神が考える生命とは
神と神の子キリストの
光り輝く霊であり、
神と神の子キリストが分かち合う
愛の霊性こそが存在する
生命のすべてであり、
それ以外のものは
何も存在していません。
 
 
 
神と神の子キリストは
たった一つの心を分かち合い、
心に純粋な愛のきらめきを宿し、
自らの内に
無限の豊かさを見ているので、
どこまでも愛を延長し、
安らぎを増大させ、
喜びを分かち合おうとします。
 
 
神と神の子キリストの
一なる心のなかには
 
 
永遠で無限の愛、
永遠で無限の喜び、
永遠で無限の幸福、
永遠で無限の安らぎ、
永遠で無限の自由、
永遠で無限の強さ、
永遠で無限の優しさ
 
 
が宿っており、
その溢れんばかりの豊かさは
光の洪水となって
ありとあらゆるところに
広がっていきます。
 
 
神と神の子キリストが分かち合う
永遠の愛は
噴水の水が溢れ出すように
内なる光を解き放ち、
どこまでも広がる
無限の彼方へと
延長していきます。
 
 
神と神の子キリストが
解き放つ愛の光には
時間も空間も
限界も境界線すらもなく、
その光は
どこまでも無限に広がり続け、
愛の光は
ありとあらゆるところにあり、
すべてをその柔和な光の翼で
優しく包み込みます。
 
 
神と神の子キリストの
愛の霊性のなかでは、
「死」は存在せず、
「死」は存在しないがゆえに
「死」の想念から生じる
悲しみ、寂しさ、孤独感、
恐れ、欠乏感、恐怖感、
劣等感、自己無価値観、
憎しみや怒りなどの負の感情は
一切、存在していません。
 
 
そして、それらの
「死」の想念から生じる
負の感情の代わりに、
「生命」の想念から生じる
愛、喜び、幸福、安らぎ、
自由、強さ、優しさだけが
神と神の子キリストの心を
満ち足りた静かな平安で
満たします。
 
 
神にとっての生命とは
愛であり、
愛だけがすべての
喜びの源であり、
愛と霊は同じ一つの光です。
 
 
神は
 
 
  「生命は生命からしか生まれず、
    愛は愛からしか生まれない」
 
 
という真実を知っており、
 
 
神と同質の愛であり、霊であり、
永遠の生命である
神の子キリストの内なる光を
肉体が封じこめることは出来ないと
 
 
私たちにそっと優しく
教えます。
 
 
肉体は命の代わりとはなり得ず、
神と神の子キリストが共有し
分かち合う
愛の霊性こそが真の生命のすべてであり、
それ以外のものは
何も存在していません。
 
 
「肉体」という夢も、
「死」という夢も
私たちが神からの分離という
幻想を自分の心の外側に
投影することによって
作り出した夢、幻ですが、
私たちが神と一緒に創造せず、
自分一人だけの力で作り出すものは
何であれ、
まったく存在しません。
 
 
そして、「死」とは、
 
 
「神の子キリストは肉体であり、
  傷つくことも、死ぬことも、
  あり得る存在である。」
 
 
という私たちの
誤った信念や
思考を意味しますが、
 
 
私たちが神と共に考えずに、
自分ひとりだけで考えることは
まったく、存在していません。
 
 
 
自分が死ぬことのできる
神から離れた一個の分離した
肉体だという夢を見ることは
できますが、
それを実在のものとすることは
できません。
 
 
なぜなら、本当の私たちは
肉体ではなく、
愛という名の光り輝く霊だからです。
 
 
そして、
創造されたものは何であれ、
愛がなければ、
永遠の生命を持つことは
できません。
 
 
私たちは愛を持たずに
自分自身への憎しみを
自分の心の外側に投影することで、
「肉体」と「死」という幻想を
作り上げましたが、
愛を持たずに作り出された
「肉体」と「死」は
永遠の生命を持つことは出来ません。
 
 
一方、神はご自身の愛の霊性を
延長することによって、
神の子キリストの霊を創造したので、
神によって愛を持って創造された
神の子キリストの霊は
死ぬことも、傷つくこともあり得ない、
永遠の生命を持っています。
 
 
そして、
私たちの本当の生命は
肉体ではなく、
神と神の子キリストが分かち合う
愛という名の光り輝く霊なので、
私たちが本当に死ぬことは
永遠にあり得ないのです。
 
(続く)