私たちは、普段「自分」と言う殻にとらわれて生きています。
つまり、自分自身に執着して、毎日を過ごしているのです。
程度はどうあれ、人間は多かれ少なかれ自分自身に執着して
生きているのは、間違いありません。

お釈迦様は、そんな私たちの眼をさまさせようと、“諸法無我”の
法を説かれました。すなわち、大宇宙の森羅万象はことごとく
因と縁によって成り立っており、どんな物にも固定的な実体と
いうものはない、と説いています。


「そんなバカな、この自分の体は自分のものだ」と主張する方が
あるかと思いますが、よく考えて下さい。本当に自分のものだ
と信じているこの肉体も、自分の意に反して、年齢を重ねると
白髪や抜け毛、シワが増え、腰が曲がり、病にかかってやがて
死ぬ運命なのです。

自分の財産もあの世には一銭も持って行くことは出来ません。
自分のものなど、何一つこの世には存在しないのです。
ただ、仮に所有しているに過ぎないのです。
もっと言えば、元は皆な同じなのです。天地と我と一体、万物と我と
同根なのです。それを我々は、勝手に分別しているだけなのです。
自己と他を区別し、自分と他人の間に壁を作っているのです。


「不二」とは、対立を超えた、絶対的平等の無分別の境地をいい
ます。この不二の境地を、「の」の心と、「と」の心で表現すると、
「私とあなた」は対立していますが、「私のあなた」「あなたの私」
は一体になっています。

この「の」の字は、まさに円を描くがごとく、丸くなっています。
私たちはこの「の」の字の心で他と接すれば、争いもなく、ねたみ
やそねみもなく、何ものにもとらわれない、広く大きく伸びやかな
生き方が、できるのではないでしょうか。

我をはるな、心ころころ丸くなれ!
臨黄ネット「法話」より