春嵐 〜僕が僕である理由〜
子供の頃、長期の休みが嫌いでした。
特に長い夏休みが大嫌いでした。
物心つく頃には、トタン屋根の小さなバラック倉庫で
兄と小さなプラスチックのマスキング(保護紙)を延々に剥がし続ける仕事をしていました。
夏は気が遠くなる程暑く、冬は凍えるほど寒い倉庫で、終わる事無い紙めくりの仕事をし
前を通る同級生が遊びに行くのをうらやましく見ていた幼少時代でした。
「プラスチックの再生業」
今で言えばリサイクル、聞こえは良いですが、我が家の仕事はプラスチックの端材を集め、再生できる種類に分別する
平たく言えば「ゴミ屋」でした。
プラスチックの端材はガラスのように鋭く、プラスチックの削り粉にまみれ
一般ゴミも一緒に捨てられていることもある中
企業を周り、ゴミ置き場からプラスチックを回収していました。
僕は、この仕事が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
遊び盛りの小学生
休みは殆ど奪われます。
盆と正月以外は休み無く働く家庭で
中学に上がる頃には、2~30kgの端材袋をトラックに運ぶ労働力としても使われ始めました。
ゴミ置き場をチリ一つなく綺麗に清掃しないと激しく叱られる中、中学生の夏休みの理想と現実に
自らの生まれを呪いながら仕事をしていました。
どこかに遊びに連れて行ってもらった思い出、片手でも余るほどありませんでした。
高校生になる頃、兄も僕も家業にとって重要な労働力でした。
思春期
プラスチックの粉まみれになりながら
ゴミと樹脂を分けながら
体中、鋭い端材で傷つき血まみれになりながら
多い日は10t以上、炎天下でも凍てつく雨の日も運びました。
僕は、この仕事が嫌で嫌でしかたありませんでした。
~つづく~
特に長い夏休みが大嫌いでした。
物心つく頃には、トタン屋根の小さなバラック倉庫で
兄と小さなプラスチックのマスキング(保護紙)を延々に剥がし続ける仕事をしていました。
夏は気が遠くなる程暑く、冬は凍えるほど寒い倉庫で、終わる事無い紙めくりの仕事をし
前を通る同級生が遊びに行くのをうらやましく見ていた幼少時代でした。
「プラスチックの再生業」
今で言えばリサイクル、聞こえは良いですが、我が家の仕事はプラスチックの端材を集め、再生できる種類に分別する
平たく言えば「ゴミ屋」でした。
プラスチックの端材はガラスのように鋭く、プラスチックの削り粉にまみれ
一般ゴミも一緒に捨てられていることもある中
企業を周り、ゴミ置き場からプラスチックを回収していました。
僕は、この仕事が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
遊び盛りの小学生
休みは殆ど奪われます。
盆と正月以外は休み無く働く家庭で
中学に上がる頃には、2~30kgの端材袋をトラックに運ぶ労働力としても使われ始めました。
ゴミ置き場をチリ一つなく綺麗に清掃しないと激しく叱られる中、中学生の夏休みの理想と現実に
自らの生まれを呪いながら仕事をしていました。
どこかに遊びに連れて行ってもらった思い出、片手でも余るほどありませんでした。
高校生になる頃、兄も僕も家業にとって重要な労働力でした。
思春期
プラスチックの粉まみれになりながら
ゴミと樹脂を分けながら
体中、鋭い端材で傷つき血まみれになりながら
多い日は10t以上、炎天下でも凍てつく雨の日も運びました。
僕は、この仕事が嫌で嫌でしかたありませんでした。
~つづく~
展示会終了 〜苦節というか大団円〜
何とか間に合った、ブース制作
近畿デンタルショー2011は無事終了しました。
こんなちっぽけなブースへの多数ご来場ありがとうございました。
この数年、歯科医院の工事を沢山させていただき
沢山の医院を設計してきました。
ようやく、スクエアプラスという会社もこの業界で少しは認知されてきたようで
本当にありがたい話です。
施工事例も雑誌でとりあげていただけるようになってきて
商店建築という雑誌には5月号で僕がデザインした施設が掲載されることが決定しました。
こんな時代にも、僕を必要として下さる方が沢山いらっしゃいます。
振り返れば乗り越える事が不可能と言われたことを何度も乗り越えて来ました。
思い起こせば必死だったことが連続です。
今日、これまで建築、工事させて頂いた方々から、沢山のよろこびと激励を受け
「何だ、しんどいって思ってたけど喜びの方が大きいやん」と
連日の疲れも全部
大団円で収まったデンタルショーでした。
僕が出来続けること
できたことがゴールではないこと
近畿デンタルショー2011は無事終了しました。
こんなちっぽけなブースへの多数ご来場ありがとうございました。
この数年、歯科医院の工事を沢山させていただき
沢山の医院を設計してきました。
ようやく、スクエアプラスという会社もこの業界で少しは認知されてきたようで
本当にありがたい話です。
施工事例も雑誌でとりあげていただけるようになってきて
商店建築という雑誌には5月号で僕がデザインした施設が掲載されることが決定しました。
こんな時代にも、僕を必要として下さる方が沢山いらっしゃいます。
振り返れば乗り越える事が不可能と言われたことを何度も乗り越えて来ました。
思い起こせば必死だったことが連続です。
今日、これまで建築、工事させて頂いた方々から、沢山のよろこびと激励を受け
「何だ、しんどいって思ってたけど喜びの方が大きいやん」と
連日の疲れも全部
大団円で収まったデンタルショーでした。
僕が出来続けること
できたことがゴールではないこと
支えられた話 〜世界遺産の側で〜
先日、島根県の石見銀山近くに行って来ました。
道中、海岸線が美しい日本海を見ながら
僕がその日いた鳥取県米子市からは約110km離れたところに石見銀山はあります。
なぜ、そんな遠くまで向かったかというと
従前より痛めていた膝の装具を造るためです。
↑写真は病院で勧められたものと同じ物をつけさせてもらい
着け心地を試しているところです。
結果はやはり、何かしっくりきません。
この事を病院の先生に言っても、あまり対応してもらえず
結局、整形外科を4軒まわりました。
「自分で解決するしかない」
そう思い、世界遺産「石見銀山」近くまでやってきました。
こちらでは足の形に合わせ
装具師の方に
僕の足形をとってもらいました。
この会社は誰しもが、すれ違っても
「こんにちは!」と
気持ちよく挨拶をされ
社員のよい教育が行き届いていました。
この足形も丁寧に説明の上、とっていただき
造ろうとする装具についても、納得の上で制作していただそうです。
これまで
「これでええんちゃう?」ぐらいの感じでしか
医師からは装具を勧められず
日常生活にはほど遠い骨組み付き装具。
そして、こちらの会社での装具制作を医師に頼んでも、大阪ではつながりませんでした。
こちらの会社、「中村ブレイス」 という義肢装具では世界屈指の会社です。
しかしながら、大阪では大人の事情でなかなか繋がりません。
ずうずうしい僕は
直接中村ブレイス社に押し掛けたんですが
中村社長直々に大変なおもてなしをいただいた上
社員のみなさんから熱い歓迎を受け
流石にずうずうしい僕も、恐縮しました。
中村社長、専務、皆さん
この度は本当にありがとうございました。
試着の装具では本当に左膝が「支えられた」感じがし
足掛け2年、探しまわった甲斐がありました。
完成品、楽しみにお待ちしています。
僕が向かった場所
誰かを「支えたい」想いの場所
道中、海岸線が美しい日本海を見ながら
僕がその日いた鳥取県米子市からは約110km離れたところに石見銀山はあります。
なぜ、そんな遠くまで向かったかというと
従前より痛めていた膝の装具を造るためです。
↑写真は病院で勧められたものと同じ物をつけさせてもらい
着け心地を試しているところです。
結果はやはり、何かしっくりきません。
この事を病院の先生に言っても、あまり対応してもらえず
結局、整形外科を4軒まわりました。
「自分で解決するしかない」
そう思い、世界遺産「石見銀山」近くまでやってきました。
こちらでは足の形に合わせ
装具師の方に
僕の足形をとってもらいました。
この会社は誰しもが、すれ違っても
「こんにちは!」と
気持ちよく挨拶をされ
社員のよい教育が行き届いていました。
この足形も丁寧に説明の上、とっていただき
造ろうとする装具についても、納得の上で制作していただそうです。
これまで
「これでええんちゃう?」ぐらいの感じでしか
医師からは装具を勧められず
日常生活にはほど遠い骨組み付き装具。
そして、こちらの会社での装具制作を医師に頼んでも、大阪ではつながりませんでした。
こちらの会社、「中村ブレイス」 という義肢装具では世界屈指の会社です。
しかしながら、大阪では大人の事情でなかなか繋がりません。
ずうずうしい僕は
直接中村ブレイス社に押し掛けたんですが
中村社長直々に大変なおもてなしをいただいた上
社員のみなさんから熱い歓迎を受け
流石にずうずうしい僕も、恐縮しました。
中村社長、専務、皆さん
この度は本当にありがとうございました。
試着の装具では本当に左膝が「支えられた」感じがし
足掛け2年、探しまわった甲斐がありました。
完成品、楽しみにお待ちしています。
僕が向かった場所
誰かを「支えたい」想いの場所
