今回の旦那の躁うつ病再発(ここでいう再発とは、躁状態が再び現れたことであって、本当はその前から鬱状態だったのだが、
そのことにきちんと気づいていなかった。なので、躁状態が現れたとき、躁鬱病が再発した、と私が思いこんだのだ。
なので、正式には今回のことは躁うつ病再発ではないが、私の最初の認識に従って、このまま躁うつ病再発、と記していく)
で学んだことがたくさんある。
その多くは、旦那が躁状態で果てしなく4時間でも5時間でも
あれこれしゃべり続けていた内容から、私なりにかみ砕いて
理解したことだ。 もちろん、旦那が極度の躁状態だった時には、
支離滅裂なことや、事実とは違うことも口走っていたので、すべてを鵜呑みにすることはできない。
それでも旦那の感じてきたストレスや苦しみ、旦那なりの物事の考え方について理解するのには
十分役立った。
私が学んだことはたくさんありすぎるので、それを全部書ききることは難しいのかもしれないが、
一つ一つ頭の中で整理しながら書いてみようと思う。
1.旦那との関係、距離感を見直すきっかけになった
まずは、これが一番大きいことだと思う。
以前にも書いたのだが、私は台湾に来てからというもの、旦那に精神的に頼っている部分がすごく大きかった。
生活面でも、いろんなことを旦那に頼って、任せきりにしていた。
旦那はそのことで大きなストレスを感じていたのだ。でも、旦那の関係で私は台湾に来て生活しているのだから、
自分が我慢しなきゃ、自分が妻を支えてあげなきゃ、旦那はずっとそう感じてきたのだ。
私は、旦那に甘えることが当たり前になっていて、その不自然な状態に気づかなかった。
どこかへ行くときは旦那にバイクで送ってもらい、物を買う時やレストランで食事するときは、店員さんとの会話は旦那に任せる、
そういう状態だった。
これまで多くの人が私にこう言った。
「あなたの旦那さんはとってもいい人ね。あなたに対して、とっても誠実で、とっても良くしてくれてるね。」
私は心の中で嬉しい気持ちとともに、どこか
「でも私だってたくさん苦労してるし、がんばってるし、旦那への不満もいろいろあるけどね」
という風に思っていた。
私は結局、自分のことでいっぱいで、旦那の苦労をわかっていなかったし、わかろうともしていなかった。
また、私たち夫婦は、私が旦那に頼りすぎていたのも原因の一つだが、距離が近すぎた。
何をするにも一緒、一日のほとんどを、同じ部屋でずっと一緒に過ごすこともあった。
これでは、お互いストレスがたまるのは当たり前だ。
このことに対しても、お互いストレスを感じながらも、当たり前になりつつあったので、
それほどおかしいと思わなくなっていた。怖いのはこういうことだ。
本当はストレスを感じていて、そこから抜け出すべきなのに、
その状況に慣れきってしまっていて、その不快感にさえも慣れてしまっている。
だから、改善しようと動くことができない。
今回の躁うつ病再発で、それを見直すきっかけになったのだ。
私は今バイクと車の免許取得のために動き始めたし、一時的に寝るときも別々の部屋にしている。
自分で出かけたいときは一人でバスに乗って出かけるようになったし、店員さんとも自分で話すようになった。
2.躁うつ病について、少しずつ理解するようになった
これはまだまだ知識が足りないので、もっとたくさん勉強する必要があるのだが、
正直、10年前に旦那が躁うつ病にかかっていた、と初めて聞いたとき、「へえ、躁うつ病ってあの、
気分が高揚したり、落ち込んだりを繰り返すやつ。でも完治したならもう、問題ないよね」
そんな風に考えて、躁うつ病についてまったく調べもしなかったのだ。
そのしっぺ返しがこれだ。
私はどちらかというと直感を頼りにして生きているので、どこか知識を軽んじているところがある。
だけど、今回のことで、ようやくきちんと学んだ。
正しい知識を身につけて生きていくことは、自分や、自分の愛する人を守ることなのだ。
昔は知識を身につけるといえば、資格取得のため、とか、キャリアアップのため、とか、あるいは趣味を広げるため、とか、
何か特定の目的のために行うものだと考えていた。
今思えば、偏見はなはだしい。
知識を身につけるということは、あなたの生き方を変えていくということなのだ。
それがわかっただけでも、今回のことには大きな意味がある。
3.日本へ移住するにあたって、旦那なりに台湾で生きていたこの30年余りのあれこれを、吐き出し整理しようとしていた
私が日本へ移住するにあたって、このブログを書き始めたように、旦那も台湾での自分の半生で味わってきたことを、
すべて吐き出してしまいたい気持ちがあったのだと思う。
その方法は私よりもずっと過激で極端だったが、旦那はもとから少し極端な性格なのだ。
旦那が極度の躁状態だった時、ひたすら旦那が小さいころにあった出来事をあれこれ話し続けていた。
その多くは、人間関係で旦那が傷ついてきたこと、怒りを感じてきたことなどだった。
それを聞いていて、旦那なりに、台湾を一時離れるけじめをつけようとしているんじゃないか、と私は感じた。
4.旦那の性格について、自分の性格について、より理解するようになった
数日前の記事に、アスペ旦那がもしかしたらアスペルガーかもしれない、と書いたが、それがまさにこれだ。
今まで、性格や考え方の違いで、私たちはよく衝突し、そのたび喧嘩してきた。
私は自分のことをわかってほしくて、自分がこう考え、こう感じているから今怒っているんだ、と
何度も旦那に訴えてきたが、旦那はたいてい最初がんとして受け付けず、聞く耳を持たない。
しばらく経って落ち着いてくると、私の言うことの半分くらいは聞き入れてくれるのだが、
次にはもう、私が前に怒ったのと同じ原因の行動を旦那が繰り返していたりする。
そしてまた、喧嘩になる。
それはあるいは、誰にでも起こることなのかもしれないし、ただの性格の違いといえば、それまでなのかもしれない。
ただ、それまでは「旦那のこういう性格をなんとかして変えたい」と思っていた。
それが、今回の躁うつ病のあとで、「旦那はこういう人間なんだ。旦那にアスペルガー的傾向があることは確かで、これは旦那の個性みたいなものだ。
この個性を変えることは、ものすごく難しいだろう。だから、私自身が認識を、対応を変えるしかない。」
という風に考えを改めた。
また、私は日本人で、うお座で、そしてA型の人間なので、他人と合わせるのを好む。
だけど、旦那は台湾人で、みずがめ座で、B型だ。もともとの性格は、良くも悪くも、とにかく自分中心。
だから私たちは二人とも一緒にいて疲れることが多かった。
私は以前はよく、旦那に合わせようとしすぎて途中で疲れ、イライラして喧嘩になった。
言葉にして伝えなくても、わかってくれるでしょ?という期待がいつもあり、それが裏切られると怒りに変わった。
今回のことで私は、自分が疲れる前に、嫌なことは嫌とはっきり伝える、こうしたい、という希望はこうしたい、とはっきり伝える、それを学んだ。
自分の主張をしっかり伝えた上で、相手の意見も聞き、最終的にどうするか決める。
そんな簡単なことが、前はできていなかったのだ。
私が未熟すぎたのだ。今回のことで、少しは成長できた。それも収穫の一つだ。
長くなるので、 2へ続く