「新聞部」の存在意義とは | 瞳 まもるのブログ

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  先月、小豆島中央高校で、文化祭がありまし

 

 た。生憎の、大雨の中での開催でした。

 

  知人が、そこを訪れ、新聞部の展示を見に行っ

 

 たそうです。

 

  そこに展示されていたのは、「将来の夢」の

 

 他、他愛無い物ばかりだったそうです。しかも、

 

 個人情報保護の観点からとの理由で、クラス、

 

 個人名などが、すべて紙が貼られ、隠されていた

 

 そうです。

 

  これを聞き、僕は、

 

  「新聞部を名乗って欲しくない」

 

 と思いました。

 

  高校の新聞部とは、普段、自分たちが直面して

 

 いる悩み、問題点、また、社会に目を向けて、

 

 その問題を部内で真剣に議論し、その意見の

 

 到達点として発行される物が、新聞だと思うの

 

 です。

 

  然るに、自分たちの活動の成果を発表、公開

 

 する場である、「文化祭」で、その一端も感じられ

 

 ない物しか見ることができない。

 

  教室の後ろの壁に貼られる、クラスの面白可笑

 

 しい情報をお知らせする、学級新聞(これとて、

 

 新聞と名が付くのに問題あり)とほぼ同じ。これ

 

 では、新聞部ではなく、「仲好し同人誌発行同好

 

 会」ではないのか?と思えてしまうのです。

 

  部活動なのですから、顧問の先生がいらっしゃ

 

 る筈ですが、先生は、何もおっしゃらなかったの  

 

 でしょうか?先生の熱心な指導、号令の下、

 

 部員が一つになって突き進むというのでは、生徒

 

 の自主性が育ちませんので、それは、良くありま

 

 せんが、せめて、「ここ」という大事な時には、

 

 助言を出すくらいはしていて欲しいのいです。

 

  彼らの活動のすべてが、この調子だとは、思い

 

 たくありませんが・・・。

 

  最近は、新聞を読む人が、かなり減っている

 

 そうです。特に、若い世代で顕著だそうですが、

 

  まさか、新聞部の皆さんが、普段、

 

 新聞を読んでいないなんてことは

 

 無いでしょうね!?