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LIFE AQUATIC

人生は海だ!!

ビレッジには食器が大量にあった。


鍋やパーティ時には、人数をあまり気にすることが無かったので、よかった。


私はもてなす際に、食器が各自に行き渡らなければ、とても申し訳ない気持ちになる。


それは、くつろげる場所も同じだ。


もてなす気持ちが欠けているように思う。


ビレッジは綺麗ではないし(暗くしてごまかしていた)広くも無い。


だから気持ちだけは、忘れないほうがいいと頑張っていたように思う。


うん、頑張っていたなあと思う。


そんな分けで大量の食器があった。


それが、大量の洗い物となった。


3週間ほったらかした事がある。いつごろだったかは忘れてしまった。


食器はいくらでもあるので、台所に積み上げるだけで大きな問題にはならなかった。


これが、問題の先送りといわれるモノだと後で身にしみた。


食器が洗い場を占領して、洗えなくなってしまった。


そのとき初めて分かったのだが、食器というものはまず


①洗うところ ②乾かすところ ③直すところの3つのスペースがある程度均等に必要なのである。


そして、そんな事は分かっていた、ハズである。


そんな事とは①があふれると②③が機能しないということだ。


仕方がないので、風呂場で洗った。


浴槽につけて洗えるものから洗っていって、浴槽の外に置いていった。


思ったより手間取った。


二度とすまいと思った。


風呂場で洗いながら大事なことに気がついた。


ここまで、食器はいらない。

3年前に肺気腫を患い、ついでにタバコをやめた。


私はタバコに関しては、吸い続けてもいいものだと思っている。


問題が無ければ、やめる必要などない。


ただ、精神的にお別れかなと思ったからやめた。


やめてから余計にタバコに関わる思い出が蘇る。


私は寒いところで吸うタバコより、真夏の太陽の下で吸うあの不味いタバコが好きだったようだ。


空を見上げ太陽に一瞥をくれ、辺りを見回しゆっくりと火をつける。


そんなイメージが蘇る。


真夏の芸大の構内は打ちっぱなしの校舎に囲まれて、クラクラする暑さだった。


メインストリートには知らない女性が本を読んでいるだけで、2人以外誰もいなかった。


今では、ナゼそこにいたのかは、思い出せない。


思い出せるのは、その女性にタバコの火を借りたこと。


お礼にアイスコーヒー買って渡したこと。


一緒に飲んで、数本タバコを吸って、わかれた事。


それ以来、彼女にはあっていない。


真夏の太陽の下で吸うタバコは不味かった。


今は手に入れられないどうしようもない思い出と感情がそこに、あるのかもしれない。



マージャンは父から教わった。


父は非常に頭の良い人だったが、自分の明晰さを全く信じられなかったらしく、


自分は本当に頭の悪い人間だと思っていたようだ。


私が似たのは自信が無いところだけのように思う。


頭脳の明晰さは残念ながら譲り受けていない。


その父も、マージャンには自信があったらしい。


”普通の人なら負けないよ”と言っていた。いつも控えめに嬉しそうに話した


私は20歳~22歳の時期にマージャンをよくした。


誇らしげに言うことではないだろうが、誇らしい思い出だ。


特に良く打ったのはビレッジオリジナルのSS、NM、MY。


そこに、泉北のHA、SW、TA、THもいた。


泉北では仕事後にうった。


雪の降る晩、道路が通行止めになり作業が中止され、


続々と早上がりのメンバーが賭場を開いた。


雪は夜中降り続け、事務所裏の草地を青白く染めていった。


汚れたつなぎをまとい、タバコの煙にまみれた、我々はぼんやりと若い顔を外に


グイと突き出し、その様子を眺めた。


”美しいな”と思った。思い出すと、若い自分が心に戻る。


その心に色彩が戻る。


一番面白かったのは、H山君の”ロンのみ事件”だろう。


読者に説明は必要ないと思うので割愛する。


大学1回生の時に、八尾のNMの家でマージャンをした。


重要なテストを休み徹夜でうった。


私が留年したのは、おそらくそのせいと思う。


私はあの日のマージャンを一生忘れない。

私は人をもてなすことが好きだ。


おそらくそれは、人から何かを求められ具体的に”返すこと”が出来るからだと思う。


そのような関係を仕事上で出来ることは、私にとって夢である。


たくさんの方々がビレッジに来ていただいた。


みなさん個性的で楽しい方が多かった。


私はそんな魅力的な人たちが、わざわざ足を運んでくれた事に感謝していた。


その感謝をもてなすことで示していたように思う。


別に私のもてなしを受けるために来ていたわけではないと思う。


ただ、足を運んでいただいた事実にどのようにすればお礼を返せるだろう、


喜んでいただけるだろうと真剣に考えていた。


くつろいでいただいたり、誉められると、本当にうれしかった。


だから、店をどうしてもやりたかった。それが夢だと思った。


夢とは何か?を考え直したときは卒業間近の2月であった。


ある初老の男性が私に向かって言った。


「君の夢はなんだ」


私は、自分の夢とは店をやることで、卒業したらバイトしてお金を貯めて創めたい、と伝えた。


その男性は続けていった。


「夢というものは、人生をかけて追い求めるものではないだろうか。


もしかしたら、叶わないかもしれない、そんな切実な情熱を持ち続けられるものだと思う。


私は50を越えた人間だが、坊さんになりたいんだ。まだ夢は叶えられそうにもないがね」


おそらくあの事がなければ、店を興していたに違いない。


夢のサイズを測れずに、終わっていたかもしれない。


逃げたくてたまらなくなると、思い出す。


それが夢の本当の役割なのかもしれない。

泉北には、個性的な方がたくさんいてお世話になった。


その中でも、高島さんには特に良くしていだいた。


彼は、VESPAに乗り、イギリス音楽をこよなく愛し、


自衛隊経験があり、遠く南の島に恋人を持つ人だった。


イベントがあるから、遊びに行こうという話になった。


”きっと気に入る”と言った。


場所は梅田のクラブダウン。


NO MUSIC NO LIFE な、お兄さんとお姉さんがたくさんいて、


その艶やかな光景と突き抜ける新旧ロックの嵐に、耳も目も眩んだ。


浮かれたままの私をみて、彼は私の腕を取り言った。


「音楽を楽しみ、愛しむ人たちに軟派なことをしてはいけないよ」


クラブにいくと今でもその事を思い出して、なんとも禅な気持ちになってしまう。


3年ほど前、一人でクラブダウンに行った。


ひとしきり踊り壁にもたれて休んでいたら、知らない女の子が声をかけてきた。


「お兄さん、いくつ?実はけっこう歳でしょ」


「うん、ここにいる誰よりも年上だと思うよ」


「君は、いくつ?」


「ここにいる、一番若い年代の一人だと思う」


20歳の時、初めていった、クラブダウンは大人の匂いが漂い、


自分がクールになれない若造に思えた。


その7年後に訪ねたその場所は、自分より若い人たちが住む世界になっていた。


ダンスホールに彼がいるような気がして、目を凝らした。


”馴染んでいるかな”その言葉を飲み込んで、後にした。







社内の人間が瀕死の猫を拾ってきた。


私は猫アレルギーなので、すぐに猫がいると分かった。


瀕死だった猫は無事、生気を取り戻した。私は丸1日、鼻炎で苦しんだ。


ここで文句を言っても仕方がないなとぶつぶつ言いながら、働いていた。


ビレッジの屋根裏部屋にも猫がいた。住み始めた春の終わりに子供を産んでいた。


ちょうどその頃、MYがよく顔を出すようになっていた。


彼は3つ年上だが、少し人より人生を楽しみすぎたとかで、我々より1年遅く芸大に入学した。


彼とは、同じ芸大専用の予備校の卒業生ということで、知人を介して知り合った。


ビレッジにきて、何日かたつと、彼はさっさと押入れに布団を敷き詰め、寝床を完成させた。


ビレッジで唯一の個人部屋を取得した彼は、しっかりとビレッジの生活に溶け込んでいった。


ある時彼が言った。


「ビレッジのタタミの上で寝転んで、その後顔を手でこすると、ホコリがボロボロ取れる」


「だから、押入れで寝ているのだよ」


掃除という言葉がひとつも出てこない所が、いい。


押入れの上からは、子猫たちのニーニーという声が少し聞こえていた。


その猫のせいか、ノミが発生しはじめた。


私はノミにかまれない性質なので良かったが、後の2人は相当苦しんでいた。


ある夜、3人とも寝静まった頃、MYが押入れの中で暴れ始めた。


何だろうとMNと明かりをつけて、押しれを見ると、サッと押入れがあいて、


MYが転がり出てきた。


「何かいる!」


彼の顔にはたくさんのホクロがついていた。


よく見ると、それはノミのようだった。


押入れの天井に穴が開いていて、そこから一気に攻めてきたらしい。


ひとしきり大笑いした後、コンビニにバルサンを買いに行き、


押入れの穴をガムテープで塞いで、ノミを駆除した。


それ以来4年間ビレッジにノミは現れなかった。


本当にあの穴から入っていたんだなあと思った。


MYはその後もよく泊まっていったが、本格的に住み始めるのはそこから1年後の


95年4月からであり、SSも加えビレッジ史上最大所帯の4人暮らしが始まっていく。


ビレッジ第2期の幕開けである。

私の友人が本日11月22日入籍した。


彼の奥様は高校時代からの私の妹の友人であったりして、ずっと気にしていた。


無事入籍して本当に良かった。


私としては、30を超えて結婚していないのは何か問題があるのだろうと


自分自身そう判断している。


結婚出来る人はやはり人間としての必要な優しさを備えていて、


私はそれが欠落しているように感じる。


刺青を体に刻む人は、やはり自己中心的であり他人のことを自分の意識に


置かずに生活しているような気がする。


ヤクザな人間というより自己中心的な人間に思える。


そうでもないのだけれど・・・と誰にでもなく弁解したりする。


人間は、もともと自己中心的なものであって、それが結婚をすることで


心を共有できる存在になれるのでは、と大げさなイメージを抱いてしまう。


だから結婚をする人をみると安心し、少し妬ける。いいなと思う。


また、結婚していない友人には妙なライバル意識と、親しみを感じてしまう。


私の結婚観がこのようなものであって、誰かを中傷しているわけでは


無いことはご理解いただきたい。


このような報告をしていただいたことを、大変うれしく思う。


二人の関係が、二人にしか分からない理由でずっと続いていくことを祈っている

私の体調は、部屋の清潔度によってかなり変化する。


自宅にしろ職場にしろその辺りは通常の方に比べて相当神経質と思う。


とくにホコリが駄目なので、掃除機は欠かせない。


掃除機には自信がある。学生の時分にお世話になったアルバイト先の職種のせいだ。


その会社は堺の泉北にあって、レストランなどの深夜の掃除が主な業容だった。


我々はそこを、泉北と呼んでいた。


大学に入ってスグTA君に連れられて、泉北に行った。


彼は非常に有能なタイプの人間で、めきめきと頭角を現した。


私は特に才があるわけではないが、連れ立って入ったTAのお陰で何となく


出来る人のように思われて、可愛がられていた。


TAは免許を取得し、リーダーとして重要な役割を担う人間になった。


私は、やめたり戻ったりしながらもかなり優遇されていたように思う。


泉北には、個性的な先輩方が多くいた。


サカモトカナタニイマフクカワベスミタニハラダハマサンワンワンカズサンetc...


とりあえず怖かった。そういえば、初めて吉野家の牛丼を食べたのも


この方々との係わり合いの中でだった。


当初私とTMの2人だった芸大チームは急速に仲間を増やしていった。


SI・NM・HM・SS・MY、私やTMの面々が集結し始める。


この辺りから諸先輩方との力関係が拮抗してくる。


芸大チームは徐々に勢力を伸ばしていく中で、新しい勢力も産まれつつあった。


TI・HA・SW・HTの面々である。彼らは学年で言うと我々より一つ上の方々だった。


数は芸大チームが優勢にはなっていたが、キャリアや年齢の問題として、微妙な立場であった。


現実的な力関係は徐々にHA・SW・HTと芸大チームの自公連立のような形で、落ち着いていった。


この頃が一番面白かったように思う。特に女性もいないし、深夜の掃除である。


でも、戻ってきてからの麻雀や、その他の悪事、みんなで和気藹々と出来るのは


本当に楽しかった。


芸大関係者には、通勤手段に協力していただき申し訳ないことをしたと反省と、


文句一つ言わず時間を合わせてくれたことを、心から感謝している。


まだまだ楽しい話題はあるのだが、ここは一度には語りつくせない場所である。


機会を見つけて書ければと思う。


ここでの話は突っ込みすぎると、犯罪の恐れがあるので用心するつもりでは、ある。





目が覚めた。


ビレッジには光が入らないので、いつものように薄暗い。


今が、朝なのか夜なのかを考える。


自分が何をしなければならないかを思い出そうとする。


この時に気を抜くと、寝る。


何とか目を開け続け、覚醒させなければならない。


ひとまず体を起こす。


おそらく今が夕暮れに近い状態であろうことを思い出す。


「また、やってしまった・・・・」


毎度する後悔を、またする。


また学校に行けなかった。とため息が出る。


ここでまた気を抜くと寝てしまう。


気を入れて、布団から出る。


リビングに行き、水を飲み小便をしホットカーペットの電源を入れる。


タバコに火を付けて、腹が減ったと考える。


電話が鳴る。


「今日は誰かいるのか?」・・・「多分、いるよ」・・・「あとで顔を出すかも」


また誰か来るのだろう、この調子では今夜も朝までになるかもしれない。


そうしたら、徹夜明けで講義に出なければならない。


それはしんどいから、今日は早めに寝て明日に備えてみてはどうだろうか、


などと考えていると、また電話が鳴る。


「今日、鍋するから来る?」MSさんから。


この人には本当に世話になった。


さっきまでの鬱蒼とした考えもひとまず横へ。「適当に行く」と電話を切る。


今日は誰に会えるかな、おいしいものが食べられるかなと思い、準備する。


SSが起きてきた。「MSさんとこに行こう、鍋らしい」


「風呂に入るからちょっと待って」とタバコに火を付けながら、彼は言った。


また、夜明けとともに眠りについて、夕暮れに目を醒ますことになるのだろう。


毎日、後悔と退屈と空腹があった。


私はどうしてもその思い出を塗り替えることが出来ない。

今住んでいるマンションのゴミ捨て場は、とても入り口が小さくあまりゴミを


溜めた状態で捨てようとすると、入り口にはまらなくなってしまい、押し込むのに


骨が折れる。


だから、割とこまめに取り替えようとするのだが、越してきた際に大き目のゴミ袋を


買ってしまったので、気を抜くとたくさんゴミを詰め込んでしまい、後悔することになる。


ビレッジではゴミは2種類に分けられていた。


コップや電球などの割れ物はテレビの裏にそのまま隠蔽される。それ以外はゴミ袋。


それを10畳程度のリビングにもう一つの部屋であるタタミ6畳間から、放り出し終了する。


さすがに、割れ物はそれほど溜まらないが、ゴミ袋はどんどん増える。


ある時、リビングがゴミ袋でいっぱいになってしまった。


トイレへの道と風呂場への道と玄関への道だけが確保されている状態で、それ以外は


ゴミ袋が敷き詰められていた。


2人でリビングを眺めながら、MNがぽつりと言った。


「この上に、大きな板を載せれば、また床が出来る」


このプランは検討の結果、トイレに入れなくなる(トイレがリビングの床に隣接していた)


ために却下された。


そういえば、麻雀にはまっていた時には、ゴミ袋を枕にしてコタツに足を突っ込んで


寝起きを繰り返していた時期もあったように思う。


その時は4人暮らしで、寝て起きてコンビニ行って弁当買ってそれをゴミ袋に入れて


それを横にのけて、麻雀してまたコンビに行って弁当買ってゴミ袋に入れて続きして


眠たくなって、そのまま後ろに倒れてゴミ袋を枕にして眠りについていた。


おそらく、二度とあんなふうに眠りにつくことはないだろう。


ただ、あの時は何もおかしいと感じなかった事をおもしろく思う。