ささやかだけれど、役に立つこと -2ページ目

ささやかだけれど、役に立つこと

読書、映画、時事ニュース等に関して感じたことをメモしています。忘れっぽいので、1年後にはきっと驚きをもって自分のブログを読めるはず。

 

ジュリアン・ムーア主演の「アリスのままで」を観た。

てっきりアリスの病気(若年性・遺伝性アルツハイマー)がきっかけとなって、家族関係の見直しみたいなことが行われて、それがアリスの病気の話と並走して行くのかと思っていたけれど、そうでもなかった。

 

アリスの娘達の対比も(姉アナ=大卒・優等生・母親似、妹リディア=高卒・女優志望)、結局は話の流れにそれほど大きな動きを与えていなかったように思われる。遺伝性アルツハイマーに関してアナは陽性と診断され、リディアが診断拒否したあたりで話が大きく展開される可能性を感じたけれど、ほぼ放置された状態になってしまった。

 

特にアナは法曹界でキャリアを築きつつ双子を身ごもったばかりでもあり、遺伝性アルツハイマーが陽性と診断されたことにより当然もっと取り乱したり母親と感情的に衝突してもおかしくないと感じたが、劇中ではやや母親によそよそしくなる程度のことが描かれているのみ。双子の遺伝子診断も行ったのかどうかも良く分からず。人工授精を行う際に陽性の受精卵は利用しないことにする、ということなんだろうか。。。色々と腑に落ちない。

 

ある意味最も衝撃を受け、且つリアルな人物描写だと感じたのはアリスの夫のジョン。悪い人ではもちろんないとは思うけれど、結局はオファーされた病院でのポジションを受けることを優先し、アリスの世話をリディアに任せてをニューヨークを去ってしまう。アリスが一夏でいいから休みをとって旅行に行きたいと言った際も、オファーに対する返答を引き延ばせないとかお金がどうこうと理由をつけてアリスの願いを聞き入れようとしなかった。この短い機会を逃せば、その後は「アリスのままで」はいられない、と彼女が訴えているにもかかわらず。ジョンを典型的なエゴイストとしては描いていないだけに、アリスの最終的な状況がはっきりし始めたあたりから寒々とした心持ちになった。

 

大学教授が若年性アルツハイマーになったらその人の人生は一体どうなってしまうのか、ということを淡々と描いていてそれはそれで興味深かったし、本作でアカデミー主演女優賞を獲ったジュリアン・ムーアの演技も素晴らしかった。が、どうも個々のシーンが1つに繋がっていくような感じがしなかった。若年性アルツハイマー患者の典型的な状況をリアルに伝えるという意味では上手く機能していると思うけれど、アリスと彼女の家族の物語という意味ではどう考えるべきなのだろうか。そこに観る人を引き込む強い物語性はあるのだろうか。

 

最後のジェダイをやっと観に行ってきた。

アダム・ドライバー(カイロ・レン=ベン・ソロ)の演技が良かっただけに、スノーク亡き後もカイロ・レンがダークサイドに留まり続ける動機などが明確に描かれていないのが気になってしまった。

 

ベン・ソロがダークサイドに堕ちたのも含めて全てスノークが悪かったんです、ということであるなら、次回作へと物語を導く力が弱いような気がしなくもない。

 

そう考えると、アナキンの物語では彼の妻や子供への愛情をダース・シディアスに利用されたということになっており、話の筋としてはスッキリしていたなあと思う。

 

カイロ・レンの場合はスノークにつけ込まれる可能性のある心理的な弱みは特段描かれていなかったように思われるけれど、その辺はどうなっているのだろう。家庭環境も悪くないし、叔父は伝説のジェダイで両親はレジスタンスの英雄、ある意味銀河規模で超名門一族の御曹司、しかもフォースの才能にも恵まれている。恵まれ過ぎてちょっと精神的におかしくなってしまったということだろうか。

 

今シリーズ三作目では、ベン・ソロがカイロ・レンとして存在し続ける背景にもう少し説得力を持たせてから大円団に向けて話を展開させてくれると嬉しいなと思う。

 


 

 

心はなぜ腰痛を選ぶのか:サーノ博士の心身症治療プログラム

(ジョン E.サーノ著)

 

脳で治す腰痛DVDブック

(NHKスペシャル取材班)

 

腰痛持ちでもないのに腰痛の本を2冊読んだ。この2冊に共通する点は、腰痛がフィジカルな問題ではなくて心因性の症状だと仮定して議論していることである。

 

仕事上の過度なストレスや過去のトラウマが原因で発生した強い憤怒が無意識に抑圧されており、それが意識上に上ろうとするのを妨げるために腰痛その他の症状が発生する(サーノ博士のTMSモデル)、と考える。

 

何故怒りの感情を無意識下に抑圧するのか?それは、怒りの爆発が自己イメージの崩壊や道徳観念からの逸脱を意味するからである。このため、人に良く思われたいと常日頃感じている人や、強い規範意識を持っている人ほど腰痛その他の心因性膝痛症にかかりやすい。

 

興味深い点は、痛みを取り除くために無意識下に抑圧した憤怒の内容や原因を意識に上らせる必要は必ずしもない、ということだ。というよりも、患者はどんな理由で自分が怒りの感情をもち、且つそれを抑圧しているのか最後まで分からないことが多い。しかし重要なのは、怒りの内容がどうあれ、「脳は強い怒りが意識にのぼるのを妨げるために何らかの症状を利用する」、という事実を知ることだ。

 

実際、患者の多くは腰痛その他の心因性膝痛症は脳が引き起こす症状であると理解し心理的に受け入れられると症状が寛解あるいは部分的に解消する。この患者の学習のために、ニューヨーク大学医療センターでは2〜3週間程度のプログラムが組まれており、その多くは講義やディスカッションに割り当てられる(1998年当時)。

 

脳の目的は憤怒が意識上にのぼるのを妨げることであり、その方法は以下の通り非常に巧みだ。

  • 腰痛のみならず、首、肩、股関節、大腿骨、足先など痛みが発生する対象は多岐にわたる
  • また、腰痛が解消すると次は肩が痛くなったりと痛みが発生する箇所が移動する(または、右足から左足への移動など)
  • その時々で社会的に良く知られており、(自分も含めて)誰が聞いても心因性と思われにくい症状が選ばれる(たとえば日本であれば胃潰瘍→腰痛に変化)
  • 椎間板ヘルニアなど、骨格異常がある周辺で痛みを起こす。また、歯磨きの際に腰を曲げる動作など、当人がその動きが痛みの原因だと考えやすいタイミングで痛みが発生するなど、特定のパターンがある(→脳は、患者が痛みがフィジカルなものだ結論するよう印象操作をする)
  • 痛みを引き起こすために、部分的な血流の抑制などを利用する。これにより筋肉の痛みや、神経障害が誘発される(らしい)

つまりTMSモデルに基づけば、自分の脳内に殆ど他者に近い機能があり、それが一定の戦略に基づいて心因性膝痛症を引き起こしている、というような印象を受ける。これは、やや突飛な仮定であり違和感がある。

 

だが、分離脳患者に関する本を読んだ際にも、これに似たような印象を受けたことを思い出した。右脳と左脳が補完しあってあたかも脳が分離していない人であるかのように振る舞うのだ。ポイントは、分離脳患者自身はこの左脳と右脳の連携プレイを全く意識できないということだ。本人の脳が行っていることなのに、本人の意識がアクセスできない領域で自分の脳がどういった処理を行っているのか分からないのだ。これは、サーノ博士が論ずる腰痛のメカニズムと様相が似ていないだろうか。

 

サーノ博士によれば、ある病気がストレス性のはずがない、と多くの人に思われていることが心因性膝痛症として脳が採用する条件になる。患者がこの痛みは心因性だと気付いた時点で脳の企みは失敗するのだ。日本では以前十二指腸胃潰瘍の患者数が多かったが、それがストレス性疾患の代名詞になった後に患者数が減少している。(見せかけの相関かもしれないけれど)

 

言い換えれば、日本で腰痛が(かつての十二指腸胃潰瘍のように)心因性疾病の代名詞のように思われるようになれば腰痛患者は激減するはずだ。しかし、たとえTMSモデルが正しかったとしても、腰痛は骨格異常が要因であると考えられることが多く、この説明は患者にとっても直感的に分かりやすいので、この腰痛のイメージを修正するのは非常に難しいのではないかと思う。

 

これらの本における議論によれば、人間は脳内の自己イメージを守るために肉体を犠牲にするのを厭わない。しかも、意識がアクセスできない領域で意思決定し、血流量の変化など具体的な戦略をも決めてしまう。これが本当なら、たとえ分離脳患者でなかったとしても、とても自分自身を1つの人格が統べているとは云えないのではないだろうか。