2025年に見つけた新城だったんだけどすっかりHPへの掲載を忘れていた城です。

言い訳に、HP記事の作成が間に合わない・・いつもこればかり言っている。
でも事実だからどうにもならない。

まあ、加齢に伴い、やる気が減退しているのも確かだが。
で、思い出していくつか作ってみた。

そのうちの1つ。相変わらず、これも小さい物件である。


中舟生館、茨城の片田舎、JR水郡線中舟生駅の西に見える標高188mの山が城址である。
ここは久慈川が大子から渓谷部から平野部に出る場所である。

なお、「舟生」は「ふにゅう」と読みます。


↑ 麓にあるJR水郡線中舟生駅、久慈川の渓谷沿いにある片田舎の超ローカル駅、なかなか味がある。

もちろん無人駅、列車は2時間に1本。旅番組だったら登場間違いない?いや、この地、特に何もない。

城は西から東の久慈川方面に張り出した尾根に築かれ、尾根の先端部周囲は急こう配である。

↑ 中舟生駅の西に見える山が城址である。

尾根上を2本の堀切で遮断し、3つの曲輪からなる長さ約150mの細長い城である。
山方城の北側を警戒するとともに家和楽砦等からの山方城への狼煙リレーの中継所と思われる。


さらに南側の谷には関沢地区を経由して桧沢に通じる街道が通り、南東下で棚倉街道に合流する。

 

この街道筋の監視も役目であろう。
簡素で古い形式であり、15世紀、山入の乱の頃、使われていたものと思われる。
なお、地元では城があったとの伝承は伝わっており、金山があったともいう。


ではHP    中舟生館 にて

 

福島県南部、棚倉から矢祭までの盆地を南流して来た久慈川は、矢祭山付近から狭隘部に入り、大子方面に向かう。
その狭隘部の入口部を塞ぐように山が聳え、山の東裾を久慈川が流れる。
この山の南側が矢祭渓谷である。
ここは関東からの東北への入り口にあたる。

久慈川に沿って走る国道118号線もかつてはこの山と久慈川沿いの狭い所を通っていたが、現在は「関岡トンネル」が山を貫通することでスムーズに走ることができる。

そのトンネルの通過する山が「関岡館」である。
関岡、まさに地名の通りここは旧棚倉街道の「関」である。


↑東から見た城址。左の山が22年前、間違えて登った山。谷部を旧棚倉街道が通る。

撮影場所と城址の間に久慈川が流れ、JR水郡線が通る。

左手が矢祭渓谷である。

この「関岡館」に行ったのは2004年11月5日であった。
しかし、いつもの痛恨のミスをした。
山は東西に分かれ、真ん中の谷部をかつての棚倉街道が通る。

今ほど城の位置情報も豊富ではなかった当時、神社のある高い山の方が城と思い込み西側の山を関岡館と信じて登った。
しかし、山頂部には平場や段々状の場所はあったが、取り立てて城というほどの遺構はなかった。
今、考えるとそれは本城の物見の場だったようだが・・下山して、何だこんなものか。
という感想を抱き帰路についた。
この程度の城ってあるのだ。

しかし「矢祭町史」を見たら、ちゃんとした城のイラストが掲載されているではないか!
俺が見たものではない!・・・で、気が付いた。これ東側の山だ!ショックである。
それから20年以上の月日が流れた。

この付近は何度も通った。トンネルも通った。

リベンジの機会はあったはずだが、どうしてもリベンジする気にならない。
これってトラウマか?


・・そして、ズルズル22年の時間が経過した。中年だった俺はジジイになった。
2026年1月17日、何を考えたか、急にリベンジの炎が灯った。
意を決して東の山に突撃!20年来の悔いをはらすため。
そしてリベンジを果たした。
で、こんな感じでした。


ではHP 関岡館 にて
 

茨城県最北端、プチ奥州大子町の城の掲載が続いたので、その大子にある山を掲載。
茨城県で一番有名な山はと言えば筑波山であるが、一番高い山は?
と聞かれれば意外と知らない人が多い。八溝山なのである。

 

茨城県と福島県の県境にある標高1021.8mの山である。
金が今も眠る黄金の山でもある。
しかし、この山、特徴ある姿をしていない。


遠くから眺めると平たい形なのである。お皿を伏せたような感じである。
多くのピーク部があり、八溝山というより八溝山地と言った方が妥当であり、直径が約15kmはありそうである。
その中で最高標高箇所を一応、八溝山の山頂としている。
平たい山と書くとなだらかそうに感じる。
ところがどっこい。この山、浸食により谷が発達し、しかも深い。

谷は溝のように山を侵食しているのが、八溝山の語源という。
近くに行くと遠景とは違って結構ギザギザした感じである。

ありがたいことに、冬期以外は山頂まで車で行けるので老人でも子供でも誰でも行けるのである。
その道、全面舗装されている。

狭い場所があり、カーブ、勾配がきつい場所もあるが、それほど走りにくいこともない。

ここには4月に行ったのだが、標高1000mを越えるので結構寒い。

山頂には日本の城を模した展望台↓がある。


昭和61年に造られたそうであるが、何でここに城なのか?全くセンスを疑う。
まさに高度成長期末期のモニュメントである。

そのうち、有形文化財?
さすが老朽化が激しくボロボロ、不気味であり中に入らなかった。

晴れていれば、展望台からは阿武隈高地をはじめとして磐梯山、奥日光、那須連山などの山々を望むことができるそうである。

気象条件に恵まれれば筑波山や富士山が見えることもあるという。

古来よりの信仰の山でもあり、山頂に豊作祈願の神である八溝嶺神社↑が、

八合目に坂東33箇所の21番札所である日輪寺↓がある。

信仰は山自体を神と崇める原始宗教がルーツであろう。

山頂部を発掘すれば、御岩山同様、縄文土器などが出土するのではないかと思われる。

中世は修験の場になった。
修験者がこの山に入った理由の1つは「金」だったとも言われる。

修験者は武士的な面もあり、戦国時代は軍事力の一翼を担っていたとも言われる。

同時に鉱山技師、すなわち「山師」も兼ねていたという。


八溝山系では既に奈良時代から産金があったようである。戦国期にはかなりの金山が操業し産金も多かったようである。

あちこちに坑道の入り口が残っていると言う。
ここに金山は白川結城氏が支配していたと言うが、佐竹氏に支配権が移っている。


その間、両者の間で激しい攻防戦が展開された。
修験者も軍事力を持ち、戦国大名と提携していたのではないかと思われる。

支配権というより契約と言った方がふさわしいかもしれない。

佐竹氏からは特に塩や海産物、穀類が優先提供されていたのだろう。
産金は江戸時代初期までは続いていたそうである。

今もまだかなりの埋蔵量はあるのだろうが、採算が合わないのでやっていないという。

江戸時代末期、元治元年9月の天狗党の乱では、水戸天狗党の別働隊の田中源蔵ほか300余名が追討軍に追い詰められ、山頂の八溝嶺神社に立て篭もった。
しかし、食料不足、情勢から神社前で隊を解散した。
田中、隊員たちは下山後、捕縛されほとんどが処刑されたという壮絶な歴史がある。

ではHP  紀行集 
奥久慈紀行 八溝山 にて


 

本邦初公開の城です。

城も戦国時代のものだと比較的明瞭なのだが、城が造られ始めた南北朝時代のものとなるとかなり怪しい。
ほとんどただの山に近いものもある。


ここで紹介するこの長者平砦もその1つである。

人によってはこんなもの城じゃない!と言うかもしれない。
疑・フェイク城館に近い。


管理人は城と判断したけど、一応、遺構もあるけど、判断した理由の1つには立地もある。
常陸で一番知名度が高い「金砂山城」の南にある。
金砂山城、平安末期の頼朝の佐竹攻め、いわゆる「金砂合戦」の舞台である。
しかし、何しろ合戦は平安時代のこと、ほぼ全てが伝説の中である。


さらに240年後、南北朝時代の「瓜連合戦」にも登場する。

この頃になると出城なども見つかっている。歴史も少し明確になる。


城は金砂山城の南、赤土町の圷地区と中沢地区の間にある標高約150m、比高約60mの山にある。
堀切は確認できず、段郭からなる古い感じの城である。


城の主郭は東西約80m、幅約10~15mの中央部が少し窪んだ形の細長い形で東側が若干高く(151.7m)西端(149m)に向かって緩く傾斜している。
西は尾根が下りとなり、小曲輪が数段あるが、非常に曖昧な感じである。

東端部は径約15mと若干広く、北東と南東は鋭い切岸になっており、約3m下に小曲輪がある。
北東側の曲輪からは北西下の集落方面に竪堀(虎口か?)が下る。


以上のような「緩い」城であり、位置と構造から、南北朝期の瓜連合戦における金砂山城の南を守る佐竹氏方の出城兼部隊の駐屯地であろう。
山入の乱の頃なら村の城として避難城として使われていた可能性もあろう。
では、HP 長者平砦 にて

4月30日、架空請求という記事を書いた。カード関係では、楽天、VISA、JCB、Amazon、三菱UFJ、AEON,セゾン、Master・・などの架空請求が来た。
架空料金要求では、国税庁、TEPCO,中電、東京ガスなどのが来ていた。


それなら、次は「年金」だ!と予想したら「ビンゴ」
ちゃんと来た!・・・早速、晒しちゃお。

俺の勘もまんざらじゃねえなあ、と妙に感心。
思考は詐欺師とおんなじような?


もっとも、俺も詐欺に近い物件を「城跡」だ。と世に発信しているので似たようなもんだが・・
ただ、違うのは金を騙し取る意図が俺にはないことだ!一部の愛好家を翻弄しているだけだ。

その点、まだまだ良心的?と言える!・・・・何のこっちゃ!意味不明。


しかし、いきなり差し押さえとは驚いた。

普通は「督促」が先のはずだが・・。それは後で来た。


それも封書で来るはず、メールで来る訳がない。

宛先がメールアドレス?普通は氏名なんだけどねえ。

誤字もある。・・まだまだ未熟な詐欺メールである。
AIで作ったのかなあ。pay payで払えってのが笑うけど。


しかし、延滞とか、滞納とかに心当たりがあれば「ドキッ」となるだろう。
慌てて引っかかる者もいるかもしれない。

そこを突いているのだろう。

 


しかし、迷惑ですね。

皆さまは引っかからないとは思いますが、一応、ご注意を。
さて、次はどんな手で来るのか?