2015年12月1日の記録 | haru loves music♪





*画像に意味はありません




いろいろあって書き始めた記録


でも、いつか優しい気持ちで見れますようにと祈りながら


大切な記録としてちゃんと残そうと思います


不謹慎だと思われるかもしれないけれど


自分がちゃんと歩いていくためのものになるんじゃないかな


少しココロが落ち着いたので続きを




11月30日


両親はかつて二度手術でお世話になった神鋼病院へ精密検査へ


この日は二人の結婚記念日


この日を選んでるのが父らしい、、のかな



その日は報告なく、その翌日


仕事中に母から電話あったので


終わってすぐに電話した


父はパチンコへ遊びに行ってるみたいで


母から昨日の報告


覚悟していた


はずなんだけど


きっと覚悟なんていつまでたってもできないんだと思います


結果は。。。もう手の施しようはなく


手術では治療はできないということでした


先生からは、効くかどうかはわかりませんが、、、という前提で


新たな抗がん剤の提案があったそうです


がんを殺すというよりは少しでも延命を期待するための抗がん剤


名前はサイラムザ+パクリタキセル


シスプラチンよりも高額だそうです



その説明の時に、先生は一度ゆっくり考えられて決められますようにとおっしゃったそうですが


その際に、それをしなかったらあとどれくらいですか?と父は聞いたそうです


先生からは3か月が半年に伸びる可能性がありますと


そして、父は


お願いしますといったそうです


横で聞いていた母はどんな気持ちだっただろうか


そして、表面的には何も変わらない表情で話をしていた父はどんな思いだっただろうか


そんなことが頭をよぎり、、、電話越しに言葉を詰まらせてしまいました


今回も抗がん剤という言葉を聞き、とても怖くなりました


ですが、父の命の選択をもう止めるつもりはありませんでした


薬がつらくないこと、薬が効いてくれることを今は祈ることしかできません


副作用は、1だるさ  2関節や手足のしびれ  3.吐き気、脱毛、鼻血


以前のシスプラチンの時は脱毛しなかった父ですが、今回はするといわれたそうです



二人で話して、二人で泣いて


どれだけ話していただろうか


でも、涙を流したことで少し落ち着き


薬の名前を聞き、メモして


ちゃんとまた注意することとか電話するねと言いました



その電話の時に、母から「お父さん、おにいちゃんと晴香に結果をはなしてくれって言ってた」と


そして、私に緩和ケア病院を探してほしいと伝言したそうです


心穏やかに聞ける訳はありませんでしたが


母にはわかった、大丈夫だから


お母さんは大丈夫?いつでも電話してねと伝え、電話を切りました




仕事場からの帰り道のことは記憶にありません


また涙があふれてしまって


うちに帰っても昼寝できるわけもなく


ホスピスについてパソコンとにらめっこ




母が島根か鳥取に温泉施設のあるいいホスピスがあるって


テレビでたまたまこの前してたのを調べてほしいと言っていたが、、、


母はホスピスをちゃんとわかってないのかな、、、


苦しかった


もちろん、、、探す病院は実家から近いところか


私の家から近いところと考え探しました




口コミなんてほとんどありませんでした


人生の最後を過ごす病院です


本人が感想を残すことのできない病院です


施設、条件、ほんの少ししかない口コミを頼りに探しました







haru