~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔 -171ページ目

つづいているカレンダー 〜僕が建築と向かい合った日〜①

今年も送られて来ました。

と、いってもちょっと例年より早いのではと思いますが。

何が送られて来たかというと「来年のカレンダー」

このカレンダー、まだ中は見ていませんがカレンダーだと分かります。

何故なら

送り主の方が、もう10何年も送り続けて下さるものだからです。

最近では珍しい刺繍織りのカレンダー

うちの家に毎年下がるものです。

思い起こせば20年ほど前、大手住宅メーカーに勤務して駆け出しの頃です。

やっと会社に慣れ、設計のせの字も知らないド素人に毛の生えた、ただ建設会社に居るからプロですみたいな人間でした。

それでも、必死で一人前になろうと七転八倒しながら頑張っていたことを思い出します。

カレンダーの送り主F様とお会いしたのはこの時期。

最近ではめっきり数が少なくなった総合住宅展示場は、この頃大盛況。

当時休み無く働き、休日出勤でいた住宅展示場にF様がいらっしゃいました。

当初リフォームでお考えだったので、当時いた会社のリフォーム部に引き継ぎましたが、リフォーム担当の方から連絡が

「F様、どうも新築したほうがいいようなので木下君、話聞いてあげて」

営業成績がほしい駆け出しの僕には願っても無い話でした。

F様と打合せの日

「また、君んところに戻ってきたな。とりあえず、こんな家にしたいっていう絵、自分で描いて来たんや

千切ったノートに鉛筆でかかれた図は「敷地いっぱいに建つ超違反建築」

20歳ほど離れたF様に、焦りながら建築には法律があること、構造が成立しないと建たないことなどなど、辿々しく説明しました。

豪放磊落な性格のF様は「君の言いたい事は分かった。ところで次はどないすんねん

敷地を測った上で、ご要望が入るかどうかの検討が必要なことを説明し、現地立ち会いの約束をしました。

測量の日、現在お住まいの家に着くと、思わず

「こ、これを解体して建て直すって言うんですか…」

とF様に聞きました。

~つづく~

振り上げた拳をあえて受ける勇気 〜あなたは一人ではない〜

人は自分に似ている人が嫌いだそうです。

潜在的に「似ている」と感じると無意識に嫌悪感をあらわにする生き物らしいです。

「自分」のことは愛してやまないのですが、似て非なるものの存在が許せない、そうらしいです。

確かに、僕も「この人何か嫌だな」と思う人

タイプは違えど、僕に似ていました。

人間はそんな「似た者嫌い」があるにも関わらず、自分の中に「もう一人の自分」を持っています。

彼(彼女)は自分の中にある、ダークサイドを形成していることが多く、自己確立が進めば進むほど

そのダークサイド担当の「もう一人」も人格形成が確立していくようです。

子供の時はそれほどでも無かった「もう一人」も大人もアラフォーを越えてくると随分具体的な人格形成をしているようです。

でも自分の中にある為、そして知らず知らずに成長して来たものなので

普段「もう一人」を気づかない。

そして

この「もう一人」の方がだんだん表の人格に影響力をもって来始め

現実世界に迷いや悩みを生み出し始めます。

憎み、嫌い、見たくもないと思っても自分と同体を切り離すことができません。

だから、誰しもが、あれほど自分を愛していても、自分が嫌でダメな人間と

人に聞かれれば言ってしまう。

人は自分の為には頑張れません。

何故かわからないですけど、人は誰かの為にしか頑張れません。

自分自身の為に頑張れる人

それはもう一人の自分の為に頑張れる人。

いつもネガティブでダークサイドで、悩み、苦しみ、ねたみ、嫉みを抱えた「もう一人」の自分の為に頑張れる人です。

あなたには「もう一人」いる、確実に。

この人生の中で、ずーっと、あなたの、僕の苦しみをずーっと抱え込んでいてくれた自分自身がいます。

僕は彼に触れます。

怒りの中で生きること苦しみの中で跳ね返すこと

今日、彼と僕の人生の中、もう一人の自分に「許すこと」

僕が彼が二人で一つの自分が自分自身を許すこと

よく考えてみます。

いつも誰かに責められること、それは自分自身がもう一人の自分を責めることで救われ

いつも誰かに悩まされること、それは自分自身がもう一人の自分を悩ますことで気が楽になり

今日、そんな自分を、そんな自分達を「許し」たいと思います。

今日、頬にこぼれ落ちた涙のある人も

今日、報われないと腐る人も

今日、取り返しのつかない過去に怒る人も

すべてもう一人の自分を苦しめながら、自分自身に帰ってきていること



僕が言いたかったこと

苦しめても、苦しめられても、つらくても辛く当たられても、泣かされても泣いても、叩きのめされても立ち直れなくても、明日希望がもてなくても未来を塞がれても


今日の自分を許してあげて欲しいこと


人を憎まずに生きるには、自分を人を許すしかないこと




建築屋冥利に尽きます 〜澄子茄子〜

こういうことを見たとき、建築屋冥利に尽きることがあります。

以前リフォームさせていただいた、阿倍野区S様邸。

先日伺うことがあり、お話の中で

奥様から「木下さん、これ見て下さい」

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「これ、自分で付けたんです」

「へー、上手に付けましたね」

「それで、ここも」

そこは、キッチン横に作ったパントリー、棚板数枚だけだったパントリーは
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なんと、上手にL型に付けられ、

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うまく納めています。

サニタリーも
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ご自身ですっきり上手に取り付けておられました。

「何と!上手に作ってますね!」


すると、S様ご主人が
「いやぁ~、今までブランド物のバックとかだとジーっと見る人が、しょっちゅうホームセンターに行っては、棚板や金物ジーっと見てますからね。家を買ってから随分人が変わりましたよ。」

すると奥様は「何回もホームセンターに行って、間違いないように考えて作るのよ、これが楽しいの」

この棚を作って数千円。

僕らのような業者に頼むと何万円もします。

僕らの仕事にならなかったこの事が何故か建築屋冥利につきます。

何故なら、僕たちが作ったものを「住みこなしていってもらう」

これは、建物を供給する側にとって非常にうれしいことですから。

S様のように自分たちにあった暮らし方を作っておられると、僕らの仕事もやりがいがありますね。

皆さんにできること

「住みこなす」こと

変換したら最初は「澄子茄子」でした。