幼い頃から戦争、平和について強く考え、テレビ、
書物等、色々接してきました。そんな中、ある出会い
により、初めてヒロシマに行く事になりました。
原水爆禁止2002年世界大会です。8月4日(日)、
香川の34人の一員としてバスで瀬戸大橋を渡り、
会場を目指します。
開会総会会場は県立総合体育館です。全国から、
核廃絶、戦争のない世界を求める大勢の人々が集
います。「7000人が参加」の場内説明に「ウォー」
と声が上がります。力強いです!
翌日の分科会。僕は念願だった「被爆遺跡・碑め
ぐり」に参加できました。今、その時手帳に記した
内容に再び目を通しています。
「川に浮かんだ死体、満潮、干潮で行ったり来たり
体が膨れ、それを棒で突付き寄せると裂けて沈む」
「川に骨が埋まっている」
「米軍は、原爆被害を調査はしても救助はせず、
市民感情を害する」
「軍が高射砲設置のため、墓石を川に投げ捨て
た。墓石には、その時の傷がある」
「市民により、S35、この石をきれいに整理してで
きた」←日清からの歴史。
「ズラーッと並んだ陸軍の墓標。(「かわいそうにな
あ」と高齢者の声)」
「袋町小学校(伝言板)を解体の声があった。なぜ、
こんな大切な物を壊そう(いや、隠そう)とする人たち
がいるのか」
「何度も上空を行ったり来たりしても爆弾を落とさず
8:00という、仕事交代、会社が始まる、学校が始ま
るという時を狙って落としたのは明らかに実験としか
言いようがない」
「日曜日は一般に休日。月曜日に落としたのも実験
としか言いようがない」
「地下のせまく暗い中で広島の女生徒たちは一日
3交代」
「昭和十年建立の碑、大本営跡。現在も続く政府の
責任逃れのように『文部省』の字句を塗って消されて
いるとの案内に、一斉に『ひどいよねえ!』の声が上
がる」
・・・こんな内容です。
つづく