私たちの心のなかには

 
 
 
永遠で無限の喜び、
 
永遠で無限の幸福、
 
永遠で無限の愛、
 
永遠で無限の自由、
 
永遠で無限の強さ、
 
永遠で無限の優しさ、
 
永遠で無限の慈愛、
 
永遠で無限の純粋さ、
 
永遠で無限の光、
 
永遠で無限の天国
 
 
 
というすべてのものが
 
キラキラと輝きながら
 
存在しています。
 
 
 
そして、
 
私たちの心のなかにある豊かな光は
 
この宇宙さえも
 
ほんの一瞬のうちに取り消してしまうほどの
 
純粋で清らかな神の愛そのものであり、
 
 
 
私たちの内なる神の愛は
 
太陽の光のように、
 
永遠に変わることなく、
 
消えることもなく、
 
キラキラと輝き続けています。
 
 
 
私たちの心のなかにある
 
豊かな天国の光は
 
時には、
 
 
 
罪悪感、
 
劣等感、
 
自己無価値感、
 
自己否定感、
 
自分自身への憎悪、
 
欠乏感、
 
孤独感、
 
愛情飢餓感などの
 
罪悪感という名の幻想の雲によって
 
隠されてしまうことがあります。
 
 
 
 
暗くて大きな雨雲が私たちの視界から
 
太陽の光を隠してしまうように、
 
 
 
罪悪感、
 
劣等感、
 
自己無価値感、
 
自己否定感、
 
自分自身への憎悪、
 
欠乏感、
 
孤独感、
 
愛情飢餓感などの
 
罪悪感という名の幻想の雲は
 
 
 
私たちの心のなかにある
 
 
 
永遠で無限の喜び、
 
永遠で無限の幸福、
 
永遠で無限の愛、
 
永遠で無限の自由、
 
永遠で無限の強さ、
 
永遠で無限の優しさ、
 
永遠で無限の慈愛、
 
永遠で無限の純粋さ、
 
永遠で無限の光、
 
永遠で無限の天国
 
 
 
という神の愛を
 
隠して見えなくしてしまうのです。
 
 
 
しかし、
 
 
罪悪感という名の
 
幻想の雲は
 
 
 
所詮は
 
実在しない夢であり、
 
蜃気楼であり、
 
ただの幻に過ぎないので
 
 
 
 
私たちの心のなかにある
 
神の愛の光を
 
隠すことはできても、
 
消し去ることは
 
できません。
 
 
 
そして、
 
私たちが悲しみや怒りの感情を
 
感じている時、
 
その悲しみや怒りの感情の奥には
 
罪悪感という名の幻想の雲が
 
隠されています。
 
 
 
 
私たちは
 
 
 
罪悪感、
 
劣等感、
 
自己無価値感、
 
自己否定感、
 
自分自身への憎悪、
 
欠乏感、
 
愛情飢餓感などの
 
罪悪感という名の幻想の雲こそが
 
 
 
真の自分の姿だと
 
思い込んでいるため、
 
それらのネガティヴな感情と
 
向き合うことを
 
心の底から恐れています。
 
 
 
 
しかし、
 
私たちが
 
本当に怖がっているのは
 
 
 
罪悪感、
 
劣等感、
 
自己無価値感、
 
自己否定感、
 
自分自身への憎悪、
 
欠乏感、
 
愛情飢餓感などの
 
罪悪感という名の幻想の雲
 
そのものではなく、
 
 
 
その罪悪感の雲の向こうに
 
隠されている
 
 
 
永遠で無限の喜び、
 
永遠で無限の幸福、
 
永遠で無限の愛、
 
永遠で無限の自由、
 
永遠で無限の強さ、
 
永遠で無限の優しさ、
 
永遠で無限の純粋さ、
 
永遠で無限の光、
 
永遠で無限の天国、
 
 
 
という名の神の愛です。
 
 
 
 
しかし、
 
 
 
私たちの本当のアイデンティティーが
 
神と同質に愛であり、霊であり、
 
光であることを知っている聖霊と共に、
 
 
 
罪悪感、
 
劣等感、
 
自己無価値感、
 
自己否定感、
 
自分自身への憎悪、
 
欠乏感、
 
孤独感、
 
愛情飢餓感などの
 
罪悪感という名の幻想の雲を直視し、
 
 
 
罪悪感という名の幻想の雲を
 
怖がる必要はないのだと
 
理解した上で赦し、
 
 
 
その罪悪感という名の幻想の雲を
 
聖霊の愛の光のなかへと手放せば、
 
その幻想の雲は
 
まるで何ごとも無かったかのように
 
瞬く間に消え去ってしまいます。
 
 
 
 
だから、私たちが
 
怒りや悲しみの感情を感じた時に
 
すべきことは
 
 
 
誰かを攻撃することでも、
 
 
 
誰かに対して復讐をすることでも、
 
 
 
自分で自分を責めて、痛めつけて、
傷つけることでも、
 
 
 
ネガティヴな感情を感じることから
 
逃れるために、
 
自分の外側にある何かに
 
依存することでもなく、
 
 
 
怒りや悲しみなどの
 
感情を感じることを
 
自分自身に赦し、
 
その怒りや悲しみの感情の奥に
 
隠されている
 
 
 
罪悪感、
 
劣等感、
 
自己無価値感、
 
自己否定感、
 
自分自身への憎悪、
 
欠乏感、
 
孤独感、
 
自分は愛に飢えているという
 
愛情飢餓感などの
 
罪悪感という名の幻想の雲を直視し、
 
 
 
赦し、
 
 
 
それらの
 
罪悪感という名の幻想の雲を
 
聖霊の愛の光のなかへと
 
ただ、手放すだけで良かったようです。
 
 
 
(続く)