私たちが他者のことを
嫌いだと感じる理由は
さまざまです。
相手が自分のことを
嫌っているからとか、
相手が自分のことを
憎んでいるからとか、
相手が自分の存在を
否定してくるからとか、
相手が自分の優位性を保つために、
自分のことを攻撃したり、
見下して来るからだとか、
あるいは、
冷酷で残酷だからという理由で
時々、
テレビのニュースで見かける
凶悪な殺人犯のことを
嫌いだと感じるかもしれません。
私たちは相手のことを罪深いから、
赦せないからと言って、
相手のことを裁き、
相手を自分の心のなかにある
罪悪という名の牢獄に
閉じ込めようとします。
しかし、真実を言えば、
私たちが
実際に罪悪の牢獄に
閉じ込めているのは、
相手ではなく、
自分自身なのです。
さらに正しく表現すると、
私たちが相手を
罪悪という牢獄に
閉じ込めようとしている時、
私たちが本当に閉じ込めようと
しているのは、
自分が無意識のうちに
抱いている
間違った自分自身のイメージなのです。
例えば、
自分のことを嫌いな相手が
自分の目の前にいるとしましょう。
私たちは
自分のことを嫌いだと
思っている相手を愛することは
できないと感じて、
相手のことを嫌な奴だと判断し、
批判し、裁き、
自分の心のなかにある罪悪の牢獄に
閉じ込めようとします。
しかし、私たちが本当に
罪悪の牢獄に
閉じ込めようとしているのは、
自分のことを嫌っている相手ではなく、
自分で自分のことを
大嫌いだと感じ、
無意識の内に
自己嫌悪感を抱いている
自分自身の間違ったイメージなのです。
自分のことを憎んでいる相手が
自分の目の前にいる場合でも、
私たちは相手のことを
嫌な奴だと判断し、
批判し、裁き、
自分の心のなかにある
罪悪の牢獄に閉じ込めようとします。
しかし、私たちが
本当に罪悪の牢獄に
閉じ込めようとしているのは、
自分のことを憎んでいる相手ではなく、
自分で自分のことを憎み、
ありのままの自分を
愛することができない悲しみを持った
間違った自分自身のイメージなのです。
自分の優位性を保つために
自分のことを攻撃したり、
見下して来る相手が
目の前にいる場合、
私たちは
やっぱり、
相手のことを
嫌な奴だと判断し、
批判し、裁き、
自分の心のなかにある
罪悪の牢獄に閉じ込めようとしますが、
私たちが本当に
罪悪の牢獄に閉じ込めようとしているのは
自分のことを見下して来る相手ではなく、
劣等感を持ち、
こんな自分には価値がないと
自己無価値感を抱いている、
間違った自分自身のイメージなのです。
そして、ニュースで見る
殺人犯に至っては・・・・・・。
彼らは何らかの理由で
他者を殺したい、傷つけたい、
破壊したいという願望を抱いた訳ですが、
そのニュースの殺人犯が抱く、
「殺したい、傷つけたい、
破壊したい」という願望は
実は私たちの心のなかにある
「自分を殺したい、
自分を傷つけたい、
自分を破壊したい」
という願望であり、
私たちは私たちの心のなかにある
「自分を殺したい、傷つけたい、
破壊したい。」という願望を
自分の心の外側に投影することによって、
凶悪な殺人犯という
本当は存在しない
夢の登場人物を作り上げているのです。
そして、私たちは
彼らが冷酷だから、
残酷だからという理由で
彼らを裁き、
彼らを
自分の心のなかにある
罪悪の牢獄に閉じ込めようとしますが、
私たちが本当に
閉じ込めようとしているのは
自分自身を憎み、殺し、傷つけ、
破壊しようとする
冷酷で残酷な自分という
間違った自分自身のイメージなのです。
私たちは
罪深い他者という夢の登場人物を
自分の心のなかにある
罪悪の牢獄に閉じ込めてしまうと
鉄格子ごしに相手の姿が見えるので、
「やった!相手を罪悪の牢獄に
閉じ込めてやったぞ!ざまーみろ」
と狂喜乱舞しますが、
実は罪悪の牢獄に
閉じ込められているのは
自分の方であり、
牢獄の外の世界にいるのが、
相手の方なのです。
そして、私たちは
自分が閉じ込めたはずの相手を
自分が自分を閉じ込めている
罪悪という名の牢獄の鉄格子ごしに
眺めているのです。
(つづく)