被爆地を訪ねる2 ナガサキその② | 瞳 まもるのブログ

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  (前回の続き)分科会「止めよう戦争への道、守ろう


 憲法9条」の会場は、満杯の329人の参加、内、初


 参加は189人でした。


 報告内容


  (韓国9条の会)


   朝鮮半島の統一と東アジアの平和のためにも、


   日本国内に留まっていた平和憲法を守る運動を


   国外からも支援する一環として、韓国で平和を


   願う人々が集まってこの会を結成した。


  (ドイツ)


   ・憲法9条を一番変えたがっているのはアメリカ。


    変えさせたら、日本人を嘘の理由で始める戦争


    に参加させる。


   ・「9条が私たちに何をしてくれるか」ではなく、


    「私たちが9条に何ができるか」


   ・いつか、憲法9条にノーベル平和賞を。


    (この頃から、こんな声はあったのですね。)


  (兵庫)


   非核神戸港方式で、イタリアは核が無い証明書を


   提出し、入港。しかし、アメリカは証明書を提出せ


   ず、本方式導入前は頻繁にあった入港が、導入後


   は、ピタリと止んだ。


  (アメリカ、ベトナム戦争退役兵)


   自殺者の方が多い。麻薬中毒、アルコール中毒、


   ホームレスの人もいる。


  (新潟)


   「新潟大学平和宣言」-教授、学生両者による。


  (東京、東京大空襲原告団長)


   戦災孤児は、120名中、62名。2時間半で10万余


   の死者。


  (神戸)


   自治会長が、「政治活動をすると、団結ができない」


   と、会館を貸さない。


  (香川)


   「日本の青空」(日本国憲法誕生の真相を明らかに


   する映画)上映を目指す。


   (これは、その後実現、僕も見ました。)


 他にも、「アメリカによる、日本の利用、唆し」、「アメリカ


 傘下の国連」、「マスコミに流されてはいけない」、「軍の


 階級による、補償の差別」、「平和が無ければ、年金の


 話もできない」・・・など、日常の活動が、詳細に報告され


 ました。また、保育士さん、大学生など、若い人の発言が


 多かったです。


  分科会終了後、時間に余裕があったので、当初予定に


 無かった、平和公園に向かいました。


  翌日の、平和祈念式典の準備がされています。正面に


 は、平和祈念像がどっしりと座り、平和な世の実現を堂々


 と訴えています。そこへ続く道の両側に展示された、被爆


 当時の人々、街の写真パネル。そこで、冒頭の、「弟を


 背負った兄の写真」と再会しました。どの写真からも、非


 情さが伝わってきます。それらを、真剣な眼差しで見つめ


 る若い女性のグループがありました。たくさんの千羽鶴、


 平和を祈る言葉の入った手芸品などに囲まれて・・・。


  続いて、爆心地公園へ。ここにも大勢の人たち。高校生


 のグループもいます。


  そんな中、目を惹きつけられたのが、1人の先輩バス


 ガイドさんが,新人と思しき数人に、碑の前で説明してい


 る姿です。「ああ、こうやって受け継がれていくんだなあ」


 と感慨を抱きました。


  両公園の数々の遺跡、碑に手を合わせ、心の中で、


 犠牲者の安らかな眠りを祈り、これからの平和を願いな


 がら、カメラのシャッターを切りました。


  そして、原爆資料館へ。ヒロシマの資料館には、時間の


 都合で、一度も行けておらず、中学以来の今回が、二度


 目の資料館訪問です。


  足を踏み入れます。そこには、被爆前の街や市民の


 暮らしに続き、その後に起こった、恐ろしい出来事の資料


 が並んでいます。「魂が吸い込まれそう!」です。一つ


 一つの遺品を見るにつけ、彼らの幸せを一発の原爆が


 砕いてしまった事に、怒りを覚えます。赤ちゃんや、


 子ども達の惨たらしい写真。


  「こんな幼い子たちに一体、何の罪があると言うのか!」


  やがて、館内は、日中戦争から現代への世界情勢の展


 示に。世界は、1945年8月15日を以って、全ての戦争、


 武力と決別すべきだったのです!


  にも拘らず、紛争は止まず、武力=殺人で平和、民主化


 を実現させると言う面々。それらが、当の被爆国、日本に


 存在する悲しさ。僕は、これらの展示内容を目の当たりに


 し、「軍拡を続ける者たちはここを訪れ、今すぐ改心せよ


 !」と、心の中で、強く叫びました。


  最終日9日。62年前、この街に原爆が投下された日の


 世界大会閉会総会。発言が続く途中、11時2分、黙祷。


 改めて、犠牲者の皆さんの安らかな眠りを祈り、今も苦し


 んでおられる皆さんへの国の補償を要求し、核兵器使用


 は、このナガサキを最後に、全ての核兵器廃絶を!と念じ


 ました。


  今回も、多くの外国人と各会場、平和公園などで出会い、


 擦れ違ったりもしました。彼らは、自国でヒバクシャの実情


 を、どのように伝えてくれるのだろうか、どうか、原爆肯定


 論者の考えを改めさせてほしいです。


  また、若い世代の参加者が多い事も頼もしいです。同年


 代の人たちに広め、そして、次世代へと受け継いで行って


 ほしいです。僕自身も、友人、知人と話し合い、核廃絶の


 一助になりたいと、強く感じた、有意義な三日間でした。


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  あれから7年、再び日本国首相は安部晋三。やっている               


 事が、すべて、戦前から開戦に至る過程をなぞっているよ            


 うです。・・・という事はこの後に待っている事態とは・・・


 悪夢のようです。


  決して、そんな時代を再現させてはいけません。今年


 8月6日は仕事で忙しく動いている最中、8時15分、黙祷。


 9日、帰宅し、急いでテレビをつけ、平和祈念式典を見よう


 としたら、ちょうど11時2分。慌ててナガサキの方を向いて


 黙祷しました。


  8月もお盆を過ぎました。残暑は相変わらず厳しいです。


 第一回ヒロシマ平和歌謡祭だったでしょうか。間違っていた


 ら、ごめんなさい。参加歌手の多くが、「暑い、暑い」と言って


 いたら、同じ参加歌手の美空ひばりさんが、「あの日の


 ヒロシマは、こんなものじゃなかった」とおっしゃり、場の雰囲


 気が一変したそうです。その時お歌いになったのが、「一本


 鉛筆」です。


  今月は、NHKの戦争、平和番組の放送、再放送、新聞の


 特集記事もあります。


  でも、9月になれば、すっかり忘れられてしまうのでしょう


 か、12月8日まで・・・。いえ、そんな事の無いよう、各自、


 できる事をやり続けましょう。


  「戦争は、絶対に嫌です!」