私たちは神からの分離という
夢を見始めた時に感じた
罪悪感や自己嫌悪感を和らげるために
「特別な関係」を築きます。
それが、
「特別な愛の関係」であれ、
「特別な憎悪の関係」であれ、
人であれ、物であれ、
「特別な関係」はすべて、
罪悪感や自己嫌悪感の投影を
土台にしています。
「特別な憎悪の関係」は
神からの分離という夢によって感じた
罪悪感や自己嫌悪感を
自分の心から除外するために、
それらを自分の心の外側に投影し、
自分と敵対する相手という
夢の登場人物を作り上げ、
その夢の登場人物のなかに
自分の罪悪感や自己嫌悪感を投影し、
それを自分の外側に見ることによって
自分の心のなかにある
罪悪感や自己嫌悪感を
忘れようとします。
一方、「特別な愛の関係」は
神からの分離という夢によって感じた
欠乏感や空虚感を埋めるために
自分が持っていない
特別な自己を持っている相手、
自分に特別な愛を与えてくれる相手、
自分の欠乏感を癒してくれる相手
という夢の登場人物を作り上げ、
「特別な愛の関係」の上に
罪悪感や自己嫌悪感を投影し、
それを自分の心の外側に見ることによって、
自分の心のなかにある
罪悪感や自己嫌悪感を忘れさろうと
します。
しかし、「特別な関係」が
罪悪感や自己嫌悪感を
完全に取り消すことはなく、
ただ、それらを心の隅に追いやり、
見えなくしてしまうだけなのです。
愛する人が亡くなった時に
私たちが、
罪悪感や自己嫌悪感を感じるのは、
「特別な愛の関係」によって
ずっと心の奥に押し込まれ、
否認されていた、
罪悪感や自己嫌悪感が
再び、心の表面に浮かび上がり、
罪悪感や自己嫌悪感が直接、
自分自身に投影されるからです。
神は「恐れ」を作り出さなかったので、
「死」も作り出しませんでした。
「恐れ」も「死」も「肉体」も
神にとっては等しく無意味であり、
幻想であり、夢であり、
存在していません。
愛する人を亡くすというシナリオは
エゴが描いたシナリオであって、
聖霊が描いたシナリオではありません。
しかし、聖霊は
エゴが描いた、
愛する人を亡くすというシナリオを
私たちが心の奥に閉じ込めていた
罪悪感や自己嫌悪感を取り消すために
利用することができます。
愛する人の死という
シナリオによって浮かび上がって来た
罪悪感や自己嫌悪感を
否定せず、抑圧もせず、
そんな負の感情を感じている自分を
無条件に赦し、受容し、
自分が感じている
罪悪感や自己嫌悪感を
すべて聖霊にゆだね、
あずけるなら、
聖霊は愛の光のなかで、
それらの罪悪感や
自己嫌悪感の想念を
優しく取り消してくれるのです。
(続く)