光と水が溶け合って
キラキラと輝くように
私たちの心は永遠にひとつであり、
離れ離れになることは
ありません。
そして、
神は「肉体」も「恐れ」も
作り出さなかったので、
「死」は存在しません。
私たち神の子は
「自分は死ぬことができる
肉体である。」
肉体である。」
という夢を見ることはできますが、
それを実在のものとすることは
できません。
だから、
「愛する人の死」も
私たちの心のなかにある、
「自分は天国からも
神の愛からも
離れてしまった。」
という
誤った信念の象徴にすぎず、
真実のものではありません。
しかし、
ここで思い出すべき、
重要なことは、
「奇跡のコース」は
死は夢であると宣言しつつも、
私たちに、
愛する人を死という幻想に
よって失った時に感じる、
悲しみや寂しさや孤独感や
剥奪感や怒りや
罪悪感や自責感などの
負の感情を抑圧せよ、我慢せよ
とは一言も言っていないことです。
愛する人を亡くして
悲しみや寂しさや孤独感や
剥奪感や怒りや
罪悪感や自責感などの
負の感情を感じる時は、
そんな感情を感じている自分を
裁くこともなく、
責めることもなく、
優しく受容し、
負の感情を存分に感じることを
自分に赦してあげれば良いのです。
そして、
愛する人を亡くしたことによる
悲しみや寂しさや孤独感や
剥奪感や怒りや
罪悪感や自責感を感じた後は、
それらの負の感情を
聖霊の愛の光のなかへと解き放ち、
すべての想いを聖霊の愛に
ゆだねれば良いのです。
そうすれば、
聖霊は私たちの心から
悲しみや寂しさや孤独感や
剥奪感や怒りや
罪悪感や自責感の想念を
そっと優しく、
愛の光のなかで
取り消してくれるでしょう。
私たちは人生という夢の中で
時には心のなかで、
悲しみの雨を
降らせる時がありますが、
思いっきり、
悲しみの雨を降らせた後は、
内なる天空に
キラキラと
美しく輝く虹を見て、
自分は天国からも、
神の愛からも永遠に離れれることは
できないのだと思い出し、
優しい微笑みを浮かべながら、
無限に広がる光のなかを
歩いてゆくことが
できるのです。
(おわり)