早いものです。名古屋に住むようになって38年になります。
しばらくは義父母の所でおせちをご馳走になっていたのもでした。料理屋さんにお重を持参し、詰めてもらって。箸をつけるのがもったいない程きれいに詰めてありました。しかし味は甘辛く、飽きてくる。時同じくして義父母が病気になったということもあって、本を見ながらのおせち料理作りが始まって、今日に至っているというわけです。
おせちは冷たくても美味しく頂ける料理の集合体です。昔の主婦はよく働いたもの。主婦が正月くらい何もしないで済むようにと、甘辛く煮付けたもの、酢に漬けたもの等日持ちするものばかりになっている。我々の時代には冷蔵庫があるので味付けを極力薄くしています、それでもこの時期冷蔵庫は満杯状態になるので、暖冬より「寒い冬」の方が歓迎です。
昨今はデパートで名店のおせちが並ぶ世の中になっていますが、何品かでもご自分の家庭の味のおせちを受け継いでゆくことは、大事なことだと思う。正月になると懐かしい味を愉しむことが出来るというのは、心温まり、いい思い出になるものです。思い出は多い方がいいのですから。
以前は仕事納めの29日、会社が終わると、東奔西走して正月用の買物を済ませていました。そしてその夜黒豆を水に漬けておくことから、おせち作りが始まります。
翌日はバックグラウンド・ミュージックをかけながら、水を含んで大きくなった黒豆を湯を足しながら一日中煮、朝から晩までの料理日となるのです。そして大晦日にはお重の登場となる。このお重、義母が嫁入りに持って来た五段重、蓋には紋が入っているという代物。まだ三段しか使っていないけれど、いつの日にか五段全部をと思っています。盛り付けは娘の仕事。彼女はお菓子作りが名人だけあって、几帳面で見栄えのするお重に仕上げてくれるのです。
会社勤めのない今は、以前のように新しいものにトライすることも少なくなり、ほとんど定番メニューに落着いています。不思議なことです。ムチャクチャ忙しい時のほうが、いろいろ違うものにチャレンジしていたのですから。
“黒豆”、“田作り”、“牛肉のごぼう巻”、“とこぶしの松かさ煮”、“海老のうま煮”、“数の子”、“ローストチキン”、“お煮しめ”、“出し巻卵”、“さわらの焼き物”それに紅白のかまぼこ等がお重に詰め込まれる。
お重に詰められたおせちを見ながら「毎年こんな忙しい思いをして、よくやるよ」と感心しています。しかしこの自己満足こそが、おせち作りの最大のモティベイションのようですね。
さーて、今年は何を?