今年は、第1回中等学校野球大会から100年、
いろいろ企画があり、記憶に残る試合の募集が
行われています。
昭和44年夏、決勝、松山商ー三沢、
江川 卓
PL学園 清原、桑田
松井秀喜、松坂大輔
などが取り上げられています。
そんな中、実際の試合後、一度も取り上げられて
いないかもしれませんが、僕が一番手に汗握り、
観戦、応援した試合があります。
それは、昭和53年夏1回戦、高松商ー仙台育英戦
です。延長17回、両校の白熱した試合。地元香川の
高松商、河地投手の熱投。息をもつかせぬ試合。
テレビでは、再試合の日程をどうするかとの話も出て
いました。高松商、チャンスもありました。
そして、延長17回、満塁で、デッドボール。ついに、
高松商、河地投手敗れてしまいました。
この頃(ころ)の高松商、甲子園の対戦相手が、いつも
その大会の優勝校、準優勝校、強豪校でした。
春、崇徳、夏、銚子商、東邦、仙台育英。しかも、接戦、
途中、勝っていた事もあります。
当時、「なんて、くじ運が無いんだ」と思っていました。
なお、河地投手時代、牛島、香川のバッテリーの浪商に
勝っています!
そんな高松商のユニフォームを、初めての野球部応援
で、今は無き、高松中央球場で見た時は、まるでプロ
野球チームを見たような感じでした。
同じ四国の池田高校も好きです。校歌も、1番だけなら
歌えます。昭和52年センバツ準優勝、中村高校。部員
12人。「二十四の瞳」と呼ばれていました。しばらくは、
校歌を覚えていました。今でも、一部は憶えています。