~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔 -114ページ目

若いやつらは本当にダメなのか?

先日、高校時代の友人に誘われ

会社のすぐそばにあるライブハウスへ行きました。

その友人自身が「滝本恭三&エルドラド」

というバンドのギターで出るからでした。

僕と同級生ですから45歳、バンドもそんな40代オッサンのバンドです。

ライブハウスに出かけるなんて何十年ぶりでしょうか

友人の姿を見がてら出かけました。

今回、イベントでこの「滝本恭三バンド」と仲が良い

「Nu-z(ヌーズ)」という20代の若者バンドとが対決するという構成。

申し訳ないのですが、どちらも聞いた事がなく、というか全く知りません。

そんな中、たった一人で出かけたライブハウスは満員で入れないくらい。

40代オッサンロッカーを自称する滝本恭三さんは、

ジャイアン並みのパワーで会場全体を盛り上げて行きました。

とにかく強力、驚いたのは僕の高校時代の友人が猛烈にギターがうまい事。

こんな僕も嫌がおうにも盛り上がって行きました。


後半、対戦形式だった「Nu-z」という若いバンド

対戦方法はお互いの持ち歌を歌い合い勝負するというものでしたが

この若いバンドの歌が、彼らが、すごくいいのです。

滝本恭三、NU-zどちらもオリジナルはどこかで聞いてもらったらいいのですが

対戦した曲、滝本恭三さんが大事にしてきた歌「Dear Dady」


これを若いNu-zが歌いました


毎日働きながら、家族を守りながら、夢見る事を忘れない40代と

貧しく認められない中、ままならない状況の中、夢見る事をあきらめない20代。

Nu-zというバンドは、もう、何年もこの滝本恭三さんにお世話になってきたのだと思います。

そんなお父さんみたいな人に「お父さん」の歌を歌った彼らの

彼らなりの「親愛なる…」を目の前で感じました。

最近、よく耳にするのは

「最近の若い奴らは全然ダメだ!こんな物、考えたら分かるやろっていうことが分からん。どういう教育受けて来たのか」

そんな言葉が多いのですが

世の中にはたとえそういう若者で

そういう教育しか受けれず、そういう育てられ方しかしなかったとしても

彼らは僕らオッサンに負けないぐらい考え、頑張っています。

現実的なこと

お金儲け、生活

色々あったとしても

「夢見ること」を手放してまで手に入れる「何か」は

そんなに価値があるんでしょうか。

たとえ矮小であっても

たとえつまらないことであっても

たとえ誰も評価してくれなくても

夢見ないで生きている人が、夢見て生きている人に何を言う資格があるのでしょう。

そんなことをこの歌を聞きながら思いました。

僕にもきっとできること

小さくとも夢を信じること

通り過ごしてしまうもの 〜たった3kmの中〜

とても慌ただしい日々を過ごしています。

去年、魂を削ってまで出たリンクステコンドー大会が昨日開催され


そんなことが遠い昔のような今日


降りそうな雨の前に長居公園に走りに行きました。


正直、走るの苦手で、2kmも精一杯だったのですが、7kmまで距離を伸ばして来ました。

とにかく膝のことを考えると、怖くて無理できず

7kmぐらいで走るのを辞めていたのが実際かもしれません。

今日は何とか10kmまで行きたいと、走っている途中で思いました。

7kmを越えたぐらいから、体が重く、足も進みづらくなってきました。

元々「いつ辞めてもいいんだ」という気持ちで走り始めたのですが

今は「辞めたくない」と考えています。

走りながらぼんやり思い出していました。



去年、あれ程過酷な練習をして、魂削るほどの思いでテコンドーの試合に出た事

確かに、砕けよとばかりに痛めた左足で、試合終了まで蹴り続けた時

自分より20歳以上も若い大学生達に、砕けよとばかりに蹴る時

僕は確かに「自分自身に負けない」という気持ちで一杯に満たされていました。


そんな事を思い出しながら走っていると

先ほどまで重かった体が

違和感を感じ始めた膝が

くじけそうだった心が

突然、楽になって快調に走っていました。

気づけば、振る両腕が

「ファイティングポーズ」となって走っていました。

そして、体の軸のブレも小さくなり、先ほどまでとは打って変わって効率よく走っています。


いつの間にか、僕の中から「自分に負けない」という心が無くなっていたことに気づきました。

体やケガのせいではなく、あれ程自分の中にあった「戦う意思」を無くしていたから

僕は走れなかったのだと気づきました。


自分自身と激しく戦っていた時のことを思い出したとき

体がその記憶に反応し、無意識に戦う形となり、そのまま走っていたようです。


自分の中に、いつの間にか無くした気持ちを取り戻した後は

これまで7kmを上回る快調さで10kmを簡単に走り切りっていました。

多分、もっと走れるんだろうなと感じました。


気づいた事

築いた事

確かにあったもの

人生の中で何度も何度も忘れたり、失ったりしながら

何度でも、同じ思いを気付き直して生きて行く

それは決して恥ずかしいことではなく

当たり前のことだと思います。

本当に怖いのは

そのことに気づかず通り過ぎてしまうことだと

つまらない、たった3km走る中でしたが

通り過ぎず気づきました。


僕が教えられたこと

ファイティングポーズを取れということ












変わらないもの 〜それは同じこと〜

昨日、今日と、鳥取県米子市に出かけていました。

新しいビジネスマッチングの為、大阪から事業者の方を

現地案内の為です。

今回考えた取組みは、介護において誰も考えつかなかった初めてのビジネスモデル。

初めてということは、これが成功するどころか

成立するのかも「まるで分からない事業」


その案内をしている合間に、朝日住宅の新しいテレビCMや広告について、代理店と打合せ。

前回、今回とテレビCMの映像については、制作プロットからディレクション、音源の選定など

割と細かい部分まで指示を出して作っています。

作ったCMが、広告業界の方からすると一風変わっていて面白いらしく

代理店の方が「これ、御社が考えたの?」と聞かれ

「クライアントが作った」という返事することに、少し苦い思いをしていますと

担当の方に言われました。


新しいビジネスを考え作ること

テレビCMを考え作ること

建築やデザインを考え作ること

形や内容が全く異なったとしても

「何も無い所から何かを創り出す」

ということに、何ら変わりません。

これまで建築で学び、経験して来た事は

「最短距離で到達する方向性」と「見た側と見られた側双方の主観バランス」で考えれば

新規事業の考案に置き換えることができます。

「見え方と感じ方、奥行き」と「詳細と意図的な歪み」「コンセプトからブレない」を守れば

映像の制作とかなり近しいと思います。

これは、僕が特別ではなく

誰しもが日常の中で持っている

「自分にできること」

これに置き換えれば

「自分がやったことがないこと=それは『自分にできること』と同じもの」

であるに過ぎません。

人はすぐに「やったことが無いから出来ない」

という、当たり前の理由で、いろいろな物を避けながら生きています。

世の中どんなことだって、何だって

「一番最初」はあったにも関わらず

自分自身、すべて「やったことが無い」ことを

一つ一つ積み上げてきてここに生きているにもかかわらず。

やったことの無いこと

やって出来無くったって問題はないはず

元々「やったことがないから出来ない」と言ってやらないんだから。


僕にできること

僕がやった事の無いことは

できることと何も変わらないと思うこと