない」 そんなことが頭のなかにインプットされているので、脳は、その思い込みを前提として、犯人探しをはじめます。
「完璧で失敗などしてはいけないはずの自分が、失敗をしたからには、誰か原因を作った者がいるはずだ」と、誰かを犯人に仕立て上げます。

あるいは、「完璧でいるべき自分が間違いを犯してしまった。これは自分がダメになってしまったからだ」と、自分が悪者だと結論づけるのです。どちらにしても、これでは元気もでないし、とても生きることを楽しめるはずがありませんね。

完全な人間でいることは、結構辛いことなのです。では、今度は、さっきと同じ過去の失敗体験を思い出しながら、次のような質問をしてみてください。

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「私は、その経験から、どんなことを学べるだろうか?」 「次に同じ状況に出会ったら、どうすればもっとうまくいくだろうか?」 その質問にも、やっぱり脳は答えを出そうと努力します。 今回の質問は、自分の前向きな気持ちを引き出してくれます。

もうおわかりですか?こんな質問ができるためには、自分が失敗をしたり、間違いも犯す人間だということを、受け容れなければなりません。

「失敗してあたりまえ、思うようにいかなくても仕方がない」そんな不完全な人間だからこそ、もっと良くなるために、いろいろなことを学んでいくのです。 それこそが、より良く生きる、ということなのでしょう。あなただって、失敗の1度や2度、いえ10や20はしたことがあるでしょう。

犠牲者になったり、ダメな人間だと思うことはもう捨てて、そんな失敗だらけの自分を受け容れてあげましょう。もっと楽しく、より良く生きていきましょう。完全でいようと、無理にがんばっている必要はないのです。不完全で不十分でも、欠点ばかりでも。あなたは、あなた自身でいるから、素晴らしいのです。

人生ではいろいろなことが起こります。いつもいつも元気でいようとしても、これが、なかなか難しい。

ところがよく考えてみると、「元気」の元は、「もと」ということで、その人の「気」が、「もともと」あるがままの状態になるということになります。こっちの方が、本来の姿だということができます。それを、いろいろな原因で、元気でいられなくなって、エネルギーを失ってしまうことになるのです。

たとえば、イヤなことがあって、そのことばかりが気になってしまったり、いつまでも怒りや恨みを持ち続ける。そんな状態が続けば続くほど、強く意識すればするほど、エネルギーがそっちに向かうわけですから、「元気」でいることはできません。

気づいていただきたいことは、そのイヤな出来事が、エネルギーを奪っているのではなくて、それを気にしている「自分」がエネルギーを、どこかへ流してしまっているということです。

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あるいは、未来へ心が向いてしまい、「ああなったらいいな」「こうしていきたいな」と、いつも思っている。それも、まだ来ていない未来にエネルギーを取られることになるので、「元気」になれません。これもやっぱり、自分自身の思いが原因です。

また、何かに執着したり、目の前で起こる出来事に無関心でいることも、結構エネルギーを失うことになってしまいます。さらに、だからといって、何もせずにじっとしていることも、エネルギーはどこかへいってしまって、「元気」がでません。

だって、自分が本当に楽しいと思うことをやっていないのですから・・・もうおわかりでしょう。「元気」でいられないのは、自分が、今の自分を受け容れていないから。過去の出来事を思っては、「ああだったらよかったのに」と、そのときの自分を否定します。

未来の自分を夢想して、今の自分を認めないことで、本来のエネルギーが、どこかへいってしまうのです。「元気」でいるためには、もっと思うような人生を生きるためには、そんないらないものを捨ててしまうことが大切なのです。

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「ああしておけばよかったのに」とか、「こんな人になれるといいな」とか、「これはこうあるべきだ」とか「今の仕事がイヤ」とか「自分のこんなところが嫌い」とか「あの人と比べて私は」とか・・・

そんなものを、すべて取り去ってみればいいのです。そう、これは、今の自分を、そのまま認めて受け容れるということ。つまり、自分自身を「好きになる」ということですね。

なるほど、自分を好きになるって、何かを「する」んじゃなかったんだ。ただ、いらないものを「手放す」だけのこと。そこからはじまるのです。




フォアハンドのショットでは・・・
「ラケットが下がってる」「右肩右足が壁になってない」「打点をもっと前に」「フォロースルーが巻いてる」「ボールをサイドウォールから離さない」・・・・・

バックハンドでは・・・
「自分のボールを追えば、そこに相手もいる」「頭から膝の空間スペースをうまく使う」「肘から出るとラケットが遅れる」「直線で下がらない」「長いボールは、二歩下がぅて一歩前で打つ」・・・・・

(ん?EBIさんのブログと同じフレーズの書き出しになって・・・るかな?)


大阪から北新横浜まで飛行機と電車を乗り継いで、初めて!?のプライベートレッスンを受けに行った!? のでありました!・・・が、まあ、指摘?されたことは、日頃私が、関西の学生に言ってることと「そのまんま同じこと」を言われたのでありました。(汗汗)

それでも、ポジティブシンキング?な私としては、「よっしっあ!独学で学んだ理論は正しかったあ!」と喜んだのであります!・・・実際、今回のレッスンは、自分の理論があっているのか?のお試しでもあったわけで、その目的は達成したということで、大満足なのであります。(がっつり)

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それにしても、クルリンまつげのCちゃんは、すご~くフレンドリーで、空きのコマの間でおしゃべりもできて、10年前の懐かしのジャパンオープンのポロシャツにサインしてもらって、すっかり「ひ~は~♪」してしまった私なのでありました。。。(嬉)

ふだん球出しばかりしている私が、プロに球出しされて、真面目に練習させていただいた!?おかげ?さまで、背中、腰、お尻が、バリバリパンパン(痛)になり、ちっと動くと「イテテ、イタタ(泣)」となるほど、近年まれにみるほどの筋肉痛に襲われている始末です。(大爆笑)

はてさて、次回、クルリンまつげのCちゃんとのPLは、いつのことになるやら?・・・ぜひとも、次回は「馬刺し」付で~♪ (この意味わかる人は3人だけやね・・・)
誰でもひとりやふたり、怒りや憎しみが湧いてくる相手がいるものですね。過去に、意地悪をされたり、裏切られたり、心ない言葉を言われたのかも知れません。

こちらは何も悪くないのに一方的に責められたり、バカにされたり、冷淡な態度をとられたり・・・その相手の顔を思い出すと、身体が熱くなってきます。 「私の方が正しいのに・・・絶対に許せない!」 どう考えても、そうなのです。

ふとしたときに、そんな記憶が蘇ってくることもあります。 あるいは、普段は見ないように押し込めて、忘れたふりをしているのかも知れません。

いずれにせよ、そんな過去が、そこに存在するだけで、心のどこかを圧迫されているような気がします。

考えるだけで、思わず拳を握りしめているのです。 その拳は、何を握っているのでしょう? 一生懸命、何をつかんでいるのでしょう?

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あなたには、許せなかったのですね。 自分が正しいと思っているものを踏みにじられたことが。 自分自身の価値を否定されたことが。

だけど、もういいのですよ。

いつまでも握りしめて守り続ける必要はありません。 その経験から、あなたはいろいろなことを学んだのですから。

今はもう、そんなにがんばって守っていなくても大丈夫。 もっともっと、あなたは大きくなっているのですから。

握りしめた手を開いて、もっと自由になりましょう。 もっと大きな世界を楽しみましょう。

過去の傷を忘れたり、押し込めたりするのではありません。 ただ、自分がそれを受け容れられるほどに、大きくなったことに気づくだけでいいのですよ。


スマートボールというゲームがあります。狙いを定めてボールを弾くのですが、ボールが全然違う方向へ飛んでいってしまったり、釘に当たって跳ね返されたり…絶対入ると思ったボールが、穴の端に引っかかって入らなかったりすることもあります。そうかと思うと、変なところへ飛んだボールが、釘に当たったおかげで穴に入ったりするのです。ボールが穴にはいるのか入らないのか、ワクワク、ハラハラする、楽しいゲームです。

こんなに面白いゲームですが、あるちょっとしたことをするだけで、簡単に楽しくないものにすることができます。その方法とは、「絶対に、ボールを穴に入れなければならない」と思うことです。弾いたボールが、どこへいくのかを、ただ楽しんでいる限りはよいのですが・・・

「絶対に、穴に入れなければならない」と考えた瞬間、ただボールの行方を楽しむというわけにはいかなくなりますね。必死でボールが行くところを目で追って、思うように進まなければイライラして、次にボールを弾くときには、今度は失敗しないように、一生懸命集中します。それでも、うまくいかなければ、「この釘が邪魔なんだ!」と、うまくいかない理由を探そうとするでしょう。そして、ついには、ボールを打つことにも悩みを感じるようになってしまいます。 

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「いったい、どうすればいいんだろう?」 そんな悩みをいま抱えている人は、ひょっとしたら、スマートボールで絶対に穴に入れる方法を探しているのと同じ状況なのかも知れません。「私は、いったいどうすればいいのだろう?」 そんなことを思う人は、「絶対にこうしたい!」と願う「結果」があって、そのためにどうすればいいのかで悩んでいるのです。

「絶対に、~にならなくてはならない」そう思う度合いが強ければ強いほど、 「それを実現する正しい答え」を必死に探そうとします。しかし、この世のどこを探しても、そんな「答え」など見つかりはしないので、探そうとすればするほど、悩みは深くなり苦しくなっていくのです。仕方なしに何かをやったとしても、どこかにもっと理想的な答えがあるのではないかと、ますます苦悩は募るのです。

まるで、弾いたボールを、一生懸命にコントロールして穴に入れようと、一生懸命にがんばっているみたいに・・・でも、そこには「正しい答え」もなければ、「誤った答え」もないのです。 一度ボールを弾いたのなら、それをコントロールすることはできません。 ましてや望む結果を絶対に手に入れることなど、できない相談ですね。

あるのは、ただ、自分のなかの「答え」を信じて、今起こっていることを受け容れることだけです。 いつでも、それが最高の結果を実現してくれるのです。 いつまでも悩んで立ち止まっているのは、もったいないです。 あなたは人生というゲームを楽しむために、そこにいるのですから。。。