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スカッシュコーチGのブログ

スカッシュコーチの悲哀を綴ったサクセスストーリー
になるはずが、いつのまにやら禅の道に迷い込み・・・

私は、この言葉を思い浮かべる度に、心が落ち着きます。

辞書では「山は日に映えて紫色に見え、川の水は澄んで清らかであること。山や川の景色が美しいこと。」とあります。

言葉の発祥は、儒学者、頼山陽が、京都の鴨川沿いに草庵をたて、そこからの鴨川と東山三十六峰の眺望がすばらしいので、この書斎に「山紫水明」と名づけて以来、一般的になったとのことです。

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では、なぜ京都が山紫水明の都なのか。

そもそも京都盆地は太古の昔は湖の底でした。夏の暑さや冬の底冷えは、そうした風土がもたらしているのです。京都盆地は、全体がなだらかな斜面になっていて、大小の河川が、盆地を縫うように流れています。

遷都当時の貴族たちは、そうした水を求めて屋敷を構え、庭を築き、池を掘り、水を引きました。

その水を使い、流れのしぷきや水音にまで心を配りながら流れを作り、石が組まれ、桔硬、女郎花、ぎぼうしなど、大きく育たない前栽を植えたりし、前栽のなかにわざわざ虫を放って、その声に耳を傾ける粋人も多かったといいます。

豊富な地下水による良質な水脈は、幾多の名井をもたらしました。京都の茶道家は、いずれもこの水脈の上に居を構えました。

良質の水が茶の味わいを高め、豊かな名水が京都の茶の湯を盛んにしたことは否めません。

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京都の四季の変化は、人々に繊細な感覚と自然を愛する心を育てることとなり、こうした中から洗練された京の町家や社寺、京都人の暮しぶりを築き上げてきたのです。

そうした中で「山紫水明」とうたわれる周囲に連なる美しい山河は、日本の伝統文化や日本人の心を形づくってきました。

山紫水明、そんな心癒される景色を、ぜひ京都にお越しのせつは、ご堪能くださいませ。

京都通い歴39年のGでした。。
三昧とは、心をひとつのことに専念するということです。

この三昧と「常に一直心を行ず」という言葉が合わさって、一行三昧の言葉が生まれました。

「常に一直心を行ず」の意味が理解できれば、自ずから一行三昧の意味もわかることができると思います。

直心(じきしん)とは、真っ直ぐな心、混じりけのない純一無雑な心、分別執着のない心です。

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ゆえに、何時でも何処でも何事をなすにしても、そのことに純一であれというわけです。

仕事をする時には仕事三昧、遊ぶ時には遊び三昧、食事の時には食事三昧、勉強の時には勉強三昧、

その間に一点の雑念妄想をはさむことなく、全身全霊をもって事にあたる、これがまた一行三昧でもあるわけです。

いってみれば「禅」もその一行三昧に始まり、一行三昧に終わると言っても過言ではありません。

                       臨黄ネットより


我々のしていることは、ただサッカーをするだけではないことを、意識してきた。

我々が勝つことにより、何かを失った人、誰かを失った人、怪我をした人、傷ついた人、彼らの気持ちが一瞬でも楽になってくれたら、私達は真に特別な事を成し遂げた事になる。

こんな辛い時期だからこそ、みんなに少しでも元気や喜びを与える事が出来たら、それこそが我々の成功となる。

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日本は困難に立ち向かい、多くの人々の生活は困窮している。

我々は、それ自体を変えることは出来ないものの、日本は今復興を頑張っているのだから、そんな日本の代表として、復興を決して諦めない気持ちをプレイで見せたかった。

今日、我々にとってはまさに夢のようで有り、我々の国が我々と一緒に喜んでくれるとしたら幸いです。


優勝直後の澤キャプテンのコメント by Twitter




iPhoneからの投稿
ある日、ブッダが弟子たちに、こう教えを説かれました。

「この世には、なんびとたりとも、成し遂げられないことが五つある。一つ目は老いていく身でありながら老いないこと。二つ目は病んだ身でありながら病まないこと。
三つ目には死すべき身でありながら死なないこと。四つ目には滅ぶべきものでありながら滅びないこと。五つ目には尽きるべき時でありながら尽きないこと、である。」

避けがたいことは避けられない、という当たり前のことを知り、愚かな悩みを持たないことが「楽に生きていく」ためには必要なのです。

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しかしながら多くの人は、この成し遂げられないことに突き当たり、自分の未来に対していたずらに苦しんでしまいます。

さらに私たちは、死や病など避けがたいことだけでなく、今やっていることがうまくいくだろうか、人にどう思われるだろうか、とあれこれ気にしてしまいます。

仏教に因果応報という概念があります。すべての結果は原因があって生じると教えています。良い結果は、良い原因によって生まれ、悪い結果は、悪い原因がその元にあるのです。

この教え自体は、もちろん正しく、この当たり前のことを知り、良い結果を成すために、良いことを行おうということは大切です。
 
しかしやはり多くの人は、何かに行き詰まると、自分の過去に行ったことに原因があると自分を責めてしまうのです。

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変えることができない「過去」を悔やんだり、どうなるかわからない「未来」を思い悩んだりするよりも、「今を生きて」行動することが大切なのです。

それこそが自分の思うような人生を作り上げていくことにつながるのです。
そして、私たちが行動できるのは「今」しかないのですから。

「いま」と言う時「今」は無し、『ま』の字来たれば『い』の字過ぎゆく。
「いま」の「ま」を言った時には、すでに「い」の字は過ぎ去っているという言葉です。

              癒しのことばより
ともすれば私たちは、目先のことばかりに気を取られてしまいがちではないですか。

今日1日を、無難に過ごすことばかり考えていては、とても充実した生き生きした人生とは言えないのではないでしょうか。

また、人生を必要以上の永い目で眺めてしまって苦しんでいる人もいるようです。

そういう人は、人生の目的や使命、または老後のことばかりを考えてしまい、足元がおぼつかなくなっているようです。

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本当に必要なことに目を向けてみると、私たちは、もっと安定して幸せな人生を送ることができるのです。

そして、その本当に必要なこととは、いかに私たちが毎秒、毎分、毎時間を自分らしく楽しむかということではないでしょうか。

もっと自分らしく、心の余裕を持って、家族とお茶を飲みながら会話を楽しんだり、会社でまわりの人が気持ちよく仕事できるように気を配ってみたり、映画を見て感動したり……

そんなことの積み重ねが、本当は私たちにとって、豊かな人生と言えるのではないでしょうか。

                 癒しのことばより
仕事で締め切りが迫っているとき、試験直前の勉強中など、集中しなければならないのに、雑念が浮かんで、なかなか集中できないときがあるものです。

「今日のランチは何を食べよう」「あそこが散らかっているな」などと気になったり、「あの人は今、何をしているだろう」と思考が飛んでしまったり。 こんな他愛もない雑念こそが、集中力を奪う一番の厄介ものです。

「莫妄想(まくもうそう)」という禅語の「妄想」とは、「頭の中であれこれ無意味なことを考えること」です。 そしてそのような「無意味な妄想を捨てなさい」という意味が「莫」という字にこめられています。

この「妄想を捨てること」は、悟りの究極の姿ともされています。

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言い換えれば、雑念を捨てるのは、それだけ難しいことで、禅の修行僧が、長年厳しい修行に耐え抜いて、やっと得られる境地です。

そう考えると、一般社会に身を置く私たちが、しばしば、雑念によって集中力を奪われることがあっても、仕方のないことかもしれません。

修行僧なみに、24時間、雑念を振り払うことは無理でも、ここ一番で集中できるようにする「対処療法」は、あります。

それは、「集中する時間」を区切るという方法。 15分たったら、軽く首を回してストレッチしたり、外の空気を吸ったりして、一息入れます。気持ちをリフレッシュさせてから、また15分集中して事にあたります。

こうして、「短い集中」をコツコツ積み重ねることならば、誰にでもできるのです。



「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉より



春になると、野原には、たくさんの美しい花が咲きます。 花の美しい場所は、観光スポットにもなって、たくさんの人がやってきます。 そして咲き乱れる花を愛で、「なんて美しいのだろう」と褒めます。

しかし、花々は「人を喜ばせよう」「きれいだと褒められたい」と思って、咲いているわけではありません。 自らに与えられた生命を一生懸命に、無心に、生きているだけです。

「百花春至って誰が為にか開く」という禅語があります。 「春に咲く美しい花々は、誰かのために咲いているのではない」という意味です。 人の願望には、様々ありますが、「人気者になりたい」というのも、そのひとつでしょう。

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「誰からも、好かれたい」「職場で、みんなに頼られる人になりたい」「会社で一番の出世頭と認められたい」 あるいは、「アイドルになって、注目を浴びたい」という夢を抱いている人もいるかも知れません。

そういった願望を持つ人が、まず注意しなければならないのは、むしろ 「注目されたい」「一番になりたい」という意識を捨てることかも知れません。

まずは、自分の人生を一生懸命に生きる。その一途な姿が、自然と周りの人の気持ちを惹きつけ、感動を与えていくのだと思います。

「願望を捨てれば、願望が叶う」 これこそ禅の考え方です。


「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉より






6月25日 SQ-CUBE横浜にて開催された「チャリティースカッシュ2011」に参戦してきました。このイベントは、日本スカッシュ協会40周年記念と震災復興支援チャリティーを兼ねた、初めての試みとのことでした。

参加選手総勢 136名、1試合1ゲームのみ、団体戦と個人戦、合わせて2ゲームのみの大会なんです。(楽)

10時の開会式に合わせ、9時過ぎに会場入りしましたが、すでに、先着隊がコートに入って3/4練習やってました。(ハヤッ) よくみると、同じグループ同士ではなく、まったくの初対面の人同士が、入れ替わり立ち代りコートに入っていき、早くも熱気ムンムンの会場と化してました。(熱暑)

開会式では、「がんばろう日本!」のシュプレヒコールをして、団体戦開始です。 女子12チーム、男子20チームに分かれ、ゲーム開始です。

私のチームは、まあ個性派ばかりが集まりまして、(笑)観ていて面白いゲームばかりでした。(面白) 私と同じく大阪から参加の方もいました。

相手チームは慶応ボーイチームでしたが、彼らのスキルはかなり高く、やりこんでるなぁ~という印象でした。 といったことを前置きにして・・・私は2点しか(汗)取れませんでした(泣) ゲーム後、聞いたら、慶応は総勢120名の部員がいるそうで、その中の精鋭が出てきた感がありました。(驚)

13時頃まで、団体戦が続き、次は、チャリティーオークションです。始まる前に、出品されている品物を下見したんですが、まあ、豪華だこと。 日本代表選手のウエアがズラッと!海咲ちゃんのが多く、さすがにオジさんとしては、手をあげることが出来なくて・・・残念(泣)

盛況のうちに、オークションが終わり、コートでは、3分間クッキングが始まりました。 SQ-CUBEのコーチに3分間相手してもらうのですが、さすがプロのコーチ、1人で10人相手にしても息が上がってない!(さすガッス) 私は北村彩コーチに相手をしてもらい、かなり手を抜いてもらって?楽しい3分間でした。(喜々)

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個人戦開始。総数 68ゲームの開始です。これがまた、他では見られない組み合わせもあって、楽しめました。 中でも圧巻だったのが、初代男子日本チャンピオン坂本さん(推定年齢60代)と現役を退いたばかりの河野文平くんとの年齢差30以上!のゲームです。

ゲームは、初代チャンプがプレッシャーをかけ続ける格好になり、河野選手は、ひたすら拾う格好でした。 チャンプのドライブも凄かったけど、河野君のバックウォールを駆使したレシーブには、わたくし舌を巻いちゃいました。(感嘆)

私の個人戦の相手は、40代の強打者でしたが、これまた、私に合わせてもらって、15-6でした。 このゲームで、わたしはやっぱり「DROP & LOBBERタイプのプレーヤー」だなあと確信がもてました。(笑)

個人戦の最中に、他のコートでスピードガンコンテストが行われていて、男子の最高速は 216km/hでした。 出るんですねぇ~200km超が・・・(驚速)

個人戦のあとは、社会人対学生ということで、これもまた見ごたえのあるゲームが続きました。

わたしは、北里大学の酒井佑季ちゃん対プロの北村彩コーチのゲームが面白かったですね。佑季ちゃんのプレーは初めて観ましたが、ほんとにドライブが凄いです。彩コーチが動けずに、決まるんですからね。(驚愕)

全てのイベントが終わって、ビールで懇親会。時間は19時をまわってました・・・まあ。初めてのイベントだったのですが、事前準備と大会スタッフの活躍で、プラン通りに進み、けが人も無く、楽しい雰囲気のまま、終了となりました。面白かった・・・で~す。。。♪

そうそう、千夏ちゃんや、海咲ちゃん、佑季ちゃんとも、立ち話でしたが、お話が出来て、これまた有意義な1日になりましたあ。 感謝と合掌 (。-人-。)


何かを手に入れようとしたら、何かを手放す必要があるのですが、悩んでいる人の多くは、何も手放したくはないと、つかんだ手を握りしめているのです。

「何でも思い通りにしたい」と欲張ると「思い通りにならない」ことがあると、苛立ったり、自分を被害者だと決め付けたりしています。それが「悩み」の正体なのではないでしょうか。

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本当に楽な生き方は、「何でも思い通りにしよう」と、あれもこれも抱え込むのではなく、握りしめた手をひらいて、今自分にいちばん必要なものだけを、自分の意志で選んで、自分の力でつかむことです。

そしてその自分が選んだことに、自分の責任でやり遂げようと努力するのです。さらに、その過程を思い切り楽しんでみることができれば、なお最高です。

それこそが、自分のための人生なのではないでしょうか。これは時間も同じです。

私たちが生きることができるのは、今この瞬間だけなのです。今を生きながら、過去や未来を同時につかんでいることは不可能です。

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過去を悔やんだり、未来を思い悩んだり、あるいは昔の思い出に浸ったり、将来の夢ばかり追い求めることもいいですが……

今、この瞬間、自分がワクワクすることを自分で選び、それを楽しんでみる。それが本当に「生きる」ということなのではないでしょうか。

         癒しのことばより

先日、品川健康センターのスカッシュコートで、出張球出し?をやることになり、伊丹を出発。 品川に入って、時間があったので、センターの裏手をぶらぶらしていると、「東海禅寺」という臨済宗の禅寺にたどり着きました。

お寺の立て看板を読むと「沢庵禅師が住職だった寺」と書いてあります。 「えっ!沢庵和尚のお寺!?」と、俄かに胸が高鳴りました。 沢庵といえば宮本武蔵を諭した沢庵坊主。 映画では、三国連太郎の沢庵が印象に残っているほど、憧れ?の禅師です。

その禅師のお墓が、近くにあると、道順看板がありました。 「こら、行かないかんぜよ!」と道順を頼りに、徒歩で出発。 東海道線の高架をくぐり、古びた塀沿いを行くと、少しこんもりとした林の中に階段があり、階段横に、「史跡 沢庵の墓」という石碑が建っていました・・・

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階段を登ると、木立に囲まれた墓地にたどりつきます。そのほぼ中央に10m四方の柵に囲まれた沢庵禅師のお墓がありました。正面には、沢庵禅師の略歴が書かれた国指定史跡の表示看板があります。

お墓は、自然石の巨石がどっしりと置かれただけの質素なものですが、その姿形は「何かを感じる」そんな空気漂う空間でした。正面には、門扉があるので、背伸びをしないと拝謁できないので、少し斜め位置から、合掌し、深く一礼しました・・・

囲いの柵を回りこんで、背後にまわると、沢庵禅師を偲んだ「夢」と書かれた石塔が建っていました。禅師は、最後に「夢」と一字書き残して、この世を去ったとのことで、夢と彫られているのだそうです。その石塔横の木立の隙間から、禅師の墓の裏側を見ることができたので、そこまで近づいて、合掌一礼。 

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この日は、木立を揺らすほどの強い風が吹いておりました。と、合掌の指先に、風に乗った木の葉一枚、ひらりと舞い降りました。 その時だったんです!何かが体の中に入った?感覚を受けたのです。初めての感覚でした・・・

「もしやこれは、禅師の啓示を意味するのでは?」と瞬間、思いがめぐりました。 誰もいない墓地の一角で、禅師の墓前にひとりたたずみ、風と木々の葉ずれの音に囲まれ、何かを感じずにはいられない空気にひたった、ひと時でした。

数日後、サラリーマン人生で、最初で最後かと思うほどの「覚悟」を決めた時のことです・・・その瞬間は、一切の迷いや不安をまとわない心で、決断が出来たのです。 やはり、これは、沢庵禅師の啓示によるものではないか?と、感謝の心で受けとめることが出来た1日でした・・・合掌