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スカッシュコーチGのブログ

スカッシュコーチの悲哀を綴ったサクセスストーリー
になるはずが、いつのまにやら禅の道に迷い込み・・・

足跡、指紋、吸殻、グラスに残った口紅・・・叫び
まるでサスペンスドラマのようですが、禅語にも「起きたことは隠せない」という言葉があります。

魚が泳げば水が濁るというのです。DASH!

黙っていればバレないと思っていても、何か証拠が残っているものです。

たとえば「顔に書いてある」。悪いことをした時ばかりではありません。いいことをした時も同じです。口に出して言わなくても、どこかに跡が残っています。

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あなたが歩んだ道は、見る人が見ればちゃあんとわかります。行動したのになんにもならなかったと思っても、いずれその行動があなたを助けるために帰ってくる瞬間があります。合格

ああ、あの時の苦労がこんな形で実を結ぶとは・・・行動は必ず痕跡となる。

だから迷わず行動してください。もし迷ったら、動かずにいてください。

          ほっとする禅語(続)より


一貫して変わらず道を進むこと。

楽な方へ楽な方へ、目移りしてそのたびに都合のいいようにポリシーを変え、浮気ばかりしていると、物事の本質はいつまでたってもつかめません。あせる

しかし、単に頑固に硬直して一本道を行けと言っているわけではないのです。ビックリマーク

伝統工芸といわれるものは、何代も続いて技術とノウハウが受け継がれていきます。

何百年もの間、少しずつ修正を積み重ねて完成されてきたものです。思いつきの新しい方法を急に用いても勝てるものではありません。

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まさに一貫して道を進んできた賜物です。しかし、昔の絵柄のままでは、現代人には意味さえ不明で売れません。汗

だから、伝統工芸はいつでも時代を少しずつ反映させながら、継承されてきたのです。

柔軟な心と、謙虚な態度があってこそ、ひとつのことが貫けます。

譲れること、譲れないことの選択、それは柔らかい心で・・・ドキドキ


                   合格 ほっとする禅語(続)より


分別ゴミの「ぶんべつ」ではありませんよ。ニコニコ

この文字は「ふんべつ」と読みます。分別は我々が普通に使っている言葉ですが、元々の意味からは変わってしまっています。あせる

分別は大人が身につけるべき思慮や判断だと思っていますね。しかし、本来の分別は、サンスクリット語の訳で、悟りの智慧を示す「無分別智」の反対語、つまり間違った判断のことをいいます。

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修行僧は、分別を身につけるために修行するのではなく、分別を捨てるために修行するのです。

思えば、我々は大人になるにつれて「どっちが得か」「どっちが綺麗か」あるいは「どっちが正しいか」なんてことばかりを身につけます。ガーン

兼好法師は「世にしたがえば、心、外の塵に奪われて惑いやすく、人に交われば、言葉の響きに随いて、さながら心にあらず。人に戯れ、物に争い、一度は恨み、一度は喜ぶ。その事定まる事なし」

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要するに人は世間や相手に応じて、一喜一憂してばかりではいけないと、法師は言いたいのです。そこには「分別みだりに起こりて、得失止む時なし」と言います。ハートブレイク

法師は、分別を増長させる生活、人事、技能、学問の一切に関わるなと説いています。その諸縁を放下(ほうげ)した状態こそ「徒然」だというのです。

このつれづれは「手持ちぶさた」「所在ない」などと訳されますが、実は坐禅も、つれづれなるままに分別を起こさないように修行することなのです。目


                 合格「心象風月暮らしのなかの仏教語」より


いやあ~動く時は動いてみるもんだぁ~というサプライズがあったんです(驚)
大阪近郊のスカッシュのメッカ?となっているコナミスポーツ本店西宮に行ってきました。

3か月ほど前に、新横浜で千夏ちゃんに「コナミ西宮に行ってないんですかあ?」と言われたことがあって・・・関西のつわもの?が集まるコートとかいうので・・・阪大生達が行っていたのは知っていたが、電車で行かなきゃ行けないしぃ~入会金など費用もかかるしぃ~とか理由つけて行く気はなかったんですが・・・

行ってみて正解!? コナミのスカッシュコート前で、懐かしい人に出会ったんですよね~ 昔の通称「シュウちゃん」 十数年前にレヴァン塚口(現ティップネス塚口)で、私が初めてスカッシュの手ほどきをうけた彼。 当時シュウちゃんは、日本ランキング30位台で、レヴァン宮崎台(現ティップネス宮崎台)に移ってから、第1回スカッシュレヴァンカップを立ち上げた男。

実はこの大会は、後にも先にも、この1回こっきりで消滅(泣)・・・というのも、その大会直後に今のティップネスと吸収合併されたので、運営方針とやらで、無くなってしまったんですね。(寂)

と前置きが長すぎた感がありますが(笑) シュウちゃんとは、即ゲームやろうということになって、わたくしコナミ西宮のコートデビューを果たしました(楽) ゲーム後、十数年前をさかのぼりながら昔話ができて、ゲームとともに、楽しいひと時でした。 「お互い老けたよなぁ~シュウちゃん40、私58!だもんなあ~」とか中高年?同士が慰めあったりして。。。(哀愁)

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西宮はメッカ?というだけあって、スカッシュレベルの高いこと!? なんか公式戦を観戦してるような気分になり、「いいもの観た!」って感じでした。

で、この老体にも「ふつふつ」と「やる気」がわいてきてですねぇ(笑) 思い切って、スポーツクラブ変えちゃおうかなあ!?って思いが、浮かんできたりしてきたんですよ。

いま行ってる「ティップネス石橋」は、かれこれ20年になる節目の年?でもあるしぃ~ コナミは1日千円で使えるしぃ~ スカッシュのレベルも高いしぃ~ 露天風呂もあるしぃ~ とかなんとかで・・・鞍替えしちゃうかな~♪ という1日でした。。。 新鮮だった。。。♪

美しい花を、叩いて落としてしまうほど降った昨夜の雨。

一夜明けたら、すっかり晴れて、雨が潤した街は花の香りで満ちみちていた・・・満月

美しい映画の光景のようなこの一晩の出来事は、物事が世の中に広まっていく様を表しています。

雨は、花を散らすつもりで降ったのではなかったのに「なぜあんなに美しい花を落としてしまったのか」と、雨を責めた。

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そして明朝、雨は川の水となって花の香りを運びます。落ちてなお街中を香りで満たす花・・・。

人を責めるのはやめよう。起きたことを嘆くのもやめよう。次に何が起こるのかわからないし、何のために起きていることなのか予想もつかない。目

人は、花は、雨は、ただ無心に自分の役割を果たすだけ。

あの日の雨が教えてくれました。

                 ほっとする禅語(続)より合格



母の日に、近所のケーキ屋にショートケーキを買いに行った時のことです。

ケーキを母の日用にラッピングしてもらっている時に、ふとお店の壁の額が目に入りました。「喫茶去」という文字が書いてあるのです。

あれ?なんで?・・・この文字は禅語なんですね。お店のおねえさんに「ケーキ屋さんに禅語って珍しいですねえ?」と話かけてみたところ、なんでも京都の建仁寺につながりがあるとのことで、ご住職の直筆とのことでした。すごい!うらやましい!

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そこのお店のは小さな額なのですが、もう一つ横書きの大きな額もいただいたそうで、その額はおねえさんの親類のお店に飾ってあるとか。

どうもその額をお店に飾ってから、商売繁盛になったとかで、えらくご利益のある額ということになっているそうです。

あんまり「禅語にご利益がある」とは聞いたことがないのですが、そこで「喫茶去」の意味を探ってみました。

直訳すると「喫茶して去れ」ということになります。「お茶を召し上がれ」という意味です。

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茶の接待に新しい客、古くからの客という差別があってはなりません。茶を飲むことに本来違いがあるわけではなく、どんなお客にも心のこもった茶を出す。

茶を飲む、その一事に専念すること。茶を飲む時は茶だけに心を向ける。茶を飲む以外に心を向けない。差し出された茶をゆっくり味わい、茶と自分との二つが一体となる。ここに他の何ものも介在する余地は何もないのです。

新しい客、馴染みの客に区別はありません。ただ茶を差し出し、味わっていただく、その気持ちが大切である、ということではないでしょうか。


花びらは、風に舞い散ると、清流がどこかへ連れていってくれます。

清流は、ただただ流れ、落ちてきた花びらを運んでいきます。黄色い花

花は流されるために散ったのではなく、川は花を運ぶために流れているのではありません。

どちらも相手から頼まれたわけでもなく、どちらも恩をきせるわけではありません。

その双方ともが自分の仕事を無心で全うしているからこそ、この図は美しいという禅語です。

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もてなされる人と、もてなす人の関係に、こんな無心がほしいところ。晴れ

どうだい美味しいだろうという押し付けと、誉められるための作意があっては興ざめです。

もてなされる方が不遜では醜いし、謙遜しすぎてもつまらない。

落花と流水の関係が理想です。
                   
                 ほっとする禅語(続)より合格

「なるようになる」という大きな川の流れに心を
任せてみると、自然に心の力が抜けて、意外と
いいところに、たどり着いていたりするものです。
姫野友美音譜

この言葉確かにそうです。私も「なるように
なる派」ですから。チョキ

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まさに大きな川の流れといいましょうか、時の
流れといいましょうか、そこにゆったりと坐禅
でも組んで座って、雑念を受け流していたら
なんとかなる! これほんとに、なんとか
なるもんなんですよ。合格

私は以前、自然体とか、平常心とか、
はたまた泰然自若とか、心身の状態を表す
言葉によって、自分の心のおきどころを意識
しようとした時期がありました。あせる

そのうちに「まあ考えてもしゃあない、そのうち
なんとかなるやろ」と、それこそ開き直ったり
してたのですが。汗

ところが、それが、そういった半ば開き直りの
心境によってかどうかは、わかりませんが、
不思議なことに、なるんですねえ、なるように!

最近は、それがごく普通にやってくるんです。
悩んだり、考えこむ時間が長びいてくると
「まあ、なるようになるやろ」という天の声が
聞こえてくるんです。満月

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そうです、ゴチャゴチャ考えこむよりも、大きな川
の流れに身を任せて、心の力をぬいて、そうして
いるうちに、意外といいところに、たどり着いたり
するもんですよ。

あえて言うなら、黄色い花
「心を開いて、自然に心をゆだねるのも、開き直り」
とでも、思ってみてください。



良いと思ったことが、不幸な結果になり、災難に思えたことが幸運にもなる。人生は、このように予測がつかず、一筋縄ではいかないもの。というよりは、生きていく上では、さまざまな出来事に出会いますが、それに対して勝手に「良いこと」「悪いこと」と判断して、一喜一憂しているのは、自らがそうしているということです。

「出来事」はあくまでも、ただの「出来事」に過ぎず、良くも悪くもないのに、人それぞれが勝手に判断して、喜んだり、悲しんだりしているのです。自分で勝手に作り上げた、ありもしない「幸福な出来事」「不幸な出来事」に振り回されてしまっているのです。

たとえば、2つの選択肢があって、どちらかを選ばなければならない状況になったとします。私たちは、選んだ方の結果を見て「うまくいった」「失敗だった」と判断しますが、これだって、やっぱり自分で勝手に判断しているのかも知れません。

参考までに、どちらを選んでも「失敗」になる方法をお教えしましょう。それは、自分の選んだ方の結果よりも、選ばなかった方ばかりを気にしたり、執着したりするということです。たとえ、選んだ方の結果が満足いくものであっても、とてもダメだと思っていたとしても同じです。もし、もうひとつの選択肢を選んでいたら、もっといい結果になっていただろうと思うのなら、自分の選んだ方は失敗になってしまいますね。
 
仮に、別の方を選んでいたら、もっと惨めな結果に終わるとわかったとしても、それを気にして「選ばなくて良かった」「選んでいたら大変だったろう」などと気にするのなら、それだって「失敗」になる可能性があります。

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だって、そんなことが気になるということは「今回は、たまたまうまくいったけれど、次はどうなるかわからない」と自分を脅しているようなものなのですから。これでは、どんな結果でも、とても楽しめるものではありません。

では、どちらを選んでも「うまくいく」方法もお教えしましょう。もうおわかりかと思いますが「自分が選んだことに責任を持つ」ということです。「責任を持つ」とは、ちょっと大げさですが、つまり自分が選んだことを、誰かや何かのせいにせずに、結果をそのまま受けいれるということです。

結果が、満足いくことならば、ただそれを充分楽しめばいいのです。あまり納得のいかないものだったとしたら、そこから気づくことや学べることをしっかりと見つけて、次のチャンスに活かしていけばいいのです。
 
「もし、~だったら」そんなことを気にして、時間を無駄にしなくてもいいのです。「幸せな出来事が起こらないと幸福になれない」そんなこともありません。

人間万事塞翁が馬、どんな出来事に出会おうとも、どんな環境にいようとも、自分が選んだのなら、今までも、そしてこれからも、私たちは、いつも最高に幸せだし、本当に楽しく生きることができるのです。

流れ星を見つけたとき、消えるまでに3回願い事を唱えれば、その願いは叶うと言われています。ただの迷信や言い伝えだという人も多いと思いますが、実は、これには根拠があるということを聞いたことがあります。

流れ星には、いつ出会うかわかりません。しかも、見つけてから消えてしまうまで数秒ほどですね。そんなわずかな時間に、願い事を3回言うことができるのは、ふだんか ら自分が望んでいることを、はっきりと意識している人ということになるはずです。

その人の心は、いつもその願い事に向いているのでしょう。ちょっとした情報でも敏感にキャッチできますし、常に、願いを実現するチャンスを探そうとしているのでしょう。

つまり、その人は、遅かれ早かれ、自分の願っていることを実現することになるのです。だから、流れ星を見つけたときに、3回願い事を唱えれることができれば、いつかは必ず、その願いは叶うということなのです。

いつも自分が願っていること、見つけようとしていることは、確実にその人に引き寄せれることになります。過去を振り返ってみると、辛いこと、苦しいことばかりだったと思える人。そんな人は、きっと、今も辛くて苦しい生き方をしているのではないでしょうか。

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悲しいことがたくさんあったと思い起こす人は、いつも悲しい出来事ばかりが起こり続けているかも知れませんね。逆に、楽しいことが多かった、うれしい出来事ばかりだった、と思える人は、今も、楽しくてうれしいことが起こりやすいでしょうね。

もちろん、誰にだって辛いこと、悲しいことは起こるはずです。 それでも、そこから喜びや楽しさを見ることができれば、いつしか、それも引き寄せられてくるのです。

目の前の出来事が、どれだけ苦しいのかではなく、何を学ぶことができるか、どれほど喜びを見つけることができるのかが大切なのではないでしょうか。喜びを見ることができる人。その人こそが、本当に幸せな人なのですね。

幸せな人になるのは、とっても簡単です。いつ流れ星を見つけてもいいように、いつも自分が、もっと楽しく生きることができるように、もっと喜びを感じることができるように、いつも心に願い事を抱いているだけでいいのですから・・・