聖霊は決して私たちに
他者を裁くことも、
他者を憎むことも教えません。
なぜなら、たとえ、
性別、年齢、国籍、人種、宗教、民族、
社会的地位、容姿容貌、
性格や性質の異なる、
70億人もの人々が
個々別々の特別な肉体と心を持って、
この地球上に存在しているかのように
見えようとも、
本当に存在しているのは
愛という名の
たった1つの心のみであり、
私たちはその愛を共有していることを
知っているからです。
更に、
聖霊は私たちに
自分自身を裁くことも、
自分自身を憎むことも
決して教えようとはしません。
なぜなら、
すべての心は愛の名において
ひとつに繋がっており、
自分自身を裁いたり、憎んだり、
攻撃することは、
神と神の子が分かち合う
愛の想念への攻撃であり、
一なる神の子全体が分かち合う
愛の想念への攻撃だからです。
愛を破壊し、
攻撃できるものなど、
何もありません。
私たちは他者はもちろんのこと、
自分自身のことも
十字架に掛けることは
できません。
一体、誰が
愛を(霊を)十字架にかけることなど
できるでしょうか?
誰も神と同質の愛である
神のひとり子を
十字架にかけることは
できないのです。
そして、
私たちが神の愛そのものであり、
今でも、たった一つの愛の想念を
兄弟と共に
分かち合っていることを知っている
聖霊は肉体という境界線を
存在しない幻想として見過ごし、
他者を自分自身の心の一部として見て、
他者が優しさや思いやりに満ちた
愛の表現をしていれば、
それを自分自身のものとして受け入れ、
悲しみや怒りや
寂しさや攻撃や病などの
愛以外のすべてのものは
愛と助けを求める呼びかけ
としてとらえ、
他者という鏡に映る愛の欠如という
幻想を看過し、
赦しの光によって消し去ります。
聖霊にとって罪とは
単なる愛の欠如であるから、
神の子にとって
本当に必要なことは
裁きや咎めではなく、
無償の愛であることを知っています。
他者という鏡に映る愛の欠如は
自分で自分を愛することができず、
自分で自分を赦すことかできず、
自分で自分を憎むが故に
自分への憎悪を外に投影して
他者や自分自身を
攻撃してしまうという形で
現れるかもしれませんし、
自分は
神の愛に飢えていると感じて
その空虚さを自分の外側にある何かで
埋めようと試みるという形で
現れるかもしれませんし、
神からの分離を信じるが故に
病気や死という形で現れるかもしれません。
しかし、聖霊にとっては
愛の欠如という幻想は
何の意味もありません。
聖霊は
愛の欠如という幻想を
裁くことも、咎めることも
分析することすらもせずに
そっと不敵な微笑みを浮かべながら
看過し、赦し、
のんきに口笛を吹きながら
ただ、通り過ぎていきます。
聖霊は
神の子が抱く
罪悪感や劣等感や
自己無価値感、
自分自身への憎悪、
孤独感、寂しさという
幻想を見過ごし、赦し、取り消して、
その幻想の向こう側に隠れている
神と同質の無限の愛、
喜び、安らぎ、幸福、
優しさ、強さ、豊かさ、自由、永遠、
天国の光のみを見ようとします。
神と神の一なる子が分かち合う
愛の霊性こそが存在するものの
すべてであり、
それ以外のものは何も存在していない
ことを聖霊は知っています。
そして、愛とは
分かち合うことです。
赦しは神の愛の反映であることを
知っている聖霊は
「愛を与えることと、
愛を受け取ることは
真理においては
ひとつであり、
愛を与えることは
自らの内なる豊かさを
思い出すことであり、
神の愛の反映である
赦しを与えることによって
自分が神の愛そのもの
であるという真実を思い出す。
愛を与えることによって
豊かになることはあっても
貧しくなることはありえない。」
と私たちに
教えています。
神の愛の反映である
赦しを与えることは
相手に
神の愛のメッセージを送ることであり、
それと同時に、
自分自身の心にも
神の愛のメッセージを届けることです。
そして赦しを与えることは
聖霊に
自分の心からも、相手の心からも
罪悪感という幻想を
光によって取り消してもらうことです。
私たちはいつの日か
相手という鏡に映る
自分自身の無意識の罪悪感を赦し、
自分は相手という名の自分を
赦しているに過ぎなかったと
気づくでしょう。
私たちは
無条件の神の愛で
すべてのものを
赦し、愛することを
思い出していきます。
私たちの心のなかにいて、
私たちが作り出した
時間や空間や宇宙の外側にいる
聖霊は私たちがすでに
赦されていることも、
私たちが抱いている
無意識の罪悪感がすべて
取り消されていることも
知っています。
私たちはすでに
自分が赦されていて、
無意識の罪悪感が
私たちの心から跡かたもなく、
取り消されていることに
ただ、気づくだけで良かったようです。
私たちの心は
今でもひとつであり
肉体は私たちの愛を封じ込めることは
できません。
愛は
ひとつに溶け合うことであり、
愛は肉体という境界線をものともせず、
どこまでも無限に広がっていきます。
聖霊は
愛の無限の力を覚えているので、
すべてを赦し、すべてを癒し、
すべてを愛します。
そして、
私たちの心に
神の愛を呼び起こし、
私たちを内なる天国へと
帰還させてくれるのです。
聖霊は
私たちに
「他者からの
愛と助けを求める呼びかけは
本当は自分の心のなかにある
自分自身による愛と助けを求める
呼びかけなのだと気づきなさい。
そして、内なる神の愛を解き放ち、
自分自身と兄弟を
優しい光のなかへと包み込みなさい。
赦しという贈り物を与えることによって
一なる神の子の心のなかの
罪悪感を取り消し、
自分たちがすでに赦され、癒され、
愛されていることに気づきなさい。」
と愛のメッセージを
ささやいています。
私たちの心のなかにある
聖霊は
罪悪や病や死や愛の欠如を
信じることができないほどに
進歩しており、
自分の足を地に着けたままでは
いられないほどに神に近い存在であり、
神聖な光に満ち溢れた純粋な存在なのです。
(終わり)