約20年ぶりに訪れた。
加園城前から県道240号線を荒井川に沿って約5㎞北西にある。
常真寺の裏が城址である。

 

城は北から荒井川の谷に張り出した山の末端、山というより丘状になった場所にある。
標高は238.5m、比高は20m、丘城、平山城である。
この城は本来4つの曲輪からなっていたようであるが、土取りで北側が湮滅状態になっており、南東端に位置する本郭も東側が削られている状況にある。
かなり損傷が激しいが、残存している遺構は素晴らしい。


常真寺裏側の一段高い墓地裏が土塁なのである。
寺からは比高が10mほどある。

その土塁の後ろが本郭と二郭の南側を覆う堀である。

深さは5m以上ある。
しかし、この土塁上にはフェンスが張られており主郭部には入れない。
昔は「ご自由にどうぞ」状態だったが、猪ちゃん達が暴れるのだろう。
でも倒竹でフェンスが壊れた部分があり、そこから城内に侵入できる。


この城、曲輪間の掘が凄い。

本郭、二郭間の堀は深さは6mほど、幅は約20mある巨大さである。


本郭及び二郭北側の曲輪は土取りにより湮滅状態、あるいは遺構が不明瞭になっている。

 

天文年間(1532~55)佐野一族の久我盛綱が築城したと言われる。
ここは佐野氏の領土であり、佐野氏に従っていたのであろう。
天正18年(1580)に小田原の役で北条氏に組した佐野氏に連座した久我氏滅亡により廃城になったという。
ではHP  久我城 にて



 

暑いですねえ。
夏だから当たり前ですが、それにしても・・
寒い冬には夏の暑さが懐かしい、なんて言ってましたが。


管理人の家、比高40mの高台にあり、夏場は結構、谷越えの風が吹きます。
一応、居間にはエアコンがありますが、20年くらい前は夏場は数回しか稼働させませんでした。
しかし、近年は日中は稼働させっぱなしです。明らかに温暖化していることが実感されます。
谷越えの風が温風化しています。


で、中学で教わった件、100m標高が高いと気温は0.6℃下がる。
標高1000mの高原なら海岸部に比べて6℃さがる。快適だろうねえ。


そこで、この物件、高原の湖、田代湖(群馬県嬬恋村田代)湖面の標高は1116mである。

海岸部より7℃気温が低いはず。

酷暑の今のシーズンには羨ましい。でも、冬場はねえ・・。


群馬県渋川市から長野県上田市までの間、吾妻川に沿った街道、国道145、144号線は何度も通った。
この道、日本で一番有名な温泉の一つ、草津温泉に関東方面から行くMaineルートでもある。


草津温泉に行く道は長野原で分岐するので、その先、信州との境、鳥居峠までの道は国道144号線となり嬬恋村を通る。
浅間山北麓の高原野菜の村である。

また、有名スケート選手を何人も輩出した村である。


そこにある湖である。

地図では結構大きく描かれている。あと5㎞くらいで長野県である。
直径は約1㎞ある。四阿山の南東山麓にある。なお、西の山麓が「菅平高原」である。


この付近、何十回も通っているのだが、ついぞこの湖、行ったことがなかった。
取り立てて有名な観光地だとか、リゾート地だという話も聞かない。

知名度も低い。案内板さえない。「どんな湖なんだろう?」
ちょっと時間があったので興味本位で立ち寄ってみた。
湖はちゃんと存在していた。


↑湖周囲には見事に何もない。

しかし、周囲には何もない。

林と高原野菜の畑や牛舎、放牧地があるだけである。
人もいないし、湖には近づけないように有刺鉄線が張られている。拍子抜けである。
森に囲まれた人気のない湖って、けっこう不気味そう。夜になんか来たくない。


看板があって知ったのだが、この湖、発電用の人工湖だったのだ。

てっきり天然ものかと思っていた。
くぼ地の南側をせき止め、湖にしているのだ。そのせき止めるダム、鹿沢ダムというのだそうだ。
高さ18.2mのアースダムで、東京電力リニューアブルパワーの発電用ダムで同社の水力発電所・鹿沢発電所に送水し、最大5,200キロワットの電力を発生させているそうである。土木学会の「日本の近代土木遺産~現存する重要な土木構造物2800選」のひとつだそうである。
結構古いダムで、大正14年(1925)に工事に着手し、翌年、大正15年・昭和元年に完成したという。


ダムと言うより、長堤と言った感じである。
湖側はコンクリートの遮水壁があるが、外側は土でカバーしているので山の斜面にしか見えない。
長さは981.8mもある。一見、ダムにも堤防にも見えない。
自然地形のくぼ地に水が溜まった自然の湖のように見える。

↑これがダムなのだが、堤である。長さが1㎞近くある。自然地形にしか見えない。上手く自然に溶け込んでいるものだ。
このような特異性が「日本の近代土木遺産~現存する重要な土木構造物2800選」に選ばれてた理由だそうである。
湖には近づけない。

発電の取水のため、水位の変動が激しいためとのことである。つまり収縮を繰り返す湖ってことである。
 

湖ではワカサギが多く生息しており、採卵事業を行っている。
採取されたワカサギの卵は全国各地のワカサギ釣りのスポットや漁業協同組合に流通され、養殖されている。

 

↑の写真に写る右手の山は浅間山である。山の反対側が軽井沢である。

活火山だけあり、煙を吐いている。拡大すると・・↓

この山を見ると、いつもかあちゃんを連想してしまう。彼女が激怒するとこんなイメージ。

俺の頭上にフライパンが振り下ろされそうで・・・。

お百姓さんの家は時として野菜の洪水に悩まされる。
きゅうり地獄、ズッキーニ地獄が終わり、トウモロコシも何とか処理が終わった。
その点、なすとかピーマンはマイペースでできるので楽だ。


で、今、トマト地獄の中にいる。
非農家さんから見れば、贅沢な悩みに見えるかもしれないが、それは「隣の芝生は・・」ってやつだ。
お百姓さんにとっては悩ましいのです。

昨年、2023年はトマトが不作だった。
できることにはできたのだが、途中からさっぱりになった。
特に、ミニトマトが酷かった。
植える場所をどこかで間違え、連作障害を起こしたのか?とも思った。しかし、近所のベテラン農家の人の何人かがやはりトマトがだめだと言っていた。やはり天候のせいだったのだろうか?

で、今年、2024年はどうか?もちろん、苗を植える場所については連作障害を避けるため、過去数年間の栽培記録を調べ、植える場所を選定した。
苗は大玉、中玉、ミニ、各2本を購入して植え込む。もちろん、枯れるリスクも考慮して多めなのだが・・でもそういう想定をすると大体反対に物事は作用する。全ての苗が順調に生育。そして実をつけ始めた。それも大量に・・・。毎日、ざる1杯分である。

気温は確かに暑いが、でも昨年とそれほど変わらないと思うのだが。
問題は採れたトマトの処理である。


もちろん人にあげる。それも押し付けるくらい大量に。

毎日、食べる。3食トマトが出て来る。あらゆる料理に使う。
ミニトマトはドライトマト、ピクルスに加工しようかと思う。


おやつ、デザートはトマト。

食べ過ぎたのか、おかげでお腹が緩くなる。
こんな努力をしても冷蔵庫には在庫が貯まり、いや増え続けていく。


どうせなら一年間、少しづつでもいいから継続的に採れればいいのだが、そうはいかない。
次はスイカ地獄に陥りそうな気配が・・・。

俺は信州川中島周辺のメジャー城郭のほとんどは征服した。
唯一、征服していなかったのがこの大岩城であった。
大岩城は須坂市と高山村の境にある国人領主、須田氏の本城である。

ちなみに「月生城」はこの大岩城の東を守る支城である。

城のある山はさすがごつい。

主郭のある山頂部の標高は679m、麓の標高が420mくらいなので比高は260mある。
周囲の勾配は急であり、岩が尾根に林立する。

ただ、主体部は尾根を利用して構築された典型的な直線連郭式の城なので山頂部分は至ってフラットなのだが・・だた、そこまで行くのが・・・・。
須田氏の本城といっても西の麓にある現在の蓮生寺の地にあった居館の詰めの城であり、ここには居住性はない。
あくまで詰めの城、緊急時の避難所である。


この城には2度チャレンジして失敗した。
1回目は2005年、北西端部の薬師堂から北西尾根を登った。

しかし天狗岩付近で挫折。
2度目は2008年、本来の居館からの登城路、蓮生寺裏から直接登るルートを行った。
ところが登城路の先に150㎏くらいあるツキノワグマが現れ、俺の前を行ったり来たりして威嚇。

「返れ」という意思表示である。

このため、撤退せざるを得ない状態となった。

この時、手にカメラを持っていたのであるが、それをすっかり忘れていて、絶好のシャッターチャンスを逃してしまった。

惜しい!まさに「絶好のチャンスは最悪のタイミングで訪れる。」のだ。

人生、そんなもんだ。
これ以降、この城は俺にとっては、トラウマとなった。


この近くの山城には行ったのだが、どうしてもこの城には足が向かなかった。
足がフリーズしてしまうのだ。

あれから15年が経った。
2023年5月13日、「らんまる殿」の同行を得て、遂に征服に成功した。

登攀ルートは北東尾根から登った。

このルートが一番登りやすいのだそうだ。でも本当だろうか?
このルートもかなりきついものだった。岩場もあるし・・・いずれにせよ行きにくい城という点では上位に入るだろう。
この城の一番の見どころ、大堀切である。


幅は17m、深さは10m以上、上から見ると谷である。

掘底に下りようとして滑落するというみっともなさ。
これでも2mくらいは埋まっていると思われる。
不思議なことに下草や灌木がなくきれいなのである。

まるで草刈がされているような感じなのである。
まさか熊さんが管理してくれているのも思えないけど。

 

なお、大岩城には熊の痕跡(糞とか爪跡)は確認できなかった。
中腹あたりにお住まいか?
この堀切の工事量、すさまじい量である。

麓からここに登って来ての作業である。
果たして地元の土豪にすぎない須田氏にそんな動員力はあったのか?
武田氏または上杉氏の手が入っているのではないだろうか?

築城時期は地元の土豪須田氏が独立していた頃である。

武田氏の侵略が始まると、大岩城の須田氏は上杉方に付き、武田氏に追われ当主須田満親は越後の亡命する。

しかし武田氏が滅び、織田氏が撤退すると、信濃に帰還し、海津城主になり上杉景勝から川中島四郡の支配を任される。

この時、大岩城がどのように使われたのかも分からない。


この須田満親が徳川が真田を攻めた第一次上田合戦では真田氏を支援する上杉軍を率いて出陣し、徳川軍をけん制する。
さらに、跡を継いだ長義は上杉氏の会津移封に同行して去り、梁川城の城代を勤める。


梁川城に入った須田長義、北の関ヶ原で伊達政宗の攻撃を受けるが、苦戦の末これを撃退し、伊達軍を撤退に追い込む武功を挙げる。この時、梁川城に入り、一緒に戦ったのが、佐竹氏より派遣されていた車猛虎である。
須田氏、なかなか優秀で勇猛な一族だったようである。


では 詳細 HP 大岩城にて
 

やっと梅雨が明けました。
でも、ビミョウですね。暑くなるもん。

暑いのは嫌いだ。
まだ、寒い方がいい。
って、冬は逆のこと言っていたような気がするけど。


ともかく、今のシーズン、草が凄いです。

刈っても刈ってもキリがない。すぐ復活する。


草ほどではないけど野菜も凄いです。

毎日、採っても採っても食べきれない状態が続いています。
毎日、トマト、ナス、ズッキーニ、ピーマンが籠1つ分収獲される。


そして、ようやくトウモロコシが・・・
我が家付近ではかつてハクビシンが暴れまわり大きな被害が出ましたが、撲滅され、今は敵はカラスのみ。
そのため、防獣ネットは張らず、対空防御のナイロン線を張るだけ。


でも、一部、獣らしい奴にやられた↓が、被害は少ない方だ。


我が家のトウモロコシは200円の種袋をポットで発芽させ、移植したもの約40本。
でき始めると一気にできる。

もう少しできるのを分割してくれればいいのだが。
だいたい、1本の茎から2本が採れる。


既に40本ほど採ったが、一気に食べるのは不可能。
人にもあげたが残りのほとんどは茹でて、粒を外して冷凍して色々な料理に使う。
粒を取る作業がこれまた大変。


明日も作業は続く、あと40本を処理しなきゃならない。
その間にも他の野菜も採らなきゃならない。