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LIFE AQUATIC

人生は海だ!!

師走はどうも落ち着きがなくなってしまう。


連休に向かって一致団結している姿が良いのか?


はたして、カウントダウンで一気にリセットされる感覚がいいのか?


何ともいえない雰囲気が漂う感じがいい。



デパートなどでエスカレーターに乗るとたいていは左側によって、上まで歩いてしまう。


階段を上がるのは辛いけれど、エスカレーターなら楽だし歩いているから、マシかなと思ってしまう。


関西は左側を、関東は右側を空けて乗る。


そういえば、いつからエスカレーターの歩行側をあけるようになったのだろう。


昔はエスカレーターはじっとしていたような気がする。


元来ぼんやりとした少年だったので、忘れているだけかもしれない。


でも、そんなに皆急いでいなかったように思う。


師走のせいか、やけに目に付く。



どこもかしこも時間を節約するのに必死で、ちょっと怖い時がある。


ぼんやりしている子供達は、時間節約のための作法を叩き込まれる。


モモという物語がある。


ミヒャエルエンデの作品だが、ネバーエンディングストーリーの作者といえば有名か。


モモは時間泥棒と戦う女の子の話。


時間泥棒は時間を節約すれば、時間がストックされて後ほどそれが帰ってくると


人々をだまして、時間を吸い上げていく、モンスターたち。


時間を節約する人々はどんどん話をしなくなり、コミュニケーションも最小にとどめ


癒される時間さえもストックしようとする。


私は、ぼんやりとした子供が、いらいらした大人の目にさらされる事がイヤだ。


その子供に真実を教えない大人達がきらいだ。


”急いでいる人もいるし、急がなくてもいい人もいる


それによって手に出来るものと出来ないものが、それぞれにある、


あなたはどちらがいいかを、選んでいけばいい”


いい大人になった今、きちんと伝えなければと思う。

私はたいそう気が利かない人間だけれど、大学に入るまではそれが特に強かったように思う。


そのような少年時代なだけに、その当時友人と呼べるものはほとんどいなかった。


高校3年生の春に、芸大に進路を決めたので、絵の予備校に通いだした。


ただでさえ友達が出来ない人間なので、一から人間関係を築くことはあまり考えてなかった。


そこは、【三国ヶ丘アートスタジオ】という名前だったため、”アート”と呼ばれていた。


そこには今までとは全く違う人たちがたくさんいた。


明るい人や楽しい人、哲学的な人や、華やかな人、そんな人たちが私に声をかけてくれた。


なぜ、優しくしてくれるのだろうと、よく不思議に思った。


大げさかもしれないけれど、彼らがいなければ、どうなっていたのだろう。


人に優しく、当時カラオケでもよく歌われた。


救われたな、と今となって思う。



色んなことを書こうかと思ったけれど、いっぱいありすぎるので辞めておく。


不思議なことに、最近の事柄よりもアートのベランダで吸ったタバコの記憶のほうが


鮮明かもしれない。


イーゼルがひしめき合う2階、階段の横の窓や、壁一面の鏡。


キリンビールの瓶やトルソー、たくさんの石膏たち。


思い出が深すぎて、三国ヶ丘にいくだけでソワソワする。


駅前のミスタードーナッツでは、みんなが待っている気がする。


JAMはもうないけれど、またあそこで笑えるような気がする。


ここまで書いて思った、贅沢なくらい楽しかった思い出が多い。


キリがないので思い出話はまた、いつか。



”帰りに、モス行けへん?”


簡単な言葉に感動した記憶は、永遠に色褪せない。

私は新しいものが大好きだ。


そして、音楽も大好きだ。


なので、新しい携帯電話で音楽が聞けるという事実は、


私にとって・・・・素敵だ。


携帯電話で音楽を聞く方法は、SDカードに音楽データを取り込んで、再生する。


たったこれだけのことである。


素敵な事実に盲目になっている私は、早速ヨドバシ梅田にてSDカード128Mを購入した。


自宅にて音楽データを移し変え・・・移らない。


試しに16Mの容量のSDカードで行うと・・・移る。


しかし、16Mは容量が小さすぎて4曲しか入らない。


ひとまず、メーカーに問合せし交換してもらう。


その間、16MのMAXIシングル状態の携帯プレーヤーは鳴り続けた。


途中で3年ぶりに引き出してきたヘッドフォンのスポンジがモロモロに崩れ去り、


また、ヨドバシ梅田にてヘッドフォンを購入した。



SDカードは1週間後、届いた。


ドキドキしながら、差し込んでみた・・・移らない。


メーカもSDカードに問題はなかったが、念のため新しいのを送ったと書いてあった。


カードに問題がなければ、パソコン側のカード差込口に問題がるのだろうかと思い、


SDカードの差込口の購入を考えた。


勤務中に購入して、社に戻ったら早速ちょっと試しにと思い、128MのSDカードを


コートのポケットにいれた。


天王寺のソフマップでSDカードリーダーなるものを無事購入できた。


社に戻り、カードリーダーの封をあけて、SDカードを差し込む準備が整った。


無い。


128MのSDカードが見当たらない。


コートにもカバンにも、背広にも、財布にも裏地の中にも、無い。


無いものは仕方ない。


 相談に載ってくれた、HAさん


 丁寧に教えてくれた、ヨドバシ梅田とソフマップの店員さん


 探し回ってくれた、はなまるうどん、スーツのF1の店長さん


 メモリーメーカーのハギハラシスコムの方々


 皆様、本当にありがとうございました。

 

 もう、あのメモリーは消去してください。








以前、焼肉NO1の話を書いたけれど、あの話からのスピンオフ。


焼肉は夏によく食べに行ったように思う。


暑いさなかに、煙の中に飛び込んでいくことは気が引けるのだが、焼肉は夏の思い出と重なる。


おそらく、それはプールのせいだろう。



ビレッジのそばに、草野球にピッタリな大きさのグラウンドがあった。


私は一度もそのグラウンドを活用したことはなかった。


プールがグラウンドに併設されていて、夏休みの昼間には市民プールとして、


地域住民に開放されていた。



私たちは、そのプールを夜に利用した。


焼肉食べて、ビールを飲んで汗をかきながら帰ってきて、考えた。


【プールがあるぞ】


海水パンツをはいてビレッジを出る。


タオルも持参する。


T市のK町は夜になるとはてしなく静かになる。


騒ぎ声は周囲に漏れているが、気にしては鉄条網は超えられない。



本当に昼間は使われているのだろうか、廃墟のようだ。


水はぬらりと光っていた。


飛び込めば私たちのモノになる。



少し泳いであがる。


昼間とは違う暖かさが夜のプールにはある。


【太陽がないのに・・・】


再び鉄条網を超えてビレッジへ向かう。


周囲はシンとして、世界には私たちだけのように錯覚する。


あの時はよく、そんな風に世界の成り立ちを考えた。


”いつまでも、月明かりに照らされて生きていくのかもしれない”


大げさにいうならば、そういう感じだろう。


誇らしげにいうならば、きっとそういうことなんだろう。







私が始めて車を運転したのは、新金岡の神戸屋の駐車場だ。


当時はまだ自動車免許が無かった。


練習車はオンボロの31-43だった。


マニュアルはクラッチがあるため、車を走らせる事が難しい。


それならば、バックしてみようということになった。


バックのほうが優しいらしいので、その練習をしていた。


ギアをいれ、クラッチペダルを踏み、ブレーキをゆっくりあげた。


31-43はバックせず、KBC新金の植え込みに突き刺さってとまった。


ギアをバックにいれず1速に入れていた。


運良く植え込みであったため、被害はランプが少し欠けた位ですんだ。



31-43はオンボロだ。


泉北高速で後ろの扉が開いてしまい、


ナスが扇風機と共に吹き飛んだとか飛んでないとか、多くの逸話があった。


最期は壮絶であったらしい。


詳しくはコメントを期待したいが、どこかの高速で煙が出たとか出ないとか


風の便りに聞いたおぼえがある。



例えば、ビレッジがもう一度あのままに復活して、そこにいることが出来れば私は泣くだろう。


31-43の車内にもう一度搭乗できれば、どんな気持ちになるのだろう。


懐かしんで泣くのだろうか?


たぶん、眠たくてしんどくて汚かった日々を思い出して、照れ笑いをしてしまいそうだ。


泉北はそんな思い出の詰まった場所である。



次回特集⇒「ナゼ解雇されたのか!? SIの深夜の不可解な行動に緊急接近!」

私の通勤途中に放置バイクがある。


もう何ヶ月もあるので、白く粉をふいたようになっている。


そのバイクのカゴにダイドーデミタスコーヒーの空き缶が入っていた。


気づいた頃は3個程度だった。


ある時、それが7個くらいに増えていた。


気にし始めてみると、2日に1個のペースで増えている。


誰かが、通勤(学?)の途中で飲み捨てているのだろう。


知らない誰かの意思が感じられるとき、なんとなくソワソワしてしまう。



デミタスは石川の河原で初めて飲んだ。


私は糖分をあまり摂取できないので、缶コーヒーは控えていたが、


ある人に勧められて飲んだ。


「このコーヒー知っているか?」


知らない、と私は言った。


「今、日本で一番上手い缶コーヒーだ」


得意気に話す彼の言い方に興味をそそられた。


時々石川の河原に立ち、タバコをくわえ、デミタスを飲みながら色んなことを考えた。


白く湯気の立つ厳冬の河原は本当に寒かった。


デミタスは私を暖めてはくれなかったけれど、その場所でしか飲まない特別なものだった。



いまは、あの時想像しなかった未来にいる。


放置されたバイクの横を寒さをこらえて歩いている。


デミタスは誰かに捨てられたらしい、空になったバイクがそのまま放置されていた。



このブログを続けるにあたって、とっておきたい逸話がいくつかある。


罵詈雑言はその中のひとつだ。


バリゾーゴンのほうが、らしい。


MSさんと仲良くなったのもこれのおかげだ。


バリゾーゴンは映画である。


人生のある点で、この映画とのかかわりは非常に貴重だと思う。


非常に稀な映画であると思う。


MSさんとSI君とSS君、MY君らとでひとしきり夜更かしした後、


今日、この映画がT市の公民館で上映される話になり見に行こうということでまとまった。


それぞれ一度家に帰り身支度をし、公民館で集合した。


行列が出来ていた。


この映画のポスターは大変過激で破廉恥好きな芸大生はこぞって観劇しにきたようだった。


運命の映画が始まった。


いかなるジャンルであっても、その中で一番すごいものはやはり一見の価値がある。


今となってはそう思う。


音が割れて聞こえない、映像が手ぶれしておりよく分からない。


ポスターに書いてあることと何のつながりもない。


「今世紀最後のSF超大作」と言われたものが、実はホームビデオで撮影した物だとしたら。。。


30分たった頃、次々と客が席を立ち始めた。


我々も我慢できず立ち上がりロビーにでた。


人だかりが出来ていた。


真ん中にチケットを売っていた女性が立っていて、人垣がぐるり取り囲んでいた。


その距離が5Mくらいあったと思う。


空気は緊張していた、時折人垣から野次が飛んだ。


しかし距離は縮まらなかった。


そのとき、ある男がその微妙な力関係を打ち破った。


SSはツカツカと女性に近づき、固唾を呑んで見守る群衆の視線を一手に集めながら言った。


「お金、返して」


それは無理だろう。。。。


結局お金は返ってこなかったし、混沌としたまま何だか楽しかったなといった感じで終わった。


もし、みる機会があれば是非見たほうがいい。


一番下を知る機会はあまり無いものだと思う。


いい経験をしたと思う。

最新の技術には圧倒される。


先日NM君からインターネットを通じての会話手段を聞き、さっそく試してみた。


はじめは、インターネット電話程度と思っていたのだけれど、なかなか騒ぐ理由が分かる。


自分の声はヘッドセットのマイクにて集音され、相手音声はスピーカーから出力できる。


スピーカーの中に相手がいるようなリアルな存在感があった。


不思議な空気が漂っていた。


ニューヨークに住むRKさんとも無事に距離を越え会話が出来た。


近況などを会話していると、聞きなれないサイレンの音が聞こえた。


今サイレンの音がした?と聞くと、救急車が通ったと彼女は言った。


行ったことのない場所での息遣いに直に触れた感じがした。


いま、自分の居場所の境界線が曖昧になる。


胸躍る経験だった。


たくさん話をして、ねむる為会話を終了した。


電源を切った後の部屋の中はいつもより、ひっそりとしていた。


モニターの少し後ろのほうを、ぼうと眺めていた。


物事の鮮明さは時として、人を切なくさせるものなのだと感じた。


私は鍋をすると、ちょっと尋常ではない食べっぷりを披露してしまう。


これは、30を越えるとあまり格好のよいものではない。


このような状態になったのは、ビレッジの4人暮らしをはじめた頃からだ。


みんなお金が無かったので食べることに関しては必死だった。


一番悲惨だったのは、MY君自慢のコンソメスープかけだった。


全員パチンコで負け、コメ以外無くなった時に披露された。


MY君は大変自慢げで私たちも大変おいしく戴いたけれど、


相当貧しい食べ物だったと思う。


外食は比較的よくいった。


特に贔屓だったのは次の3つ。


□蔵すし(NM君はここでサケを十貫連続で食べる)


□横綱ラーメン(SI君はここで、ザルいっぱいのねぎを一人で全てかける)


最後は焼肉№1と思う。


室内で七輪を利用して肉を焼きまくる。


火事が起きていても分からないほどの煙に巻き込まれながら、凍った肉を焼いて食べた。


本当にうまかった。本当に安かった。


ビレッジからは車で30分もかかるところに、腹ペコでいってさらに待たされた。


それでも、心があれほど満たされる所はいまだにないように思う。


いまでも、あれほど満たされるのだろうか。


それが怖くて卒業してからは足が遠のいている。