どうも
母親に「アンタ、保育園の頃はウサギのぬいぐるみに[あーちゃん]って名前を付けて常に持ち歩いていたのよ」という黒歴史を通告された澤木です。
#ウサギのぬいぐるみ。
#あーちゃん。
#あーちゃんって誰?
さて、本日は5月8日(日)で「母の日」ということで・・・
ブルペンラジオでは3週間くらい前から告知をしていましたが
日頃の感謝の気持ちをラジオに乗せて
ブルペンラジオ
Mother's Day 2022
を収録しました。
母親に関するほっこりするエピソードを募集したところ、9通もレターを頂きまして、それをラジオ収録内で読み上げさせて頂きました。
その様子はブルペンラジオに収録しておりますので是非、聴いて頂けますと嬉しいです。
stand.fm
ブルペンラジオ
~日頃の感謝の気持ちをラジオに乗せて~
ブルペンラジオ
Mother's Day 2022
すべてのレターを読み上げさせて頂きましたので46分間の収録となっておりますが、どのレターもほっこりする内容となっております。
改めてレターを頂いた皆様、本当に有難う御座います。
このマリオブログでは頂いたレターをすべて紹介させて頂きますのでブルペンラジオを聴きながらブログを読んで頂いてもOKですし、テキストのみで文章を読んで頂いてもOKです。
それではどうぞ。
▼ナオティオスさんよりレター
【息子のチーム存続の為に】
こんばんはナオティオスです。
私は小学校6年間ソフトボールチームの主将をしておりました。
何故、6年間主将だったか。
1年生の時に両親に手を引かれ、通っていた小学校に紐付くソフトボールチームに入りました。
そのチームは、ノビノビと育ててくれる監督が運営していました。
バントせず、フルスイングを教え、エラーを叱責しない、温かい監督でした。
因みに同じ小学校に他にも二つのチームがありました。
いずれも強いチームで、監督やコーチは厳しく、グラウンドにはいつも罵声がこだましておりましたので、教育方針に合わないという事で、先程のチームへ入るようにと親は選びました。
興奮しながら入会しましたが、なんと6年生が8人しかおらず、私は9人目として入会した為、人生初のプレーはいきなりリーグ公式戦でした。
9番ライトで出場、ソフトのルールを理解しておらず、リードした瞬間にアウトになり、母の前で号泣したのは思い出です。
その後、先輩達は一気に卒業。
監督と私だけが残りました。
優しき監督は途方に暮れ、チームはこのまま終わりか…と思った時、悲しむ息子を見た母は、グラフィックデザイナーの能力を生かし、校内にばら撒く為の入会募集のチラシを大量に作りました!
そのチラシを見て、サッカーを習っていた子、バスケをやっていた子、算盤をやっていた子が集まり遂に9人になり、公式戦に出場できる人数が揃いました。
パワプロクンポケットみたいな話ですが、実話です。
私が5年生まで15チーム中万年最下位を争うチームでした。でも、必死に練習を重ね、6年生、最後の大会では、小学校のライバルチームを倒し、3位となり、銅メダルを握りしめ、泣いたのは私の最初で最後の嬉し涙でした。
おかんありがとう。野球続けなくてごめんね。
ナオティオス
▼大野和樹さんよりレター(澤木の小・中の同級生)
ラジオネーム:大野 和樹
2022マザーズデイレター
母へ
最近、友達に誘われて草野球してるよ。
学生時代からの友達が出てくるエピソードは喜んで聞いてもらえているのかなと思います。
最近思うのは、子供が子供なのが初めてのように、親も親になるのは初めてで、色んな苦労があったのかなと思います。
いつも有難うございます。
ちなみにその草野球で使っている道具は、学生時代からの友達の澤木の店で買っています。
そんなエピソードも喜んでもらえているのかなと思います。
▼TSUBOI NO GOTOHさんよりレター
※ツボイスポーツ後藤店長
R.N. TSUBOI NO GOTOH
ブルペンラジオ Mother's Day 2022
母さんへ
今日は母の日
久し振りに昔話でもしようか。
今思えば、小学2年からオレが野球を始めて、妹のソフトボールや弟の大学野球が終わるまで、後藤家の休日は野球三昧だったな。
色々苦労かけたと思うけど、毎日洗濯してくれたり献身的に応援に来てくれた事、本当に感謝してるよ、ありがとう。
母さんはオレがエラーしたり三振したりホームラン打たれても何も言わなかったけど、自分よがりのプレーをしたり、チームメイトと喧嘩したりした時は必ずオレの事叱ったよな。
『自分の事より人の事』って、耳にタコが出来るくらい言われた事思い出したよ。
『いつも感謝』『人の為に生きろ』そんな母さんの教えもあんのかな、今オレ色んな人の野球の手助けをしながら毎日楽しく過ごしてるよ。
たまにさ、歌ったりなんかもしてんだよね。笑
これからも野球を愛するみんなのために、生きていくよ。
これからもさ、五人の孫達にもオレら三兄弟と同じ様に『人にやさしく』する事教えてやってくれよな。
腰痛いだろうからあんま無理しすぎんなよ。
いつもありがとな。
▼新宿ぶんぶん さんよりレター
新宿ぶんぶん
ベースボールマリオスタッフの皆様お疲れ様です。
母親の思い出、野球絡みで
こんなジジイでも小学生の時があり、あの頃の遊びは野球とプラモデル作りでした。
毎日の様に学校の校庭か近所の空き地で野球をしていました。小2で父親亡くし、
片親でしたが、私と弟育て、何ふじゅうなく、最初に買ってもらったのは美津濃でした。
毎日、野球をしているうち、私の音頭でチームにしようぜ。
その頃からP感覚あったかも。
学童野球、ましてはリトルなんかも無く、指導者も無く。
お金も無く。ユニフォームなど
夢のまた夢。
帽子マーク、作りました。
チーム名が思い出さない。
東京の大田区道塚小学校
ミチヅカジャイアンツ
かな。
あの頃、少年達は皆、YGマークの
野球。
マークが出来た晩、
母親がYGマーク外し新しい
マークを縫い付ける。
感謝。
支離滅裂、
長文、失礼。
▼ラジオネーム、ポンコツさんよりレター
学生時代の母との思い出と言いますと真っ先に思い浮かぶ事は私が高校1年の春季大会に運良くベンチ入りした時の思い出です。
私が育った家は宮城県の田園風景が広がるド田舎の町でした!
母親は農家の嫁でしたので毎日…畑仕事、田んぼ仕事を化粧もせずに女っ気なんぞ全く無い田舎のおっかさんって感じでした。
私は中学を卒業し仙台の強豪校へ進学が決まり寮生活が始まりました。
親ともしばらく会えない生活になり親への感謝の気持ちも芽生え始めた頃の春季大会に運良くベンチ入りしました。
その時の試合前の出来事です。
ベンチ前で素振りしながらグランド整備を待っていた時でした。
先輩の一人が応援席の父兄達を見て…おい誰のお母さんだ?凄く綺麗なお母さんがいるぞ!とヒソヒソ言い出したのです。
私も素振りをしながら見上げると一人だけオーラが違う女性がいてあの人かと直ぐにわかった瞬間、??
それは見たこともない化粧姿の見たこともない洋服を着た私の母親でした!
私に恥をかかせたくなかったのか見たことのない母親の姿でした。
嬉しい反面、無理させてごめんと思った思い出です。
あの時はありがとうお母さん!
▼IQ男さんよりレター
カープ女子のおかんへ
これまでわたくしIQ男の野球人生を陰ながら支えてくれてありがとう。
学生時代はもちろん、今でも時々、孫と一緒に試合を見に来てくれるので、さすがに愛を感じざるを得ません。
お世話になったエピソードで1番に思い浮かぶのは、高校時代。
試合の日の朝、2人揃って寝坊して、球場まで車で直接送ってもらった事かな。
家から学校まで電車で約1時間。
場所によってはもっと遠い道のりを、何度か送ってもらいました。
特に1年の秋、初めてベンチ入りした大会に遅れそうになった時は冷や汗ものでした!
(※目覚まし時計が枕元から落下し、電池が抜けていた!!!)
あの時は本当に助かりました。
今でもこんなに野球を愛し、楽しむことが出来ているのは、おかんのおかげです。
経済的にも決して裕福じゃなかったけど、これまで野球を続けさせてくれて本当にありがとう。
コロナが明けたら、一緒にマツダスタジアム行こうな。
▼15NEKさんよりレター
5/8母の日企画で澤木さんに朗読っぽく読んでもらえると嬉しいです(笑)
私の母はどこか抜けている。
天然という言葉を使えばよく聞こえるかもしれないが、天然とは少し違う。
例えて言うなら縦スラと横スラを足して2で割ったような性格だ。
#それはカーブなんじゃないの?
うちでは昔から母の日になにかを贈るという習慣がなく、私にとってはいつもと変わらないただの5月の第2日曜日だった。
そんな親不孝息子も6年前に結婚し家をでた。
余談だが妻は私の幼馴染であり、初恋の人だ。
#妻の初恋は私ではない..
ただずっと一緒だった訳ではなく、お互いの別々の人生を歩む中でたまたま同じプレートに足をかけていた感じだ。
女房役とはまさにこのことだ。
冗談はさておき、家を出てからわかったことがいくつもある。
掃除・洗濯・炊事。そのどれもが大変で、今まで全てやってもらっていたことに感謝すると同時になにもしてこなかった自分が恥ずかしくなった。
母親の偉大さをひしひしと感じた。
家を出てから迎える初めての母の日。
いつもと変わらないただの5月の第2日曜日にする訳にはいかない。
今までの感謝の気持ちを伝えようと、ウォーキングが趣味の母のために足の負担が軽くなるインソールを贈ることにした。
受け取った母はどこか不思議そうにありがとうと言った。
今まで何ももらってこなかったため、急なプレゼントに戸惑っていたのだろう。
これは後から父親から聞いた話なのだが、私が帰ったあと母はニコニコとそのインソールを眺めていたらしい。
ウォーキングに行くときだけではなく普段の靴にもそのインソールをいれ、家ではスリッパにも入れていたとか入れていないとか。
とにかく母が喜んでくれてよかったと思う。
それからは毎年母の日にはプレゼントを贈っている。
子を持つようになってからは今まで以上に母の偉大さを感じている。
この前ラインで今年は何が欲しいか聞いてみた。
そしたらどうやら「マトリオッツォ」とかいうお菓子が食べてみたいらしい。
私は「マリトッツォ」だと解釈してプレゼントしてみようと思う。
私の母はどこか抜けている。
▼岡山のおかわり君さんよりレター
おかん、たけー(高額な)練習着買ってもらってありがとうな!結局一回しか着てないわ(^^)
エピソード
私は公立普通科弱小校の野球部でした!
練習着は特に指定はなく、ユニホームタイプでもシャツタイプでもいいし、色も特に指定はありませんでした!
大体学年ごととか新チームになったりでユニホーム作ったりしますよね?
私あんまり道具をたくさん買ってもらったりはしてないと思ってるんですが…僕の記憶では!
ただ3年生の夏前に1着ぜいたくに練習着の背中にメッセージの入れてある物を作らせて欲しいとお願いしました!
結論を言いますと、2万弱かかりました!
ただの練習着です!
テレビのバースデイで当時イチローさんが言ってた言葉をそのまま背中に入れてもらいました!
アイロンで引っ付くやつです!
当時お世話になってたお店で作ってもらいました!
お店には一人で行って注文して、出来上がりの時に母親と一緒に行って…金額聞いて目が点になりましたね…今でも実家のクローゼットに大切にしまってます!
本当ありがとう!
▼手が小さい人 略して テチさんよりレター
お世話になっております。
僭越ながら私も母とのエピソードをお送りさせていただきます。
最も印象に残っている母とのエピソードは、高校入学時の部活を選んだ時の出来事です。
私は高校受験する際に、まず「硬式野球部がある」ということを高校選びの最優先事項として考えていました。
運良く第一志望の公立高校に入学でき、さぁ野球部に入ろうと思い、入学式前の3月中から体験参加させていただきました。
が、その当時の野球部はめちゃくちゃ弱く、先輩達はポロポロエラーしてるし、ティーバッティングも弱々しく、生意気ながら「めちゃくちゃ下手だな〜」と思ってしまいました。
私の高校は、公立高校としては珍しくアメフト部があり、関東でも有数の強豪校でした。
中学校まで野球をやっていた人も高校からアメフトを始めて活躍しているという話を聞いた時に、私の心はアメフト部入部へ動いてしまいました。
そのことを母に相談すると、母は泣きながら「野球続けるために、この高校に入ったんじゃなかったの」と言われ、私はその時初めて、母も私に野球を続けてほしかったんだとわかりました。
そんな姿を見てしまったので、思い直して野球部に入部しました。
実は入部してからわかったのですが、私が体験参加した時期は負けがこんでいて、めちゃくちゃチーム状況が悪い時だったようで、正式に入部して以降チームの状態もあがり、夏の大会も過去最高に近い結果を残しました。
そして2年半が経ち、高校3年生の夏の大会も2年前と同じところまで勝ち上がりましたが、残念ながら2年前の結果を上回ることはできませんでした。
試合後、監督、部長先生からの話が終わり、キャプテンだった私は親御さんにも感謝を伝えようと思い、同級生を集め、観戦に来ていた親御さんに2年半のサポートについてお礼を言いました。
ただ、私は個人的に母へ違う言葉で感謝を伝えなければいけないことがあったのですが、実はまだ言えないままとなっています。なので、ここで18年越しに伝えたいと思います。
「あの日、俺に野球を続けさせてくれて、ありがとう」
長文失礼いたしました。
P.S.今や母は高校野球マニアと化し、私や父よりも高校野球情勢に詳しくなりました
▼高校3年生の澤木さんよりレター
私が野球を始めたのは小学3年生の頃。
毎週、日曜日は練習や試合があった。
他のチームメイトの親は試合を観に来る中練習や試合に両親が観に来ることはほぼなかった。
両親は共働きで母は美容師をしているので、美容師の定休日の相場は火曜日と決まっている。忙しい日曜日に仕事を抜け出して試合を観に来れるわけが無かった。
それでも試合から帰宅すると
「おかえり、今日はどうだった?」
と必ず聞いてくる。
小学生のうちは試合結果や自分の成績を話していたけど中学生、高校生にもなると
思春期なのか何なのか分からないけど「今日はどうだった?」に対する答えは
「普通」とか「まあまあ」とか愛想のない返事をしていた。
仕事で両親が観に来れないのは分かっていたし野球部内での自分と、家での自分は違っていたりするので変に母親が観に来ると緊張してしまうのも想像できた。
だから「来なくていいよ~」といつも言っていた。
そんな中、高校3年生のゴールデンウィーク
夏の大会でも使用する地元にある球場を借りての練習試合。
たまたまその試合で3本のヒットを放ち
迎えた4打席目に向かう前
ネクストバッターズサークルからふとバックネット裏を見るとうちの母親がチームメイトの母親と談笑しているのが見えた。
(え?なんで来てるの?)
心の中で呟きながらネクストで来たるべき打席のために素振りを繰り返す。
(あ、今日はゴールデンウィークだ・・・そして、今日は火曜日だ。)
(今日、観に行くって言ってなかったじゃん)
(息子に対してサプライズをすな)
そんなことを思いながら自分の打順が回ってきた。
結果は平凡なレフトフライ。
完全に意識して力が入ってしまっていた。
試合後、球場の外に出ると既に母の姿は無かった。
おそらく私に見つかる前に帰ったのだろう。
そして、数時間後、家に帰宅する。
「ただいま。」
「おかえり、今日はどうだったの?」
「いや、今日来てたでしょ」
「あ、バレてた?」
「いや、バレバレだから。」
・
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・
・
その後も晩御飯を食べながら
試合についてあれこれと会話をすることになった。
これは高校3年生のゴールデンウィークの話。
そこから夏まで
もう少し高校野球は続くのだが
・
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・
・
それはまた
・・・・別の話。
▼皆様、有難う御座いました
最後は放送時間の関係で私(澤木)のレターは収録中に話が出来なかったので、こうしてブログ内で書かせて頂きました。
改めてレターを頂いた皆様、本当に有難う御座います。
文章構成も含めて、すべてが素敵なレターでした。
日ごろは恥ずかしくて言えないかもしれない感謝の気持ちですが、「恥ずかしくて言えない」という部分が既に母を想う気持ちが込められているのだと思います。
世の中に当たり前なことなんてなく、すべて有り難し出来事。
野球、ソフトボールが出来ていること、今生かされていることに感謝して今を頑張っていきましょう。
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