茨城県最北端、プチ奥州大子町の城の掲載が続いたので、その大子にある山を掲載。
茨城県で一番有名な山はと言えば筑波山であるが、一番高い山は?
と聞かれれば意外と知らない人が多い。八溝山なのである。
茨城県と福島県の県境にある標高1021.8mの山である。
金が今も眠る黄金の山でもある。
しかし、この山、特徴ある姿をしていない。
遠くから眺めると平たい形なのである。お皿を伏せたような感じである。
多くのピーク部があり、八溝山というより八溝山地と言った方が妥当であり、直径が約15kmはありそうである。
その中で最高標高箇所を一応、八溝山の山頂としている。
平たい山と書くとなだらかそうに感じる。
ところがどっこい。この山、浸食により谷が発達し、しかも深い。
谷は溝のように山を侵食しているのが、八溝山の語源という。
近くに行くと遠景とは違って結構ギザギザした感じである。
ありがたいことに、冬期以外は山頂まで車で行けるので老人でも子供でも誰でも行けるのである。
その道、全面舗装されている。
狭い場所があり、カーブ、勾配がきつい場所もあるが、それほど走りにくいこともない。
ここには4月に行ったのだが、標高1000mを越えるので結構寒い。
山頂には日本の城を模した展望台↓がある。

昭和61年に造られたそうであるが、何でここに城なのか?全くセンスを疑う。
まさに高度成長期末期のモニュメントである。
そのうち、有形文化財?
さすが老朽化が激しくボロボロ、不気味であり中に入らなかった。
晴れていれば、展望台からは阿武隈高地をはじめとして磐梯山、奥日光、那須連山などの山々を望むことができるそうである。
気象条件に恵まれれば筑波山や富士山が見えることもあるという。

古来よりの信仰の山でもあり、山頂に豊作祈願の神である八溝嶺神社↑が、
八合目に坂東33箇所の21番札所である日輪寺↓がある。
信仰は山自体を神と崇める原始宗教がルーツであろう。
山頂部を発掘すれば、御岩山同様、縄文土器などが出土するのではないかと思われる。

中世は修験の場になった。
修験者がこの山に入った理由の1つは「金」だったとも言われる。
修験者は武士的な面もあり、戦国時代は軍事力の一翼を担っていたとも言われる。
同時に鉱山技師、すなわち「山師」も兼ねていたという。
八溝山系では既に奈良時代から産金があったようである。戦国期にはかなりの金山が操業し産金も多かったようである。
あちこちに坑道の入り口が残っていると言う。
ここに金山は白川結城氏が支配していたと言うが、佐竹氏に支配権が移っている。
その間、両者の間で激しい攻防戦が展開された。
修験者も軍事力を持ち、戦国大名と提携していたのではないかと思われる。
支配権というより契約と言った方がふさわしいかもしれない。
佐竹氏からは特に塩や海産物、穀類が優先提供されていたのだろう。
産金は江戸時代初期までは続いていたそうである。
今もまだかなりの埋蔵量はあるのだろうが、採算が合わないのでやっていないという。
江戸時代末期、元治元年9月の天狗党の乱では、水戸天狗党の別働隊の田中源蔵ほか300余名が追討軍に追い詰められ、山頂の八溝嶺神社に立て篭もった。
しかし、食料不足、情勢から神社前で隊を解散した。
田中、隊員たちは下山後、捕縛されほとんどが処刑されたという壮絶な歴史がある。
ではHP 紀行集
奥久慈紀行 八溝山 にて