エッセイ「日本の鉄道は凄い」 | いとう とみこの美味しいブログ

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イタリア料理教室やグルメ食べ歩きをのんびりと書いていこうと思います。

先日の新幹線で何となく思っていたことを書きました。



 

日本の鉄道は凄い

 

             2018年1月7日

 

 私は、東京駅で大学時代の同僚と軽く飲み、名古屋に帰る20:03発の新幹線ひかりの中です。

「途中停まりますのは~、~、浜松、名古屋~」

 この時間のひかりは停まる駅が多い。

 比較的ゆったりしたスケジュールだったとはいえ、やはり東京は人であふれ、よく歩くので疲れました。シートに深々と座りうとうとしていると、浜松に到着したようです。

 

「浜松にて5分程停車いたします」

 我ひかりは、のぞみに追い越しさせるようです。

 乗客が降りて暫くすると、衝撃を受けたと同時に風のごとくすさまじい勢いでのぞみが通過していきました。

 

あれっ!まだ発車しないの?と思っていると、再び衝撃とともに、列車が通過して行ったのです。そしてほどなく我ひかりはいそいそと発車したのでした。

 何たること!たった5分の間にのぞみ2本ですよ。あのスピードで、ラッシュアワー以上の過密なスケジュールだなんて。もっとも朝と夜、しかも東海道新幹線だけの現象なのでしょうが。こんなことが可能なのも時間に正確な日本だけが成せる技で、世界ではとてつもなく珍しいことのようです。

 

 こんな驚きの中、ニューヨークの地下鉄を思い出していました。

 

私はニューヨーク滞在中、一人で地下鉄をよく利用します。最初に行った1973年の頃と違って、この頃はちっとも怖くないし、落書きだらけの列車もなくなり、車内もクリーンになりました。もっとも夜は一人では乗らないけれど。

 

100年以上前にニューヨークの地下鉄が造られということには敬服しますが、ちっとも改良されていないようです。急行が通過する度のもの凄い音、その中でいつ到着するかわからない電車を人々はジーッと待っている。最近は大きな駅には「前の駅を出ました」という電光掲示が出ることもあるので、ちょっと進歩したのかな。

 

やっと来た電車は硬い硬い椅子、電車もガタガタで運転が荒く、乗り心地は極めて悪い。置いてあるものを持ち逃げしても罪にならないからか、網棚などはない。乗客は荷物を抱えて眼光鋭く目を見据えている。勿論眠っている人などまったくいない。日本でよく見かけるスマホいじりもあまり見かけない。

 

日本ではうるさいくらいのアナンウスもほとんど無い(あっても早口でまったくわからないが)。来た電車に各人が個人の責任で乗る。

 

これらはまだいい。一番困るのは駅員がほとんどいないこと。昔はクオターのコインで乗れたと記憶しているが、今は販売機からMetroCardを買う。ニューヨークは改札を出ない限りどこまでも同じ料金。今は10ドルで3回くらい乗れるのだったかしら。しかしこれを購入するまでも結構骨が折れる。日本だったら必ず駅員がいて、わからない時すぐ飛んできてくれるのですがね。

 

やっとのことで購入したカードも、まだ厄介なのが待ち受けている。映画でもお馴染みでしょう。改札口でカードをスルーし、各自がバーを動かすと、一人がホームに入れる仕組みになっている。しかし私がスルーしても感知しないのかバーは動かない。何度やっても動かない。そのうちカードも消耗するのか、10ドル分のカードが使えなくなってしまい、もう一度買うはめに。

 

探しても駅員はいない。泣きたくなってしまう。それからはなるべく切符販売所のある駅から乗るようにしている。切符販売所には一人(たいていは黒人)だけいて、現金がやっと通るほどのスペース以外は頑丈な覆いがしてある。あちらはマイクで、こちらは穴に向かって話す。ニューヨークでは現金を扱うところは頑丈な防御が必要なのでしょうね。

 

そんなニューヨークの地下鉄事情ですが、私は何故だかこの地下鉄が好きなのです。騒音と異臭の中、主要な駅構内ではいろいろなジャンルのミュージシャンが演奏している。時々感動させてくれることもある。そんな時はチップが弾みます。

 

しかし同じ地下鉄でも後発の日本のはスゴーイですよ。

 

清潔で静か、時間厳守、乗り心地も満点。最近は電光掲示板、シートなどにも目を見張る工夫がされている。そしてもっとも嬉しいことに駅員が必ずいる。しかし最大の欠点は、(特に東京は)すごい乗客数でうんざりということですかね。

 

あるときニューヨーク通の夫に尋ねました。「どうしてニューヨークの地下鉄は、ほとんど昔と変わらないのだろうか」と。

「貧乏人にお金は使えないからだろう」

 

そうだ、それだ、貧富の差の激しいニューヨーク、金持ちは地下鉄に乗っていなかった。

 

 そんなことを考えているうちに名古屋に到着。お陰で日本の鉄道の凄さを改めて鑑み、退屈せずに帰途につけたのでした。