自分の感情と向き合って、
 
悲しい時は思いっきり泣くことは
 
本当はダメなことでも、
 
弱いことでも何でもなく、
 
実はとても強いことなのです。
 
 
 
なぜなら、
 
自分の感情と向き合って、
 
思いっきり泣くということは、
 
 
 
誰かを攻撃することを選択せず、
 
 
 
誰かに復讐をすることも選択せず、
 
 
 
自分で自分を責めて、痛めつけて、
傷つけることも選択せず、
 
 
 
ネガティヴな感情を感じることから
 
逃れるために、
 
自分の外側にある何かに対して
 
依存することも選択せず、
 
 
 
怒りや悲しみなどの
 
感情を感じることを
 
自分自身に赦し、
 
その怒りや悲しみの感情の奥に
 
隠されている
 
 
 
罪悪感、
 
劣等感、
 
自己無価値感、
 
自己否定感、
 
自分自身への憎悪、
 
欠乏感、
 
孤独感、
 
自分は愛に飢えているという
 
愛情飢餓感などの
 
罪悪感という名の幻想の雲を直視し、
 
 
 
赦し、
 
 
 
それらの
 
罪悪感という名の幻想の雲を
 
聖霊の愛の光のなかへと
 
手放し、
 
 
 
取り消そうとしているからです。
 
 
 
だから、
 
自分の目の前で
 
悲しみを感じて涙を流している人を
 
見た時は、
 
「悲しいね。」、「つらいね。」、
 
「よく頑張って生きてきたね。」
 
とそのつらさ、悲しさに共感しながらも、
 
相手の心のなかにある
 
神の愛の強さを信じて、
 
相手が泣きたい分だけ
 
思いっきり泣かせてあげる。
 
 
 
逆に、
 
 
 
自分が悲しみや怒りなどの
 
ネガティヴな感情を抱いた時は、
 
その感情を感じることを
 
思いっきり自分に赦してあげる。
 
 
 
泣きたい時は
 
思いっきり泣かせてあげる。
 
 
 
悲しみを感じて泣いている
 
小さな子どもに
 
寄り添ってあげるように
 
自分の感情と寄り添ってあげる。
 
 
 
そして、
 
 
 
私たちの本当のアイデンティティーは
 
神と同質に愛であり、霊であり、
 
光であることを知っている聖霊と共に
 
それらの罪悪感という名の
 
幻想の雲を直視し、
 
赦し、聖霊の愛の光のなかへと
 
手放すことができたら良いですね。
 
 
 
 
真冬で大地が雪におおわれていても、
 
私たちの心のなかに
 
ずっと変わることなく、
 
美しく可憐な花が咲き乱れているように。
 
 
 
嵐で空が暗い雨雲に
 
おおわれていたとしても、
 
私たちの心のなかに
 
ずっと変わることなく、
 
澄んだ青空や虹や
 
太陽がきらめいているように。
 
 
 
冷たい風が世界に吹き渡っていたとしても、
 
私たちの心のなかに
 
ずっと変わることなく、
 
春の優しいそよ風が吹いているように。
 
 
 
私たちの心は
 
豊かな愛に満たされています。
 
 
 
すべての豊かさが
 
私たちの心のなかに
 
永遠に輝いているので、
 
 
 
私たちが貧しくなったり、
 
愛に飢えることはありません。
 
 
 
泣きたくなった時は
 
思いっきり泣くことを
 
自分に赦してあげる。
 
 
 
そうすれば、
 
心のなかにある
 
罪悪感という名の幻想の雲は取り消され、
 
 
 
その雲の間からは
 
愛の光がこぼれだし、
 
 
 
澄んだ青空には
 
美しい虹色のアーチが
 
透明な光を放ち輝くことでしょう。
 
 
 
どうか、私たちが
 
自分の心のなかにある
 
豊かな光を思い出すことが
 
できますように。
 
 
 
どうか、私たちが
 
どこまでも永遠に広がり続ける
 
愛の息吹を
 
思い出すことができますように。
 
 
 
(終わり)