こう考える場合、理由が2つあります。1つ
は、懐かしい日々をもう一度経験したいため。
(ここにも、もう1つ、理由があります。
1つは、「現在、十分幸せだが、もう一
度、あの幸福感に浸りたい。」
もう一つは、「苦しみの最中の現在を抜け
出したい」)
そして、もう一つの大きな理由が、
「あの頃に戻って、人生をやり直したい」
高校入学後、そんなに時期を経ずして始まっ
た、僕の地獄の日々。詳しくは書けませんが、
それは、高3になって、やっと抜け出せるま
で、毎日毎日続く、ぬかるみ、暗黒の日々でし
た。
大人になり、別の苦悩はありながらも、
「生きてて良かった」
と思うくらいです。
世の中は変なもので、なぜか、加害者の人権
を庇護したがる声をよく聞きます。
「自分はこんなに、若者の将来を想っている
のですよ」
と、自己愛を高まらせ、酔っているかの如く。
僕に言わせれば、
「冗談じゃない!被害者の人権を奪い、それ
を自分の楽しみとしてエネルギー変換する
ようなろくでなしに、人権もへったくれも
ある訳がない!」
・・・この文面で、恐らく、僕の身の上に何
が起きたか、皆さん、お察しのことと思いま
す。
不良が、自分の非道・悪行を「ヤンチャ」と
言い、懐かしい思い出話として語る。芸能人・
有名人も、TV、雑誌等で同様のことをしま
す。
しかし、そこには、被害者の存在など、1ミ
リもありはしません。あれば、そんなことをニ
コニコ顔で、平気でできる訳がありません。自
分は悪事を重ね、やがて有名になり、人気が出
て、我が世の春。
一方、それを見せつけられる被害者にとって
は、二重の苦しみになるのです。
「あの二年間が無かったら、僕の青春時代
は、もっともっと違っていた、輝いていた
筈だ」
と、叶わない夢に、臍を噛む想いです。