真言宗の開祖 空海は
「好むとは、水に石を投げたように
波紋は広がっても、逆らうものがないことをいう。
悪(にく)むとは、水に油を流したようなもので
溶けあうことがない。」

人にとって良い状態とは、自分のおこないが
静かに人の間に波紋のように広がっていくことです。
ところが、私たちの毎日は何かにぶつかり、
あるいは望みが達せられないことばかり、
つまり悪(にく)むことばかりです。

また釈迦は
「色、声、香、味、触といった自分の感覚だけ
に頼って物事を判断するものは、これに執着
して、かえって欲を起こし、それが苦の原因
となるのだ」と。

私たちは勉強をして試験をうけ、何点という点数で
ランク付けされることに慣れてきました。
これが進んで自分以外を判断する物差しとしても
ランク付けが働いています。
そして自分の煩悩にさえ気付かず、他人を点数で
評価しがちです。

仏教には無我、無常などの無の文字が多いのですが
これはただ「有る無し」と言う現象をさしているのでは
ありません。
たとえば「無我」とは自分の感覚から得た自分本位の
考え方=我執から離れることです。
ですから「無我」は、「非我」とも表されます。

我に執着することから離れた、本来の「我」は
仏に近づくことができるのです。
「禅のすべて」より