管理人の城のHPは世の知られた城も掲載するが、一方では公開するのが本邦初という物件も柱にしている。

後者はいわゆる「一番槍物件」という奴である。
それ用のネタの城探しをしていると、これは本当に城なのか?という物件に何度も遭遇した。
ある人はそれは城と言うし、ある人はこれは城じゃないと言う。まあ、そんなビミョウな物件がほとんどである。


多分、タイムマシーンに乗って過去に飛ばないと、城かどうか永遠に分からないだろう。
 

城と判断する基準は、遺構と立地、伝承・文献、地名とか色々あるが、全部揃っているのは少ない。
ただの山を城として遺跡登録されている物もあった。

○○という武将が籠った(逃げ込んだ?)という伝承があるからだとの理由だそうである。伝承があればいい方である。


多くの城の場合、遺構以外に決めてがない場合が多い。
その遺構の判定が実に困りものである。誰が見ても「堀だ」と断言するものばかりではない。
人によって同じものを見ても見え方が違うのである。

季節による藪の有無や陽の当たり具合でも見え方が違う。
山の尾根の途中の平坦地なんか上から見ると堀切や曲輪に見えるが、そこに立ってみると斜面の傾斜が少し緩くなった場所だったなんてこともよくある。

一種の錯覚である。


堀なんか切通しの場合もあるし、古道ということもある。

自然地形ってこともあるし、耕作による場合もある。


管理人の場合、それを現地でスケッチし、家に帰って縄張図などにまとめ、鳥観図にする。

鳥観図をHPのメインにしたのはイメージ図なので誤魔化しが効くという利点もあるからである。

 

縄張図なんかメインにしたら「そこは堀じゃない」「虎口、堀が描かれていない」など突っ込まれて大変なことになる。
現に一部、HPに載せた縄張図や「図説 茨城の城郭」等に載せた図にそんなイチャモンがメールで来たことが何度かある。

 

皆、誰も自分の見解が一番正しいと思っているのだろうか。

まあ、それほどのプライドと自信があるのはいい。

しかし、場合によっては境界性人格障害にも思える。


「自分の見解で主張するな!俺にはそう見えないんだ!」と思うかともあるし、鋭い指摘に「ごもっとも、そうかあ、さすが」と納得しちゃうこともある。


今のように赤色図が公開されていれば、かなり縄張図の正確性は上がる。
しかし、昔描いた図なんか、曲輪の形は歪んでいるし、藪の中の遺構は見逃しているし・・そんな赤面物も多い。

昔の市町村史に掲載されている図なんて、ピカソ級の芸術的なものさえある。(ピカソのデッサン力は神級です。)

そういう図も苦労して描かれたのだろう。

 

でも、そういう昔の情報で描いたものに現在の情報をベースでケチつけられてもねえ。

結果論で物事を評論しているようなものだ。

俺も昔描いたものは赤色図で補正できるものは修正しているが・・・。


遺構が微妙なら尚更、個人により見解が相違する。

そういう個人的な見解の違いを一方的に主張、指摘されたら堪ったものではない。

喧嘩になりそう・・・。


個々の城郭パーツの扱いでもこうなのに、遺構パーツを総合して判断した「城」も・・チンプンカンプンなこともある。

それがこの2城。


疑・白羽館、東から見ればバッチリ城、西から見たらただの山という物件、外見が男か女かさっぱり分からん人みたいな?

(例えが分からん?)
疑・東野西砦、山の上の畑?こんな所に畑作るかなあ?曲輪なのかなあ?堀か道かビミョウで分からん。


ほとんど行く人はいないと思うけど、城じゃなかったとしても、一応記録に残しておきます。

何か、新事実が見つかるかもしれないので。

 

じゃあHP       疑・白羽館疑・東野西砦にて
 

2年前から茨城県では県教育委員会や茨城大学が主催して城郭サミットを開催しており、県央・県西編、県北編に続いて今年度は県南鹿行編を2月14日(土) 11:00~17:00   高正U&Iセンターホール(鹿嶋勤労文化会館)(鹿嶋市宮中325-1)鹿島で開催されます。


昨年度の県北編では管理人も発表しましたが、今年は開催者側のサポートとして参加します。
勿論、発表内容は鹿行、県南地方の城についてです。内容は結構マニアックです。


例年、茨城県内はもとより全国からマニアが来ます。
一昨年なんか、会場に人が入れずオーバーフローしました。
想像以上の人出で驚きました。


城郭本の販売もします。管理人も販売コーナーにいます。

興味のある皆様、是非、お出でください。
 

山の中を通る古道って結構楽しい。
昔は山を通る道はけっこう使われていたという。

山がちな地方なら、平地部を通るより山を横断した方が近道という場合も多い。
平地の道の方がもちろん便利だけど、大水などで川が溢れたり、橋が流されたりすると通行ができない。
しかし、山道は崖崩れということはあり得るが、平地の道より災害による通行止めのリスクは低いこともある。

 

また、昔は薪採りなどで人が山に入る機会も多かった。
でも、燃料が石油主体に代わり、自動車が普及して道路も整備されると山道は急激に廃れ、多くは廃道同然となってしまう。
今では、一部がハイキングコースなどで活用されるにすぎない。

この高貫古道は茨城県常陸太田市東部の高貫町北端から山に入り、日立市の高鈴ゴルフ場方面に向かう山道である。
道はその先、太平洋岸までつながっていたという。
この道は比較的最近、昭和30年代までは薪取りなどで使われていたようで、道筋ははっきりしている。


↑西から見た高貫古道が通る七曲山遠景、古道は山の稜線上に付けられている。

現在はハイキングで人が歩く程度であるが、マウンテンバイクで古道を走る者もいる。
行った時は3台とすれ違った。


この古道の特徴は、横堀状の道がかなりの部分を占め、場所によっては、城の堀のように複雑に分岐したりする場所もいくつかある。


↑ 南端の登口から七曲山までの間の堀底道、マウンテンバイクが凄い勢いで下って行く。

道がきついのは入口から500mほどの所にある七曲山までの比高115mまである。
そこから先は比高が約30m程度高くなる位のアップダウンが続くだけである。

歩くには最高である。
熊さんもいないし・・。


山中には色々なものがある。

山の神とか祭祀場とか、城跡まで。

そんなものに出会えるので楽しい。


↑七曲山山頂に残る祭祀場跡遺構

横堀状の道はかなり深いが、この山奥に砂鉄吹場(鑪場)があり、原料の砂鉄を高萩方面から牛で運び、さらに製品を現在の常陸太田駅付近にあった「鋳銭座」まで運んだという。

江戸時代、銅が不足したため、鉄で銭を鋳造していたのである。


↑横堀状古道、並行して2本の横堀がある。上り下り2車線になっていたようである。

その砂鉄吹場はかなり山奥、高鈴ゴルフクラブの南約1㎞、36.5711、140.5806の高貫川源流に近い山の中腹にあったという。
この施設は江戸時代、水戸藩が運営し、明和5年(1768)から安永6年(1777)まで稼働していたので砂鉄吹場も同時期に並行して稼働していたと思われる。
この山奥にあったのは海側から砂鉄を運搬する経路上にあり、燃料の薪を確保するためであろう。


今、この道を通るのは俺みたいな物好きが、マウンテンバイクのアンちゃん(おっちゃんも)達くらいか?
 

「罠に掛かる」・・非常に意味深でビミョーな言葉です。
色々な意味を含みますね。
詐欺に引っかかるのも罠に掛かる、というので騙すという意味も含みます。

英語だとトラップですね。
 

俺の場合はかあちゃんの罠に掛かった?。
かあちゃんが娘に「うちのとうちゃん、単純だからあんなの騙すのはお手のものよ。」とほざいたそうな。
妙に納得できる。見抜かれている。

で本題に。俺、詐欺にかかった訳じゃない。

俺が掛かったのは、本物の罠です。


道もない藪の中をうろつく、いや徘徊するのが俺の趣味。
その日も堀切1本物のチャチな城を見て、下山した。道なんかない。
藪をかき分け、尾根を麓に下りる方向に進んだ。


今はスマホにGPS機能があるので便利だ。
ひと昔、前なら、山中放浪した挙句、岩場や崖で進退窮まり孤立、プチ遭難なんてこともあった。


その日、もう少しで山麓という所で、靴に何かが絡まり前につんのめった。

リング状のワイヤーが靴に巻き付いていた。
(本来の)罠に掛かった。

いわゆる、「ククリ罠」というやつだ。

イノシシ用である。

トラバサミはもう使用禁止になっているので幸いなのだが。
 

確かに歩いてきたのはイノシシが歩く道だ。
だいたい、俺、イノシシのようなものだから仕方ないような・・
俺が歩くルート、ほとんど獣道、普通の人間が歩くような場所、歩いてないもんなあ。

そこに罠を仕掛けるのは十分納得してしまう。


大変なのは巻き付いたワイヤーを外すことだ。結構、きつい。なかなかとれない。
人間は手と工具が使えるので、何とか外したけど。動物じゃ無理だろう。よく出来ていると感心。

ちなみに俺は山でイノシシに遭遇したことは一度もない。
奴と縁遠いのは結構だけど。
カモシカには何回か会った。奴らは好奇心の塊、至近距離まで逃げない。カメラ向けるとポーズまで取る。

 

でも何故か、会いたくもない熊には5回も会っている。
一度は熊に威嚇され、逃げ帰る。
一度はステッキで熊を威嚇して崖から落としたけど。
(奴が勝手にパニックになって崖から落ちただけだが)
6回目の遭遇は御免こうむりたい。

罠に掛かる・・別の意味もある詐欺には気をつけましょう。

その手のメール、あの手この手で多いですね。本物か、と思わせる技巧的なものもある。AIで作るのか?
送り手のアドレス見れば大体分かるし、本人の名前宛じゃないもの(アドレス名宛)は詐欺メールでしょう。

架空請求も多いですね。俺、東京ガス使ってないし、中部電力から料金請求?なんじゃい。
俺の場合はハニートラップが危ない。近づいてきて、鼻の下伸ばしたら、そのうち投資勧誘?

ところで、1月も今日が最後ですね。
日本海側は大雪だというのに、当地では1月、雨が降りませんでした。

雪がちらついたことはありましたが、降水量はゼロ。
そんな事って今まであったのかなあ?これも夏の暑さ同様、異常気象か?


お陰で近所で山火事発生。

乾燥しているうえ、風が吹き、野焼きの火が燃え移ったらしいです。


我が家では有機農業用に専用の焼却機で剪定した枝葉を乾燥させ、処理し、草木灰肥料を作っています。
石灰代わりの中和剤、土壌消毒剤兼カリウム肥料です。

焼却にはハニトラ同様、気をつけたいです。

 

2025年に公表された赤色図で変な形が写っていたので、存在が分かった城である。
1月24日、孫の行っている保育園のお遊戯会に招待されていたのだが、孫がインフルになってお休み。
予定がなくなったので、その古羽黒館に行った。


これが2度目、前回はちょっと覗いただけなので、今回は隅々まで見ようと。
行く道があるようなないような・・大手道らしい道跡があったのでそこを進むとビンゴ!ちゃんと行けた。

酷い道だけど。

この城、福島県境に近い茨城県常陸太田市北部、里美の谷の西側の山、ハイキングコースになっている鍋足(なべあし)山(529m)から東に派生した尾根が一段高くなった場所、通称「古羽黒」399mが城の本郭である。


↑東から見た城址、中央右の杉の山、左が鍋足山

城のある山の北側と東側は崖、名前の「古羽黒」は今は移転しているが、昔、ここに羽黒社があったことから名付けられたという。ここは羽黒修験の修行の場、いわゆる「修験道場」だったようである。

確かに背後は崖だし、修行の場にはふさわしい場所である。

それが城郭化したものである。かなり大きい。
南北約350m、東西約200m、30位の曲輪がある。


南北に城があり、両者は回廊状の尾根で繋がっている。
北側の遺構が大きく、標高も高いので北が本城、南の城が出城と言えるだろう。
規模としては地区最大である。


何で今頃発見されたのか?地元に伝承はなく、人々はとうの昔に存在を忘れてしまったのか?
修験の修行の場で崖の上なのであまり人も行かなかったようである。
鍋足山にはハイキングコースが通るが、そのルートからも外れている。

崖や浸食で深い谷で囲まれた尾根上を平坦化して曲輪を造りだしているため、かなりの工事量を投入しており、長期にわたり整備した結果、この規模になったのであろう。
しかし、遺構は堀切等を有するが、基本的には段郭主体であり、古い感じがする。
戦国後期の城とは思えない。

まあ、ともかくでかかった。まだ、こんなのが埋もれているんだ。
詳細、HP 「古羽黒館にて