今年2026年に確認した城です。
本邦初公開です。
管理人がこの城の存在を知ったのは2016年、講演会に来ていた麓に住む方からの情報だった。
しかし、詳細な場所や行き方も分からずずうっとほっておいた。
でも時は経ち、2025年赤色図が公開され、その位置が分かった。
さらにここにトライした城仲間からの情報で行くルートも把握できた。
もっとも行き方であるが、南の高貫町の北端から高貫林道を進み、途中から北西方向に歩くのが簡単なのだそうだ。
しかし、高貫林道は車が乗り入れられない。
理由はこの林道沿いが地質学的に重要な場所であり、カンブリア紀の地層があったりしてそれを保護するためだそうだ。
でも歩いては行ける。しかし、歩くとそれほどの急勾配な所はないのだが非常に長距離である。
直線距離で約1.4㎞、歩けば3㎞くらいはあるだろう。
かくなる上は最短ルートを選択、果たしてこれが良かったかは何ともいえない。
西下の茂宮川の渓谷からの直登ルートなら水平距離で約300mに過ぎない。
ところが比高は約170m。問題は比高じゃない。斜面の勾配である。
登った斜面、家で検証したら、水平距離180mに対して比高が110m、斜度32度である。
これはスキーのジャンプ台の勾配に匹敵する。
しかも、道なんかない。木に掴まりながらの登攀である。
何とか比較的緩やかな尾根上に出たら、今度は巨岩が林立、その間を登る。
怖いのなんの。・・でようやく城址に。
あった遺構はたった1本の堀切だけだった。
これほどの苦労をしてたったこれだけ。
歴史は不明である。しかし、ここの字名が城郭地名である「箕輪」である。
それが城の存在を伝えている。
誰が運用したのかも分からない。
岩場もあり、西側はかなり険しいので修験の寺院でもあった南下の長谷地区にあった長谷密蔵院の修験道場兼非常時の物見の可能性があろう。
ではブログに掲載した「高貫古道」と「長谷密蔵院」









