しかし、私たちは頑なに
「怒りや悲しみなどの
ネガティヴな感情を
直視し、感じることは
恐ろしいことだ。」
「怒りや悲しみなどの
ネガティヴな感情の
影に隠されている、
罪悪感、
劣等感、
自己無価値感、
自己否定感、
自分自身への憎悪、
欠乏感、
孤独感、
自分は愛に飢えているという
愛情飢餓感などの
幻想の雲を直視し、
感じることは恐ろしいことだ。」
「さらには、
それらの罪悪感という
幻想の雲に隠されている、
永遠で無限の喜び、
永遠で無限の幸福、
永遠で無限の愛、
永遠で無限の自由、
永遠で無限の強さ、
永遠で無限の優しさ、
永遠で無限の純粋さ、
永遠で無限の光、
永遠で無限の天国、
という神の愛を
見つけてしまうことは
もっともっと恐ろしいことだ。」
と信じ込んで、
自分が抱いているネガティヴな感情も、
罪悪感という名の幻想の雲も、
その罪悪感という
幻想の雲の向こうに隠されている
神の愛の光を直視することも
ひどく恐れています。
私たちは
罪悪感という名の
幻想の雲も、
その罪悪感という名の
幻想の雲の向こうに
隠されている
神の愛の光そのものも
恐れています。
だから、
罪悪感という名の
幻想の雲も、
その罪悪感という名の
幻想の雲の向こうに
隠されている
神の愛の光も
直視せずに済むように、
「自分の感情と向き合うことは
いけないことだ。」
「自分の悲しみの感情を
あらわにして
泣くことは
いけないことだ」
と信じ込んで、
その誤った信念を
自分自身にも、
そして
自分の身近な人にも
教えてしまう訳ですね。
自分の目の前で
他の人が悲しみの涙を流すと
慌てふためいて何とか
相手の涙を止めようとしたり、
自分の子どもに
「泣くな!!」と怒ったりするのは
その最たる例です。
一生懸命、慰めて
相手の涙を止めようとしたり、
自分の子どもに
「泣くな!!」と怒ったりする時は
自分の心のなかにある
「自分の感情と向き合うことは
いけないことだ。」
「自分の悲しみの感情を
あらわにして
泣くことは
いけないことだ。」
という罪悪感を相手のなかに
投影して見ているのですが、
誰かに慰められて
一生懸命、泣き止もうとしている人も、
親に「なくな!!」と怒られて、
一生懸命、自分の悲しみの感情に
蓋をしようとしている子どもたちも、
自分の心のなかにある、
「自分の感情と向き合うことは
いけないことだ。」
「自分の悲しみの感情を
あらわにして
泣くことは
いけないことだ。」
という罪悪感を
自分の心の外側に
投影することによって
悲しんでいる自分のことを
一生懸命、慰めて
泣き止ませようとする他者、
あるいは、
泣いている自分のことを
「泣くな!!」と
言っては怒る親という
本当は実在しない、
夢の登場人物を作り上げています。
しかし、
罪悪感という名の幻想の雲は
私たちの本当のアイデンティティーが
神と同質に愛であり、霊であり、
光であることを知っている聖霊と共に
直視し、赦し、
聖霊の愛の光のなかへと手放せば、
それらの罪悪感という名の幻想の雲は
まったく跡形もなく消え去ります。
(続く)