大変なめに遇いました | いとう とみこの美味しいブログ

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イタリア料理教室やグルメ食べ歩きをのんびりと書いていこうと思います。

ちょっと書いてみました。


2011・11・10(木)  8:15 a.m.

 日赤病院のラウンジにて、アメリカンコーヒーとホットドックを注文した。9時の診察時間にはまだ間がある。どんなに具合が悪くても、コーヒー好きの私は朝のコーヒーは欠かせない。

 一昨夜、ベットに横になった途端突然目まいに襲われた。そのグルグルは今までに経験したことのないものである。あまりの恐ろしさに目を開けると、部屋が超特急で回っている。先日孫と乗ったコーヒーカップの乗り物どころではない。少しして気持ちが悪くなり、吐いた。何度も吐いた。私の人生で吐くということは異例である。一度入れたものは出さない主義なのだから。

 翌朝6:30a.m.救急にと家を出た。まだ足元がおぼつかないし、気持ちが悪い。

 思い起こせば、日赤の救急には今年の3月、ニューヨーク行きが計画されていた頃、盲腸かと懸念して訪れて以来である。1年間に2度もお世話になるとは我ながら情けない。

 救急の先生の診たてでは、CTでは脳の異常は診られず、胸の異常もない。三半規管の異常と思われるが、明日専門の先生に診てもらうようにとの仰せである。ということで今朝病院を訪れている。

 コーヒーを飲みながら、何でこんなことになったのかと考えていた。

 ディカフェとはいえ朝何杯も飲んで、その上疲れている胃に夜のカレーライスがいけなかったのか。最近車生活で足が弱くなったと、「Leg Magic」というトレーニングマシーンを購入したり、「カーブス」というに入会してトレーニングをしたり、早朝の夫の散歩について行ったりと、この秋急にやり始めたことがいけなかったのだろうか。だたでさえ孫のお守に手いっぱいなのだから。ロイヤルゼリー原乳というサプリメントのお蔭でこのところ風邪をひかなくなってきた。以前は季節の変わり目には風邪をひき、孫に移されては寝込みとフルコースの風邪をひいていた。寝込みがなくなった分、こんなわけのわからない病気になるのか、等々。

とにかくメニエールではないことを祈る。あれを患っている人を何人も知っているが、何年間も半病人生活を送ることになるからである。

 

10:15 a.m.

耳鼻科の診察が終わって、ただ今薬待ち。

とにかく「メニエールとは考えにくい」という医師のお言葉をどんなにうれしく思ったことか。

 薬の出るのを待ちながら、ここで11年前の肺炎で入院した時を思い出していた。  

当時、多忙の私は度々の高熱でも何日も寝込んでいられなかった。そこで強制的に熱を取るという私流熱取りをやっていた。部屋を暖かくし、枕元に着替えのパジャマとバスタオルを置き、水枕に氷を一杯にし、たくさんふとんやら毛布をかけて静かに寝る。そして汗が出るのを待つ。パジャマが汗でベタベタ、額から汗が滴り落ちるまで我慢する。もうこれ以上はダメと思うまで我慢する。そして急いで汗を拭き、着替えをして、水分を補給する。これでたいていは40℃の熱も37℃台に落ちる。一度でだめならもう一度やる。いやはや乱暴なことをやっていたものだ。若かったからかこれで肺炎になる前は乗り切っていたのだ。しかし肺炎の時の風邪は今までになかったほどひどかった。40℃の熱が続き、お腹の底から響くような重い咳、いつまでも切れない黄色の痰。いつもように強制的に汗を出した時は熱も下がりもう大丈夫かと思いきや、夕方になるとまだ熱が出て……。何日間か繰り返していた。東京に行っていた夫が帰り、医者に診てもらった時にはりっぱに肺炎にかかっていたのだった。

 そんな昔を思い出しながら、電光掲示板を見ている。番号が次々代わり、薬の待ち時間も随分短くなったものだ。診察待ちのロビーではテレビ画面に番号が出る。自分の番号が出ると診察室に入る。医師は患者の顔よりパソコンに入力するのに余念がない。その入力されたデーターが関係各所に行き、スピーディに処理される。ちょっと前まで院内の天井に書類が回っているのにも感心していたのに。

医師は患者も診るだけでなく、コンピューターも駆使しなくてはいけないという大変な時代になったものだ。そのコンピューターのお蔭ですべてがスピーディになったのだが。

あの気持ち悪さはもう二度とゴメン。少しゆったりした生活を送ろう。疲れを貯めず、ストレスのない日常をと心に刻むのであった。


でもできるかな?

これからの私の課題である。