こんばんは、歴史大好きな西田です。

コロナの状況を克服するには圧倒的に、信念型と思考型が足りていないと考えてる今日この頃です。



中国の歴史を調べると、愚かな王とか皇帝と言われてる人には「信頼するな」の決断をしている人が多いように感じます。


到底信頼できない奸臣に政治を任せて、最後には地位も命も失う人が出てきます。



秦の始皇帝の跡を継いだ二世皇帝胡亥も、「信頼するな」の禁止令を、決断していたのかも知れません。



自分が皇帝を継ぐのに貢献した、宦官の趙高を重用して政治を任せますが、彼の行動から生まれた古事成語に「馬鹿」が有ります。


ある日、趙高が胡亥に「馬を献上します」と言って連れて来たのが鹿でした。


胡亥は「これは鹿ではないか?」言いましたが、趙高は馬と言い張り他の臣下に対して「馬に違いないか?」と聞きました。


大半の臣下は黙り込み、趙高を恐れる臣下は「馬です」と言い、信念型と思われる臣下は「いいえ、鹿です」と答えました。

その場は、余興ですと済ませましたが後に鹿と答えた臣下は殺されました。


この結果どうなるかは後ほど触れるとして、現代の状況だとどうでしょうか。



菅首相は、著書の記述について参院予算委員会で質問され「政策に反対する官僚の更迭は当然。」と答弁しています。

政策決定の過程での反対意見と、政策決定後の反対とで大きく意味が変わる内容ですが、丁寧な説明をして「後者の意味だ」と、明言していないのが重要だと思います。


(趙高の殺す権力と、首相の生権力との関連はまた別の機会に触れるとして。)


良い悪いや好き嫌いの感情を別にして、意図して異論を封じたのか、意図せずに異論が封じられたかだけの違いで、趙高のやり方と菅首相の人事権行使は、同じ構図に思えます。




胡亥・趙高の政治の結果秦では盗賊がはびこります。

秦という国は、諸子百家のうち思考型のシステマティックな法家で国を治めていました。


ですが、完全であろうとしていた人たちが作ったシステムも、趙高が好き勝手に改変したお陰で機能不全に陥っていました。

システムが機能しているかどうかチェックする人たち(思考型や信念型)が排除されていた結果でしょう。



(思考型の帝国)に対して、日本は明治維新から最近まで信念型の国でした。


思考型の大久保利通が作った仕組みを、大久保の暗殺後に信念型傾向が強い人たちが引き継いだので、こうあるべきに支配された強力な体制が築かれていました。


大久保の「完全であれ」で作られた上に信念型によって「強くあれ」が加えられた内務省は、戦前の日本を強力に統治していました。




行動型と反応型を併せ持った小泉純一郎さんが、「自民党をぶっ壊す」と小泉改革を行なった結果、古い自民党を構成していた信念型の不適応な部分と一緒に、適応的な部分もぶっ壊されてしまった。


「国対政治」と揶揄されていた、与党と野党の国会対策委員会の委員長同士の、国会では論戦して終わったら料亭に消えていく仕組みは、互いの意見を交わし合う腹を割った信念型の関係の築き方そのままですよね。


壊れた仕組みを修復したり、新しく作り替えたりするには、思考型や信念型の力が必要です。

ですが、安倍さん(信念型)が仕組みづくりより小泉改革を継承してしまった。

行動・反応だから出来たことを信念型が真似をしても上手くは行きません。


小泉さんは、自分のやりたい事はやってやりたくない事は放置出来た。

先に言っていた事とやってる事が変わった事に説明を求められても、そんな信念型の質問には答える意味がないから無視できました。


信念型がそのまま引き継いで真似するには、リスクの大きい事でした。

国対による対話の機能は小泉政権で失われ、米国でも上院と下院でのねじれの中で行われている政策論争が、日本では噛み合わなくなっていきます。話し合いから論破に国会の論戦が変容してしまったんですね。



では、盗賊がはびこるようになった秦のその後はどうなったかと言うと。

それは、次回をお待ち下さい。




鴉「巣立ち」を聴きながら。