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メビウスの独り言

預言者mebiusuが「路傍の石mebiusu」として再出発をします。「真実の向こう側」を紐解いて、明らかにしていきます。

しばらく、「預言者mebiusuの独り言」から「お母様の歴史的事実シリーズ」をお届けします。

今回は、「お母様の歴史的事実 1 お母様のご両親について」と「お母様の歴史的事実 2 洪順愛大母様の不倫の可能性」をご紹介します。

 

1.「お母様の歴史的事実 1 お母様のご両親について」

 

お母様の歴史的事実ということで、考察していきたいと思いますが、

 

まず、

1.お母様のお母様、洪順愛大母様と父親とされる韓承運氏の婚姻届は、現在の北朝鮮に居たため、現在は存在しません。

 

2.お母様、韓鶴子夫人の戸籍も存在しません。出生時まもなくして、38度線以北が共産化されたため、洪順愛大母様と韓承運氏の戸籍も存在しないとされています。

 

「ちゃぬの裏韓国日記」のタイトル「大母様は結婚しても夫とは一度も一緒に暮らしていないのに、お母様を妊娠した 」に、

 

「統一教会の公表では大母様(洪順愛)とお母様(韓鶴子)の父とされる韓承運氏が1934年3月5日に婚姻したとしていますが、1930年代の朝鮮儒教が色濃く残っている時代に長男の嫁にかかわらず、一度もまともに一緒に暮らした形跡がないのです。
今でも韓国では長男の嫁は、絶対的に姑に仕えて、先祖祭祀(チェサ)等で相当忙しい生活を送らなければいけないのです。
1934年といえば併合されてそんなに経っていませんので、その当時の嫁の位置というのは相当低いはずなのに、学校に通って子供も産まず、家に帰らないくらいに新興宗教漬けになっているような状態で結婚生活などできるはずがありません。」

 

と書かれています。

 

・1934年3月5日婚姻(教会公表の婚姻日=学生と教師の立場の結婚)
 洪順愛(平壌女子聖経学校で学生 満20歳)
 韓承運(安州私立育英学校で教師 満25歳)

 

・1934年3月から1936年4月まで別居(1934年3月5日婚姻時(遠距離で週末夫婦も無理)) 
 洪順愛(平壌女子聖経学校で学生 1936年4月卒業まで平壌景昌里在中)
 韓承運(安州私立育英学校で教師 地元で1930年8月5日から1939年6月30日まで勤務)

※当時の交通事情を考えて、100キロ以上離れている距離をするのは無理です。週末夫婦も難しいでしょう。それに、安州の異端のイエス教に所属していたとされる韓承運は、当時正当なプロテスタント(長老教)運営の学校に教師としていたので、この辺も矛盾しています。宗教の違いで解雇されなかったのでしょうか??

 

・1936年4月から1939年6月まで別居(1936年4月大母様聖主教入教当時)
 洪順愛(安州郡安州邑信義里の両親の家から、100キロ離れた鉄山の聖主教に通い、ほぼ入り浸っていて、ほとんど家にも帰らない状態)
 韓承運(安州私立育英学校で教師 地元(安州郡大尼面龍興里)で1930年8月5日から1939年6月30日まで勤務)

 

・1939年6月から1941年8月まで別居
 洪順愛(安州郡安州邑信義里の両親の家から、100キロ以上離れた鉄山の聖主教に通い、ほぼ入り浸っていて、ほとんど家にも帰らない状態)
 韓承運(安州郡大尼面龍興里所在の安州私立育英学校の教師を辞職 地元で就職活動)

 

・1941年8月から1942年11月ごろまで別居後離婚(教会公表では「お母様(韓鶴子)」を妊娠して7ヶ月で夫と別れたとしている)
 洪順愛(安州郡安州邑信義里の両親の家から、100キロ以上離れた鉄山の聖主教に通い、ほぼ入り浸っていて、ほとんど家にも帰らない状態)
 韓承運(遠く離れた黄海道延白郡牧丹面に単身赴任 1945年11月まで単身赴任)

 

上記の状況で、洪順愛大母様と父親とされる韓承運氏が、婚姻されたという教会の発表にはかなり無理があるように思われます。

 

★お母様の歴史的事実 1 お母様のご両親は、洪順愛大母様と韓承運氏ではない可能性が高いと思われます。

 

 

[韓鶴子夫人の祖母である趙元模女史が韓鶴子夫人の父親の存在を孫娘である韓鶴子夫人にこのように語っていました。

外祖母(趙元模)は、絶えず私に「お前のお父さんは、天のお父様だ」と言われました。その記憶しか思い出しません。「天のお父様がお前のお父さんだ」と言われていました。
 それで、父親と言えば、肉身の父のことを思わず、いつも天のお父様のことを思ったので、神様を思うと常に心温まる感じをもったのであり、外的に見れば人々がすぐには理解し難い環境で育ちましたが、特別な不平不満はありませんでした。いつも何かが私を包んでくれているような温かい感じがして、常にゆとりのある心で過ごしました。大母様やおばあさんにも、肉身の父親に対してや、またお二人がどうしてこのように暮らされるのかなどといった質問は全くしませんでした。

(「真の御父母様の生涯路程10」より 真のお母様の証より)

具体的に父親の名前がどうで、いつ結婚して等の内容は、韓鶴子夫人は身内から聞かされてこなかったということです。「父親が神様」と言っていたくらいですから、父親の存在は秘密にしたのでしょう。]

 

ということは、お母様の姓は、なかったのか、あるいは、「洪 鶴子」と名乗られていたのでしょうか。

小学校や中学校に行かれていたときのお母様が名乗られていた「姓」は何だったのでしょうか。知りたいところです。

 

 

2.「お母様の歴史的事実 2 洪順愛大母様の不倫の可能性」

 

お母様のご両親が、洪順愛大母様と韓承運氏であるならば、洪順愛大母様は、8年以上子供が授からなかった状況において、お母様を授かったのですが、洪順愛大母様の証は、韓承運氏ではない男性との出会いと関係を示唆しています。

 

ブログ「ちゃぬの裏韓国日記」のタイトル「真のお母様(韓鶴子)誕生秘話(1) 」に、

 

「真のお母様は、私が三十歳(満二十八歳)の時、つまり陰暦の一九四三年一月六日午前四時半、平安南道安州郡安州邑の信義里という村で生まれました。真のお母様の父親は、李龍道牧師の弟子でした。そして「洪唯一という人の娘を嫁にもらえ。その子供が男なら天宙の王になる。女なら天宙の女王になる」との啓示を受けました。私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。
私の家系は七代が善の功労を積み、ここ三代は、娘は一人だけの家系です。私には弟がいたのですが、日本に留学していたため、私の親は真のお母様の父・韓承雲氏を婿養子として迎えようとしました。ところが主体性の強い彼は「それはできない」と、出ていってしまいました。真のお母様がおなかにいる七か月目のことでした。生まれてからも、私の親が真のお母様を離さなかったので、私とはそのまま別れてしまったというわけなのです。」

(洪順愛大母様の証1973年12月21日・東京教会にて)

 

と書かれています。

 

「私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。」

 

という証の「私と二月の終わりに出会い」というのは、すでに婚姻されていた韓承運氏ではない別の男性との出会いを示唆しています。

 

・1934年3月5日婚姻(教会公表の婚姻日=学生と教師の立場の結婚)
 洪順愛(平壌女子聖経学校で学生 満20歳)
 韓承運(安州私立育英学校で教師 満25歳)

 

ということで、洪順愛大母様がお母様を妊娠されるまで、8年、子宝に恵まれていません。

 

昨日の投稿でわかるように、一緒に生活していた様子が見受けられない状況で、子供を作る機会自体がほとんどなかったと思われますが、

 

洪順愛大母様と韓承運氏が婚姻されていたことが事実であるならば、

 

妻である洪順愛大母様が、韓承運氏を指して、

「私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。」

と言われるのは不自然であると思います。

 

韓承運氏以外の男性との出会いがあり、その男性と「不倫」をされ、その男性との間に、「お母様」は生まれたということになります。

 

そのときの韓承運氏の状況はどうであったかというと、

 

1941年8月24日 黄海道延白郡濯〓糸嬰公立普通学校で教職生活(洪順愛の家からかなりの距離で行き来は無理)
★1943年   韓鶴子誕生(陰43.1.6)平安南道安州郡安州邑信義里26番地
1945年10月13日黄海道延白郡濯〓糸嬰公立普通学校退職
1945年11月1日 萬城公立普通学校転勤(教頭として在職 このとき平安北道に戻ってきている)

 

ということです。

 

「私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。」

のときには、洪順愛大母様は、韓承運氏とともに住んではいなかったことが解ります。

 

 「真のお母様がおなかにいる七か月目のことでした。生まれてからも、私の親が真のお母様を離さなかったので、私とはそのまま別れてしまったというわけなのです。」

 

とあります。

 

洪順愛大母様と関係を持つことができる状況ではない中で、妊娠7ヶ月の洪順愛大母様に対し、韓承運氏は、自分の子供ではない「お母様」を受け入れることができるはずがありません。

 

「私の親は真のお母様の父・韓承雲氏を婿養子として迎えようとしました。ところが主体性の強い彼は「それはできない」と、出ていってしまいました。」

 

とありますが、

 

自分が単身赴任している間に、誰かわからない男性と「不倫」され、妊娠されて、婿養子に入る者はどこにもいません。

 

洪順愛大母様の証は、真実と作り話が、混ざっているのではないか、あるいは、全て、作り話である可能性があります。

 

もし、真実であるならば、

 

洪順愛大母様は、主人が単身赴任で家を留守にしていたとき、男と不倫をし、お母様をはらんだとということになります。

 

洪順愛大母様と韓承雲氏の婚姻が作り話であり、「私と二月の終わりに出会い」の男性が「韓承雲氏」であれば、「韓承雲氏」が「お母様の父親」である可能性はありますが、

二人は、婚姻されていることになっていますので、それはないと思います。

 

洪順愛大母様と韓承雲氏の婚姻が事実であれば、

 

洪順愛大母様は、本当のお母様の父親と「不倫」された可能性が考えられます。

 

洪順愛大母様と韓承雲氏の婚姻が作り話であれば、そのときにおいて、洪順愛大母様は「未婚」であり、ある男性と出会い、「お母様」を妊娠されたということになり、その男性が、既婚者であれば、洪順愛大母様は、「不倫」れたことになり、お母様は、「不倫の子」ということになりますが、その男性が未婚者であれば、未婚者同士ですので、「不倫」ということにはなりません。

 

いずれにせよ、お母様は、洪順愛大母様と韓承雲氏の間にできた子供ではなく、

洪順愛大母様と「私と二月の終わりに出会い」の男性との間にできた子供であることが推測されます。

 

どうして、洪順愛大母様は、

「私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。」

と語られたのでしょうか。

 

私は、洪順愛大母様が、その男性を「特別な方」として想いを捨てられなかったからなのではないかと思います。

 

その男性は、誰なのでしょうか。

 

★ お母様の歴史的事実 2 洪順愛大母様は、「不倫」をされたのでしょうか。

 

 

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アメリカのネブラスカ州のオマハシティーに、もう20数年前になりますが、、「お母様」と同級生だった方がいました。

その時、お母様の姓を聞いていれば、決定的だったと思いますが、私は、かなり高い可能性として、「韓」という「姓」は、後付の「姓」であると思っています。

「イエス様」と同じような境遇を思わせる「お母様」ですので、とても同情していますが、「真の母」として、してはならないことをされてしまいましたので、非常に残念ですが、「真の母」、「世界の母」、「平和の母」と御自分を評するのはご自由ですが、誰よりも「神様」がそのように御自分を表現することを喜ばれるかどうかは、別問題と思います。

 

「お母様」は、「マザーテレサ」を超えることが出来るかどうかを思ったときに、

「難しいのではないか」と心の中で答えが返ってきます。

 

でも、「韓鶴子総裁自叙伝 平和の母」の表紙のお写真は、とても良く撮れていると思います。

 

 

 

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